合理的選択 英語喉を選ぶかどうか
英語喉はすでに3年以上たっていて、まだそれがドミナントなものになっていないのが、英語喉のメリットを享受している立場から考えると全く理解できない。 しかし、考えてみると、英語喉を選ぶかどうかはまずは合理的選択というのがある。 思うにASHURAさんが、ほのめかされていたが、結局、自分の英語では限界がありました、、、と告白できるかどうかが鍵ではないだろうか? 私は、実は、英語喉以前でも、それなりに英語ができたので、英語喉を知ったときに、限界があることを認めるという感覚はなかった。あとで考えるとイギリス英語の映画が分かりにくいとか、英語を喋るときに、透明人間になるとか出てくるけど、あまり、自分の限界を認めるという感覚はなかった。そこまで私は英語を自由に喋っていたのだ。だから今でも、英語教材の著者さんが、「最初はだめだったけど、がんばったら向上した」というようなことを書いてらっしゃるけど、ちょっと腑に落ちない。普通、英語ができる人は、昔から、最初からできるからだ。文法などが暗記の対象というより、アドリブのためのものだという感覚があり、適当?な使い方を勘で知っていて、発音も、ちょっと喉の奥で喋っている人達だろう。ただ、そういうスキルは、本になりにくく、売りにくいので、言っても受けいれられにくい。だから努力が大切だとか、説教じみたことばかりになる。 <ちょっと脱線するが、姪にキーボードを買って送ったのだが、私としては、ピアノを習っていた妹に、ドミソ、ドファラ、シレソの3コードさえ教えてくれれば、子供ならば楽しめるという感覚があるのだけど、妹としては、習いにいかせんと無理じゃないか?という普通の常識人の感覚がある。たぶん、私はギターも、英語も、この調子でマスターしたのだと思う。何が核なのかを知っているので、学校にいって努力しないといけないという感覚がない。私は現在、滞在中の、義理の父にヘビメタのアドリブ奏法を教えているが、結構、簡単だよ。ブルーススケールを感覚的にマスターしてもらっている。> さて、英語喉を選ぶには、さらに、英語が通じないと困るという環境がいるかもしれない。実際、日本では、英語ができなくても良いし、職業的に困る人もそういない。 本当に困る人じゃないと、英語喉を選びにくい。特に、英語ができないと仕事がないとか、そういう切羽詰まった状態。 英語喉?ふ~ん、で終わる人たちは、切羽詰っていないのではないかな? ただ、DCに住んでいる日本人で、別に仕事とかで切羽つまっていなくても、あせる人はたくさんいる。だって、例えば、自分の住所を言っても、通じないのだから。救急車を呼ぶときなんてどうする???? ** しかし、日本でも英語を必要とする仕事があるだろう。もしかして、すでに帰国子女のかたがたが、やっているので普通の日本人には関係のないことなのだろうか。日本大使館に電話したとき、英語がネイティブな日本人が出て、あ、そういう仕事は、帰国子女さんが、活躍されているのかなあとおもった。
なれなれしい感じで喋ると英語はうまく行く+最近、強調している英語喉指導テクニック
今、家では、義理の父と母が来ていて、アメリカ人の割合が(3対1)で多くなっているので、家がアメリカになった。まあ、もともとアメリカだけど。 思うに、やはりアメリカ文化は浅いとか、歴史もないとか思うのは、やっぱり、それはそういう発言をしている人が英語ができなくて、根本的にアメリカ社会を知らないということだと思う。当たり前だけど、この文化は浅いとか深いとかいうことがあるはずがない。どこに国にも文化があり、人がおり、生活を何世代もしてきている。 英語ができないというとバカにしているようだが、実際、喉とシラブルをやって、しばらく喋っていれば、語学はそれほど難しくない。何回も書くが、ノンネイティブの外国人で一緒に働いている人などで、一人も英語に苦労している人がいない(中国人、韓国人、ギリシャ人、フィンランド人などなど)。 そして、このことは(どこの文化だって深いこと)、その国について本を読むとか言うことではなく、ただ喉で発音し3ビートをやることで英語が分かれば、自然と人との交流が増えるので、分かってくると思う。 昨日も、パイについて、30分も1時間も話が続いていたが、私にとってパイというのは、日本のお菓子のパイの実しか知らない(あれはパイじゃないと思う)。が、アメリカ人にとっては、家庭でつくるもののナンバー1で、私のおばあさんはこういうのを使ったとか、こんなレシピーだったとか、そういうネタが尽きない。 しかし、日本ではどうなんだろう。あまり、うちのおばあさんの味噌汁はあ~で、こ~でという話をするかな? しかし、私がわかる限り、例えば、クリスマスや感謝祭前には、ジーナが家族と、そういう話をかなりつっこんでいている。パイはあ~だ、こ~だとか、今年は七面鳥はどうするかとか、野菜はこれにするとか、そういうのを結構、何ヶ月前から話が始まっている。 そういうのは、先祖代々、伝承された家庭料理に関することで、やはり文化であり、歴史であるから、深いものがある。さすがに、パイの話は、私には分からない。 なれなれしい感じで喋ると英語はうまく行くと書いたが、実際そうだと思う。試してみてください。 ASHURAさんが、喉の栓が抜けたという表現を使っていたが、アメリカ人との付き合いに関しても、私は栓が抜けた感じがする。難しいことではなくて、適当に喉で思いつくことをいっておるとよい。緊張なしに。極端な話、例えば、目の前に、スーパーがあったら、スーパーマーケットと言ってみるだけでもよい。意味なく。それだけで話が始まったりする。 寒かったら、寒いというだけで話が始まるだろう。日本語と同じだ。 セミナーに来ていただいたかたで、国際結婚をされておるかたがおり、親戚づきあいの点なども苦労されているのだが、そのあたりも、喉で改良できるならば、うれしい。 さて、最近強調しているテクニックについてもう一度おさらい。 1.息をすいながらの発声練習のときに、アクビエリアの音質の特徴(声優さんみたい)と、ゲップエリアの音の特徴(ゲロゲロってかんじ)を覚えておいてもらい、それが、その後に学ぶ母音や子音にも現れますよ、と念を押す。 2.英語が実にのろい言語であり、日本語こそが機関銃言語だということを、シラブルに合わせて、手をたたいてもらうことで、実感してもらう。これは念を押すことで、心構えをしてもらう(実際にCNNなどを聞いてもらう前に)。 これに、今度は、もう一つ実験的にたしたいことがある。それは、バスケットボールのようなボールを用意しておいて、それを、つきながら(床でBOUNCEさせながら)、そのリズムに合わせて、英語を喋ってもらうことだ。日本語だと速すぎて無理だ。 そうしたあとで、CNNを見てもらうなら、体で英語が遅いということが体感できるかもしれないと思う。
日本人の写真好きとステレオタイプについて+土曜にもう一つテクニックをつかいました
さて、昨日、皆で、ミュージカルを見に行きました。タイトルはチェスでした。もちろん、ミュージカルの様子を写真やビデオにとってはいけませんが、たまたまその後夕食に行くということで、カメラを持っていきました。すると、中間の休憩のときに、私のところに係員が来て、「あなたがカメラで写真をとっていないか知りたいので、写しているものを見せてくれ」と言ってきました。 もちろん、写真など撮っていなかったし、とる理由もありません。中身を見せましたが、むかつきました。そのスタッフのかたは、このミュージカルは著作権で守られているからとか、言って、決め付けていたような態度でした。 他にも小さなカメラを持っている人はいたし、また携帯やら色々で、ほとんどの観客は、写真をとる機能をもったものを身に付いていますから、これは、私はいわゆるプロファイリングだとおもったのです。 私のは肩にかけるスタイルのものだったので、目だったのだろうか、、、。 プロファイリングというのは、例えば、中東の人だから、テロリストだとか決め付けてしまうことです。アリゾナ州では、イリーガルっぽいと思ったら、警察が人をチェックできるという法律が通りそうになりました(が、通らなかった)。ヒスパニックだからといって、重点的にチェックするのはプロファイリングです。 ただ、確かに、日本人が写真をとっている風景は、アメリカではよく見る風景なのかもしれません。先日、ちょっと古い映画を見ていたら、主人公がレストランで食べているときの背景に、日本人観光客らしき人がうつっていて、食べ物を写真にとっていました。 え、そんなことするか?と思ったのですが、その次の週、レストランに行ったら、熱心に、ハンバーガーの写真をとっている日本人の家族がいました(日本語を喋っていた)。 、、、と同僚に言ったら、メリーランドのカップケーキ屋で、アジア人らしき一行が熱心にカップケーキおよびカップケーキ屋の写真をとっていたよ、と言っていました。 ワールドトレードセンターの後でも日本人がVサインで写真をとっているという、本当かどうか分からないうわさがありましたが、私が行ったときも、たしかに、Vサインとまでは行きませんが、厳粛な雰囲気でないスナップの集合写真をとっていたかたがいらっしゃいました。 日本人が写真をとるというのは、かなり有名なので、私が経験したプロファイリングは、そういうことに基づいたものだったのかな。 さて、先週の土曜日に、リラックス口を教えるときに、実際に絵を書いていって、リラックス口の要領を理解してもらいまして、結構、効果ありました。普通だったら、Mだけの発音をしてもらうときに、口が開いたところから始めてくださいといっても、2,3回は言わないとそうしてもらえないのだけど、絵に描いていったら、4人とも、うまく、口が開いたところから音を出し始めることに成功したのす。 絵って、結構、いいかもしれませんね。 絵を描いたのは、説明しながら(口を動かしながら)、口の様子を説明するのがとても難しいからです。 *** 日本人が写真をとるのは、やはり記録したい、帰ってあとで友達や家族に見てもらいたい、という気持ちがあるからですよね。あと、団体で写真とると、少し、雰囲気も盛り上がるし、、、て感じかな??? 一つ覚えておいてほしいのは、日本人が写真をとるということをアメリカ人が知っているということです。だから、日本人も、アメリカ人は日本人が写真好きなのを知っているんだということを知っておいても良いと思います。 ステレオタイプという言葉がありますが、実際、写真好きなのは確かですので、偏見なのかどうか、、、。私も親戚がアメリカに来たとき、食事のたびに写真をとっていたので、面白かった。でも私も、昨日、ジーナが、母さんとチェリーパイをつくっていたのだけど、写真を撮りたい衝動にかられました。珍しいので、広島の家族とかに見せたいと思いました。作って、冷凍していた、ピーチパイにアイスクリームを乗せて食べたけど、おいしかったです。 ちなみに台所にパイをが~んと置いておいたのだけど、日本人なら、サランラップをかけておいておきそうなものだけど、アメリカでは、そのままが~んと置くみたいです。ホコリがあまりないのはないですが、ちょっと感覚が違って面白い。