かもめ食堂 +国産ネイティブ2人紹介

国産ネイティブニュース速報 二人分 DERWENTさん 数日前のコメントでDERWENTさんが、 http://nippondream.com/estatus/wordpress/?p=1087#comment-42042 にて音声UPをされていました。聞いてみると、国産ネイティブレベルでしたので、報告します。これから大学1年生だそうです。うやらましい限りです。英語が聞けて言える状態で、勉強できるんですから。http://www.estat.us/blog/derwent.mp3は私の音声コメントです。 英語の名探偵さん 以下のサイトにて2本分、UPされておりましたが、2本目が国産ネイティブレベルに到達しているので報告します。 http://eigonodo.kamakurablog.com/Entry/10/ 私の音声コメントはここです。www.estat.us/blog/eigo_no_do.mp3  ですがやや長いです。国産ネイティブおめでとうソングも最後の10秒で登場します。 さてと、、、 トップランナーという番組を見ていたら、「かもめ食堂」という映画の監督さんの荻上 直子さんがインタビューを受けていた。フィンランドにて、映画を撮影されたときの話をされていた。荻上さんは、南カリフォルニア大学で映画を研究されたとのこと。 印象に残った点は、荻上さんが、「フィンランド人は走らない」とおっしゃった点だ。日本人の自分は、いそいで走り回ったが、現地の人は、走らなかったと。 ちなみに、正確には、日本人は走るのだ。日本人以外の人が走らないということだ。アメリカでも、消防隊員が現場についても、走っていない(と思う、、、目撃したことがあるが)。 私がここで日本人のかたがたに英語喉を教えることがあるが、そのとき、初めて会ったとき、相手がやや遠くにいらっしゃると、そこからダッシュしていらっしゃる。私は、冗談で、「日本人テスト合格です」と言ったことがある。 ジーナに聞いたのだけど、日本の大学で、留学生が、日本人をちょっとTEASEするときに、こんなのがあるんだって。日本人の友人を遠くにみつけると、相手のほうが、手を振りながらダッシュしてくるので、笑わせるために、わざと逆方向に走る、、、と(その様子を想像すると笑える)。 この留学生というのは、アメリカ人だけでなくて、イギリス人とかヨーロッパの人とかも含む。アジアの人はどうかわからないけど、中国人とか韓国人とか走らないような気がする。 そういや、アメリカで、日本の感じで私も走ったことがあるけど、過去に何回か、居合わせた通行人が、「R~~~U~~N」と叫んだことがある。フォーレストガンプの映画ででてくるけど、フォーレストがいじめっこから逃げるシーン覚えてる?そこでジェニーがRUN FOREST RUNみたいに叫ぶけど、あれと同じ。 荻上さんは「フィンランド人は走らないんです」といったけど、実は日本人VS日本人以外の構図なのだけど、このことに日本人が気づく要件?条件はなんだろう???? 根本的にやはり英語が聞けて言えるというのは大切じゃないだろうか?従来の考えはすぐに、「文化理解が大切」とか「西洋の古典」を読めとか、語彙だ、文法だというが、基本の基本で、やはり聞けて言えると、文化の違いをより正確に理解できるのではないだろうか? 外国が日本とどう違うか、、、という視点に加えて、日本が外国とどう違うか、、、という視点も大切ではないだろうか????同じようで違う設問だ。 で、なぜ走るのかは、教育の文化実践ですよね。小学校、中学校と、よく集会とか体育に遅れたら、「はしれ~~~」とか言われたし、走らなかったら、びんたをくらったとかそういう原体験がある。 しかし、そういう実践が、なぜ日本全国に広まったのか?沖縄、北海道も同じ?なにか法令があった?江戸時代にもあった?奈良時代も走っていた?古事記になんらかの記述ない??? 急に、富国強兵で始まった教育実践なのか、あるいは、前からあって、それが明治以降、利用しやすいということで採用されたのか??? いずれにせよ、日本人の足は強いかもしれない。日ごろから歩くことがアメリカ人に比べて圧倒的に多い。私だって、小学校、中学校、高校とよく考えると毎日1時間ぐらいは歩いていたかもしれない。

音楽と英語

小学校に入る前から、音楽教室というのに通った。母や、おじいさんにバイクか自転車で送ってもらっていたと思う。記憶は薄いのだが、オルガンでメリーさんの羊だけは弾いたが、その最後のときに、先生が、「メリーさんの羊しか弾かなかったと指摘したような記憶があり(本当かどうかわからん)、え?でも他の曲弾けと言わなかったのに、、、と5歳ぐらいのときに思ったような気がする。グループ指導だったのだが、子供にとって、文字通り、他の曲も弾いてと言われないと分からない。 次の音楽の思い出は小学校の4,5、年ぐらいだと思うが、ウクレレを買ってもらった。教則本も買ってもらい、にらめっこしたのだが、コードの意味が分かるのに、2,3日かかった。あ、そうか、左の指で押さえておいて、右手でジャーンと弾けばよいのか、、、と。じゃあ、最初から言ってくれればいいのにと思ったのを覚えている(その後、シカゴの大学院でSASプログラミングを始めてPROC MEANSの意味が分かるのに2日かかったことに似ている)。 どちらも、じゃあ、最初っからそう言ってくれればいいじゃないかということだ。自明でなかったのである。子供にとって、ギターを弾くということの意味が、2日ぐらいがんばって分かった。 その後、子供用のアコースティックギターを買ってもらったのだが、これは、なかなかうまくマスターできなかったが、後で考えると、弦圧が高すぎて、子供の指には痛い、痛い。 中学でエレキギターを買ってもらい、そこからは、水を得たような魚であった。思うに、TAB譜というのが腑に落ちたのだと思う。TAB譜というのは、横線が、ギター弦の6弦に対応している。そして、その上にふられた数字は、何譜レットめをさすかを示す。 特に当時、ヴァンへーレン、AC/DC、LOUDNESS、OZZY OSBOURNEで出会うことができた。さらに、そのギター譜が、当時のギターマガジンだったか、プレーヤーだったかにのっていたのだ。自分の知っている曲でタブ譜を見ながら曲を一曲、一曲コピーしていく。やっているうちに、音楽のシステムが分かってくる。 当時のヘビメタで私が感謝するのは、ヒット曲が押し寄せてくる+音楽誌が楽譜を掲載してくれる+地元の楽器がライブの機会を与えてくれる+学校にいけばライバルがいる+近くの高校にも化け物のようなバンドがいる+ベストヒットUSAを見る、、、(小林克也氏のかっこいい英語を聞く)、、、という風に、あちらからも、こちらからも、学べる、楽しめる機会があったことだ。 英語学習に関しても、こんなインフラがあったらいいなあ!日本にはありそうで、ない。インフラになりうる英語喉コミュニティーの発展を願う。 ジャーニーをコピーしているころに、あ、こういうことかとピンときた。メロディアスなソロがよかった。さらに、セパレートウェイという曲では、なるほど、E単調だと、開放弦が使いやすいことに気がつく。AC/DCやVAN HALENも、開放弦が使いやすい調の曲が多い。 おそらく最も数多くコピーしたのは高崎晃氏のギターだと思うが、おそらく彼が世界最高のギタリストではないかと思う。エディーバンへーレンなどを総合的に見ると超えているように思える。もちろん、ランキングにはあまり意味がないのだけど、あえて言うならということです。 中学だったか高校だったかでヒロシマ市の郵便貯金ホールで見たコンサートは、LOUDNESS2回とマイケルシェンカーグループ。特にLOUDNESSがよかった。LOUDNESSの魔界転生のテーマから、ミラーに移るときの盛り上がりがすごかった。 とどめをさしたのは、イングウェイマルムスティーンというスウェーデンのギタリストで、当時、アルカトラスというバンドに参加していたのだけど、ヒロシマモナムールでノックアウトされてしまった。その曲を懸命にコピーしているうちに、なるほど、このようにしたらよいのか、、、というのが理解できた。さらに彼の影響で、クラシック音楽からも聞くとよいということだったので、ビバルディとか、モーツアルトとかを聞いて、そのメロディーラインをギターで再現する練習などもした。しかし、これは微妙に役にたったのかよく分からない。 OZZY OSBORNEバンドの故ランディーローズの曲を聴くたびに、ランディーローズの若き死をまだGET OVERできないと感じるのは普通ではなかろうか。彼は2枚しかアルバムを残さなかった。 2007年にDCにてついにVAN HALENのライブを観た。さらにAC/DCも近年2回みれた。 AC/DCを見たときは、アンガスヤングのギターを聴きながら、彼のやっていることを自分もおもわず再現してしまう自分がいたのだが、やはり彼のスタイルの影響は大きいと思った(というかコピーしやすい、、非常に感覚的なブルースを基調にしたロックだ)。 おっさん、ありがとう、、、と思いながら鑑賞した。その尊敬するおっさんが、大観衆の前で服を脱いで最後にはパンツを下ろしたのにはおどろいたが、、、(THE JACKの演奏をバックにだったと思う)。 さて、英語の話に移る。昨日、AC/DCの楽譜を買ってきたのだけど、歌詞を読みながら、うーん、でもシラブルをちゃんとして歌うのはどうしたらよいか?と思っていたのだが、今まで見えていなかったことにきがついた。歌詞がシラブルごとに分かれているのである。 そこにあるのに見えなかったものってこのことだ。 例えばだけど、 For those about to rockという歌詞だと、 For…

言語の監獄

あり地獄が うんこすることを発見した10歳の少年に関して報道があったし、またシチズン・オブ・ザ・イヤーという賞をもらったそうだ。「英語は喉だ」ではダメのようだ(笑)。新聞社の友人にコンタクトしたけど、「もう英語しゃべってへんねん」が返事だった(涙)。 さて、前から気がついていたことがある。それは、NHKを見ていて、ニュースで、一般の人にマイクが向けられると無難な短い返事しか返ってこないということだ。ただ、たまに子供か、あるいは漁師さんとか農家の人が、やや複雑度の高い返事をすることがある。一方で、これも前から気がついていたのだけど、アメリカ人にマイクが向けられると、大量のコメントが返ってくる。 この違いはなんなんだろうか? 思うに、喉発音は人間にとって自然な発声なので、思ったことがストレートに出てくるのに対し、口発音になると、もはや、型どおりの表現しかできなくなるのではないだろうか? 朝日新聞で、「孤独」というテーマで記事が出ているが、そのなかで、ある男性が、なくなってしまった妻に、「感謝の言葉がいえなかったが残念だとおっしゃっていた。 それは、口発音になってしまった場合、すでに、言えないことがでてくるのではないだろうか?喉発音の子供のときは、ママ好きとか、パパ好きとか言っていたのではないだろうか? 喉発音のアメリカ人は、日ごろから、アイラブユーということを家族の中で言っている。兄弟姉妹に対しても。しかし、口発音となると、表現が全て、盆踊り的、型どおり、ラジオ体操的になってしまうのはないか。 あ、そうですか。わかりました。そうですね。面白いですね。さすがですね、、、とか。 喉ゆるゆるでラフに喋れるのは、同級生だけである。皆さんも経験があるのではないだろうか。同級生ならば、自由に話せる。 よく、欧米では、女性に歳を聞くのは失礼だという。しかし、実際のところ、歳は聞かなくてもだいたい分かる。だから聞く必要がないから聞かないのだと思う。日本語で聞こうと思うのは、年齢の違いで言葉使いを変える必要があるので、知りたいと思うこともあるのではないだろうか?言葉使いに気をつけなくていいのは、同級生だけだからだ。 本音と建前とか、うちと外という概念があるが、あれは口発音と喉発音で説明できるのではないだろうか?一度、スーパー口発音を見につけると、本音を語ることが難しくなるのではなかろうか。口発音自体が敬語のようなもので、かしこまったスタイルであり、心に浮かぶことをまず、口発音の言葉に訳してから話すので、感情などがストレートに出ないのではないか? 「ませた口をきく子」という表現があるが、あれは、子供が、ちょっと喉発音的な発声で、考えを述べたりすることを指しているのではないだろうか?子供なので、スーパー口発音にならない。だから、感情や意見などがストレートにでることがある。それを指して、大人が「ませた口をきく子」と言っているのではないか? 広島でも、挨拶運動というのがあって、機械的なかんじでとにかく挨拶をせよ、、、ということを訓練を受けたが、やはり田舎なので限界がある。基本的に、学校の先生が町内のおっさんとおばさんで、カープファンだったりするので、どんなにがんばっても、従属的なる関係になりにくい。「昨日、カープ勝ったのお」で授業が始まったりするからだ。 だから、日直の言う表現、「気をつけ」、「礼」なんかでも、それほど音が切れていない。5時ぐらいに流す「下校の時間になりました。用のない人ははやくおうちにかえりましょう」というようなアナウンスでさえ、それほど、口の奥で切れていない。 言語の監獄は表現にも及ぶ。今、NHKで歌の番組をやっているが、 受験だけどがんばってくださいとか、がんばれとか、のりきっちゃえば、、とか、あせらないで、、、とかそんなのばっかりである。 英語を第2言語とすることで、同級生でなくても、普通に喋れるようになる可能性がある。あ、そういや、がんばれとか、日本語になりにくい表現って、やっぱり英語にはないのだな。  

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