2対2.5の違いが日本語話者とハングル話者の違いか?

よく行くカフェテリアは韓国人の夫婦が経営、きりもりしている。昼に、行ったら、「スナックか?」と聞くので、いや「ランチだ」と言うと、、 オー ランチー と言った。さらに、私に、いつもの、チーズアンドスケーキか?と聞こうとして、 チーズ? といった。 LUNCHをLUN-CHI、チーズをCHEE-ZUと発音するのだ。これは日本人の英語によく似ている。 興味がわいたので、ランチをハングル文字で書いてくれないかと頼んだ。頼んだ瞬間は、日本語のらーんーちの要領で三文字かなとおもったが、すぐに思い直した。ハングル文字だと、ランは1文字だろう、そしてチが1文字だろう、、、合計2文字だ、、、と想像したら、やっぱりそのとおりだった。 これは実際に書いてもらった字だ。上のほうが、韓国人のおじさんが書いた字。2文字だ。確認のために、私も書いてみた(下のほう)。そしたら、最初の字の底にあるところが、ちょっと違っていたらしく、直してくれた。 あの底のところ。上のほうでは、線に見える部分がNなのだ。 ちなみに左上のあたりはL、右上はア、そして底の部分がNなのである。 ハングルでは、1文字でLUNCHのLUNまで言ってしまえる、書けてしまえるのである。 そのあと、ちょうど、中国に留学していたアメリカ人が通りかかったので、中国人がLUNCHと発音するとすると、何シラブルになるだろう?と聞くと、1シラブルだと答えた。これはおそらく正しいだろう。 まとめると、、、LUNCHは 日本語では3文字 実際に発音するときは2.5シラブルっぽい。ラとチは確実に2シラブルだが、ンが微妙だ。シラブル半分ぐらいだろう。だから、2,5シラブルと呼ぶことにする。 韓国語では2文字。実施の発音も2シラブルだろう。 中国では1シラブルで発音されるらしい(これはアメリカ人の報告だが、おそらく正しい)。 つまり 中国語話者 1、 ハングル話者 2、 日本語話者 2.5である。 英語話者は1、フランス語話者も1、スペイン語話者も1、、、である。 これは、確実に英語力にも反映している。中国語話者は、勉強していれば、確実に英語が喋れる。リスニング、特に音を聞くという点では、問題があまりない。それは漢字の言語である中国を普段からしゃべっているので、英語でもシラブルを聞くというのはあまりに当たり前で実践しているからだ。 ハングル語話者と日本語話者では、微妙にハングル語話者のほうが有利である。シラブル数が微妙に英語に近い、、、というか近いときがたまにあるからである。 韓国のおじさんには、ランチが実は、1シラブルなんですよ、チーズも1シラブルですよと教えてあげると、えー、そんなこと、考えたことなかったとおっしゃることだろう。 教えてあげたいと思うことがあるのだが、あまりに英語が通じないので、まだそれにいたっていない。しゃべるスピードは速いのだが、日本人と同じで、覚えている表現を、場面場面にあてはめてしゃべっている、、、だからいつも同じ話になってしまいがちだ。 また、教えてあげようとしても、うん、うんとうなづいてくれるのだが、全然、伝わっていない。このおじさんとおばさんは、大きな娘(アメリカで生まれた)がいるのだから、アメリカに少なくとも25年ぐらいはいるはずだが、英語があまり通じない。私も、言っていることがよく分からないので(口発音で、なぜか声が非常に小さい、、私自身も前は声が小さかったなあ)いつも3回ぐらい聞きなおしている。 ハングル話者にも英語喉をお教えし、早く、開放してあげたいと思う。 ダーリンは外国人という漫画を読んでいたら、作者が、日本に住んでいるネイティブに6年勉強しても英語ができないのはなぜ?と聞かれ、逆に、じゃあ、なんであんたら、日本に住んでいて日本語しゃべらんの?と言う場面があった。ちなみに、作者は8年英語をやったそうである。…

機関銃英語が聞き取れるの82ページ

機関銃英語が聞き取れるの82、83ページには、皆さんが、おそらく生まれて、いや日本の歴史上初めて耳にするようなことが4項目ほど書かれています。そのうちの一つ(2項目目)は特に、インターネットで検索すれば、具体例を動画として見ることができます。 http://www.youtube.com/watch?v=9d5TMw6QGZg これは日本語話者には実践が不可能です。日本語をしゃべるときに、喉ブレーキをかけてしまうので、不可能なわけです。逆に、この画像(ネット上に何千と存在します)は、喉発音という事実の証明となることでしょう。喉で発音しているからこそ、西洋人には、このことが可能なのですから。 言い換えれば、これができる日本人は2009年5月の段階で、喉実践者以外にはいないという言い方ができますね。あんまりやりたくないという気もしますが、、、(笑)。 英語喉が出たときに、ネイティブは歯医者に言ったとき、口を開けたままで、コミュニケーション可能なレベルでしゃべれるということをNIPPONDREAM上で書いたところ、 そんなことが信じられる人は、英語喉を試せばよい という辛辣なレビューが出ました。 そんなことが信じられる?というのは、日本語の発声方法も、英語の発声方法も同じに違いないと思い込んでいるからでしょう。違うのは舌の動かし方とか、口のあけ方とかと思い込んでいる。 それでは、ぜひこの動画を見て、また、上のURLで大量の数で存在する関連画像をごらんください。 ありえない? いや、ありえるのです。 メカニズムは一つです。 日本語が特殊なのです。日本語はだだだだだ、、と短い音からなる言語です。だから、常に喉を(無意識のうちに)緊張させているのです。 最近、MIXI上で、REFRAINさんがよいことをおっしゃいました。REFRAINさんは、喉を響かす、、、というのは実は喉をナラスということなんだと気づかれました。 http://www.nippondream.com/blog/2009521refrain.MP3 がその音声です。うまいぐあいに、喉が鳴っています。 REFRAINさんは、風呂からあがって、横になっているときに、その感覚が分かったそうです。ご報告によりますと、無理に響かせるという感じではなく、鳴らすんだ、、、ということの意味が理解できたということです。 鳴らす、、、という表現が一番ぴったりきたそうです。そういえば、猫は喉を鳴らしていますね。 鳴らすと響かす、、、って同じだとは思いますが、喉革命が経験できたあとで、考えてみると微妙に違うのかな。 鳴らす、、、除夜の鐘ですが、あれば、鐘が必死で、ビリビリと響いているというイメージより、脱力の結果(鐘に筋肉がないので力がもともとはいりません)、鳴っているわけですね。そういえば、手をそえてやると(力を入れることに似ている?)、その鳴りにブレーキがかかりますね。  皆さん、もしMIXIをされているかたは、 http://c.mixi.jp/eigonodo にご入会ください。メンバー制になっている理由は、メンバーのかたがたのコメントやアドバイスなどが、ものすごくよく、公開するには、あまりにもったいないというのが理由です。 よーし、オープンマインドでやってみるぞ!という心意気がどうしても必要なので、入会申請をお願いしているわけです。 MIXIというのは、ソーシャルネットワークサイトです。…

普遍文法の構築

昨日、テレビJAPANをつけたら(NHKです)、中国がシーンのドラマをやっていて、ある女性が、中国語をしゃべっていた。字幕が日本語で出ていた。その中国語が、あれ?、中国語ってこんなんだったっけ?と思って聞いていたのだが、すぐに分かったのは、それは日本人留学生(の役)の人だったのだ。つまり日本人が中国語をしゃべっていたのだ。 そのドラマには、たくさんの中国人が出てきたのだが、シラブルの一つ一つに耳をやると、繰り返してみて!と言われると繰り返されすことができるように思った。さらに、たまに、出てくる知っている中国語を確実にキャッチすることができた。例えば、パンヨー(友人という意味)とか。これは、シラブルをつかもうとして聞いたおかげだろう(もちろん日本語字幕みながらだけどね)。 最初に述べた日本人の女優さんの中国語は、別にシラブルが間違っていたとは思わなかったんだけど、声が恐ろしいような感じになっていた。外国語だ、何かを加えないと、、、と言う感じの緊張感が声質に影響したのだろうか。そのシーン(ドラマの設定上)のせいではなかったと思う。 NHKの国際番組に出てくるレポーターさんも同じような英語を喋る。基本的にはカタカナなのだが、ドラマチックな感じのするしゃべり方、恐ろしい感じのトーンになっている。カタカナならいっそ、カタカナだけで読んでくれたほうがよいような気がするのだ。外国の言葉なんだから、何か、普通ではない要素を加えないと、、、という思いが、あのおどおどしさ、あるいは、音程の高さにつながっているのだと思う。 何かを加えないと、、、という要素だが、これは、加えても、発音の通じやすさ、聞き取りのできやすさには、関係しないのであるから、それはやめたほうが、楽になる。 何度も書いたが、私は大学でフランス語をとっていたときに、聞き取りおよび発音ができないということで、全く勉強のやる気を失ってしまったことがある。だって、MOT(単語という意味)などという非常に簡単な単語でさえ、全然、ネイティブと違うと感じたから、覚えたところで、通じないし、聞いたところで分からないという現実を前に、全く何もやる気がなくなってしまっていた。 だから、聞ける、言えるというのは、非常に大切なパスポートだと思う。 さて、聞けて言えるようになったら、今度は、書いたり、しゃべったりしなければいけないが、このためには、文法がいる。 現在、普遍文法(特殊な意味で使っている)を構築しているのだが、これは非常に機能的なものである。従来の英文法の体系は、確かに言葉を分類したり、文法論議をしたりするためには、役立つが、しゃべるとなると、なかなか使い勝手が悪い。 使いやすい文法を構築する上で大切にしているのは、ネイティブが使っているのと同じ文法を作るということだが、そのことに成功しているように思う。当然、私が勝手につくっているわけではない。共著者ネイティブの頭にある文法を、本人が観察によって抽出しているのであるが、日本ではこう説明されている、、、という私の知識も結構役に立つときがある。 そうしているうちに、文法って存在するの?って気になってきた。文法が存在しないんじゃないかと感じることがある。たんに音の塊があって、その塊の一つ一つが意味をもっているだけ?みたいな。極端な言い方するとね。 最近、仕事で膨大な量の英語を読んでいるだけど、文法を使って読んでいないような錯覚にとらわれることがある。だって、あまりに膨大なので、流し読みをする。単語をちょこっ、ちょこっと読みながら、意味をとるが、そのときに、その単語が動詞か?名詞か?なんて考えていない。単なる意味の塊だ。 例えばEATは「食べる」という意味。ATEは「食べた」という意味。片方が過去形だと、一方、さがって理解する必要性は? 極端に言えば、全ての単語が名詞に見える今日この頃である。 何を読んでいるかというと、教育の実験の論文を次から次への評価しているのである。 こんなこともあった。学術雑誌によっては、最初のまとめのところに3つまとめがある。英文、スペイン語、フランス語でだ。 読んでいて、どの言語で読んでいるか、意識なく読んでいることがある。あとで、あ、今のスペイン語だったんか?英語だったか?と思う自分がいる。特にスペイン語とフランス語が同じに見えてしまうのだ。学術的な表現が多いためか、英語も同じようだ。 いや、単語レベルだけの問題ではない。 「出してくれー出してくれー」と言語の深層構造が、わめいているように思われる。 もうすぐ出してやるぞおおお。

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