June 2011

色んな声をだしてみよう

1238 最近、こっているのがコメディー。自動車を運転するときに、サテライトラジオでブルーカラーコメディーという番組を聴いている。労働者階級ラジオ?みたいな感じで、高級じゃないかんじ、田舎もん的なコメディー。 日本の漫才はふつう二人でやると思うのだけど、アメリカのコメディーは一人の場合がほとんど。 その理由は?なんて理由があるかどうか分からない。一人がやっているのがふつうだ。 しかし、声を聞いていると、何種類もの声をコメディアンが出している。それは、他人の声で喋るときに、声を変えるのと、あと感情をおおげさに表すために、声の感じを変えるのです。 しかし、これはコメディだけじゃない。私はアメリカ人の親戚もいるのだけど、話をしていると、声をころころと変えて楽しそうに話をしているのが分かる。 これは喉実践者にとってもよい練習になるだろう。声を変えようとすると、喉にたよりざるをえないからだ。 また会話が楽しい感じになる。 ちょっと誰か人の声真似をしようとしてみてほしい。すると自然に喉に重心が来るような話し方になる。 それはきっと練習になるだろう。 今朝、会社のキッチンで、スペインから帰ったばかりの同僚、ジョアンナ(仮名)に、来週、日本に行って来るけど、たった1週間なんだ、、、と言ったら、 「よい経験になりますよ」 という返事が帰ってきた。日本に帰省するのに、「よい経験になりますよ」というのは私が日本から来た外国人だと思っていないのだろう。 会社の帰りに、日本に遊びに行っていた同僚のステファニー(仮名)に、日本に行って来ると言ったら、 日本人はと~~~ても親切だったわ~~。また行きたいなあ~~とうらやましがっていた。 でも、日本の男の子が自分のことを怖がっていて、緊張していた、、、みたいなことも言っていた。 メリーランド州で「おむすび」を売っているところを見つけたんです、、、みたいな話をしていた。 日本ファンになったみたいです。 スーパーのトレーダージョーズに「焼きおにぎり(冷凍食品)」売ってるよ、、と情報をあげました。 こういう会話のときに、声の音色を色々、工夫すると、結構、会話が豊かになるような気がしました。 皆さんもやってみてください!

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MASA RADIOが充実

1237 MASA RADIOが充実してきていて、MASAさんのMIXI日記をみたら、インタビューした相手が10人を超えている! http://mixi.jp/list_diary.pl?id=7661548 ちょっと引用すると、これはイギリス人の男性へのMASAさんのインタビュー http://audioboo.fm/boos/399652-masa-radio-14-talking-to-ian-from-england これはドイツ人の男性へのインタビュー http://audioboo.fm/boos/399643-masa-radio-13-talking-to-phillip-from-germany このドイツ人の人の英語なんて、ほとんどネイティブ英語だと思う。私がこの人がドイツ人としらなければ、きっとイギリス人かなにかだと勘違いしただろう。 <後日談:このかたは、ドイツに住んでいるアメリカ人でした。ドイツ人だと思い込んで、ちょこっと聞いて、勘違いしてしまいました。> 日本人の言語学者が、言語習得臨界期なんていうことを証拠なしに言っているが、いかに、世界のノンネイティブが英語を普通にあやつっているかに気がつかないのは残念だ。しかし、英語ができなければ、世界の英語ノンネイティブのナマリのほうが気になって、実はふつうにしゃべれているということに気がつきにくいのだ。 英語ができてみると、いかに、世界のノンネイティブは普通に英語を喋っているかがわかる。なまりはあるかもしれないが、全然問題にならない。しかし、日本人の言語学者はそもそも英語ができないのだから、そのことにも気がつかず、大切なのが言語運用能力ではなくて、文法を深く理解することだと思い込んでいる。だから、全く進展せず、これからもずっと、いかに日本人が日本語英語のままでよいかを唱え続けるだろう。いや、いかに、「学習者のめざす目標によります」、、、という30年も前から言っているようなことを言い続けるのだろう。 英語は実際、簡単な文法からなっている。聞けて発音できれば、あとは、話始めるべきだと思う。その点をMASAさんが実践されているが、本当に、理想的な英語の学習法だ。 いや、学習方法とかいうのではなく、英語を楽しんで使っておられるということじゃなかろうか???? 私はなぜ言語学者が気づかないのか理解できない。 日本の中学生や高校生が単語のアクセントの位置を覚えているが、それは強勢を置く場所ということだ。 部分、部分を強く読んだら英語らしくなるなんて、そんなことをなぜ信じ続けるのだろうか? 音程が上がる下がるならまだ分かる。日本語では音程によって意味が変わる。しかし、言語学者は音程だとは決して言わない。言ってしまうと、実際に音程をはかってみると、例外だらけだからである。 音程だとだめな理由は簡単に否定されてしまうからである。さらに、疑問文だと、文の最後の音程を上げると教えている。となると、語の最初に強勢があるとしている音が、疑問文の最後にくると、意味が通じなくなるということですか???と矛盾も出てくる。 英語を歌で歌ったら音程が色々つくのでネイティブでも英語が分からなくなるの?と矛盾も出てくる。 だから、そんな難しいことを考えるより、アクセントの位置が大切だといい続けたほうが楽だ。定義を求めてくる人もそんなにいないと思う。 アクセントの位置の意味自体が分からなくても、なんとなく慣れているものってある。そんなもんだと思うのが普通だ。 暗記問題もたくさん作れる。それで入試問題をやるのだけど、暗記問題のほうが、テストがつくりやすく、入試料も集めやすい。 強勢だとかストレスだとか、アクセントだとか言っておけば、ますます、あいまいな概念になるので、信じやすくなる。 しかし、ここでも、スローガン、標語化しているな。 強勢 強く読む と正真正銘の日本語で言えば、はっきりするのだが、、、。 我々の日本語は実は中国語とか、外来語にのっとられているのではなかろうか? 本当の、本来の日本語を取り戻す、、、というのは、実は最も愛国的な行為ではないかと思うのだが。

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日本語は意味が薄い言語か? 日本語=掛け声論

1236 この週末から1週間ほど帰国しますが、7月の10日(日曜日)の12時半から2時間ぐらい、三羽さんとの対談をネットラジオで放送する予定です。カレンダーに書いておいてくださいね。 さて、 昨日、日本語は掛け声に近く、意味が薄いと言ったが、考えれば考えるほど、たくさん例が出てくる。 例えば、日本のミュージシャンの多くは、日本語の歌詞などどうでもよいのだと思う。これは本当だ。実際、何を言っているか分からない場合が多い。先日、日本語のラップをやっている人がNHK INTERNATIONALのJ-MELOに登場したけど、歌っていることが、分からない。 でも多くの日本人にとって歌が分からなくても、慣れている、そんなもんだと思っているから、気にならない。 昔、浅田彰さんの構造と力という本がはやったが、これも難解な本だが、結構売れたというが、多くの日本人にとって、意味が分からなくてもそんなもんだと思っていると思うから、気にならない。 よく英語教育論で、「発音より内容が大切だ」と言っている人の書き物をみたら、わけが分からない場合があるが、これも、日本人の読者の多くは、「えらい人が言っているのだから、意味が分からなくてもOK」と思ってしまうだろう。 日本語は掛け声的な表現が多いことに気がついたのは、それは、私が会社のカフェテリアを経営している韓国人へしている挨拶がきっかけだった。 あにょはせよ~ かむさはむにだ~ みたいな挨拶をする。 かむさの部分はたぶん「感謝」だと思う。「はむにだ~」は、「します」という意味じゃないかなと想像する。 つまり、朝鮮語では、「ありがとう」は「感謝します」と言うのだと想像する。 これは英語と同じだ。THANK YOUは「あなたに感謝します」という意味がある。 日本語では、「ありがとう」だけど、これは単なる音の集まりであり、意味自体はない。ありがとうというのは、「ありがたい」、「あまりない」という元々の意味があるのだろうか??? しかし、ありがとう自体には、英語や韓国語のような直接的なる意味がない。 日本語の表現の多くは「かけ声」なのだろう。 「あけましておめでとう」かけ声である。「あけまして」は「年があけましたが」という意味だとは思う。「おめでとう」の直接的なる意味は薄いがこれはスローガン的だ。 英語はHAPPY NEW YEARだが、これは文字どおり、幸せな新年を!という意味だ。そういう意味だから、年があける大晦日の日にだってHAPPY NEW YEARと言うことができるし、年が開けて、厳密には正月(アメリカでは1月1日だけ)が終わっていても、最初に人にあったときに言うこともできる。 「あけましておめでとう」は掛け声で、年が明けたときにしか言わない。 この違いがあるのは、英語や他の言語では、単語に意味に詰まっているからだ(当たり前だが)。日本語は掛け声表現が多いのだ。多すぎて、何が「かけ声」で何が「本当の心の声」なのかわからなくなってしまう。 がんばれって「心の声」なのか?掛け声なのか?微妙に分からない。 「よろしく~」なんて表現も、それ自体の直接的な意味がない。英語だと、NICE TO MEET YOUだが、これは、直接的な意味を持っていて、「あなたに会って、ナイスでした」という意味だ。 日本人の英語の勉強方法は、日本語において、あまり意味のない表現、掛け声的表現を、どうやって英語にするかという、あほらしいことに全集中力をそそいできているように思える。 例えば、「よろしく」をどう英語にするか~~~~ なんてことを、ものすごい勢いで、勉強する。 あるいは、日本語論みたいなのがあって、よくこれは漫画の形式をとると思うのだけど、掛け声的な日本語を持ってきて、英語にはな~~~い~~~、と感動して、面白いと納得する。 ガイジンも苦労してい~~る~~~ぞ~~~と感動して、なんと日本語は深い言語なのか~~ と感動する。 ここで英語喉パラダイムからのお知らせがある。 英語をぺらぺら喋りたいならば、意味のないことを言わなければよいのだ。 よろしくと言いたい気持ちは分かるが、「よろしく」って掛け声であり、それは社交辞令だ。 言わないと気がすまないと思うが、意味はあまりない。 意味がないことを言わなければ、よいのである。 だから、「今後もよろしく」と言いたい場面では、そのときの気持ちを意味に忠実に言えばよいだけの話である。 うわ~、本当に楽しかった~~~~という気持ちだったら、 I HAD SO MUCH FUNとか言っておけばよいのだ。 「よろしく」と言いたいのは、それは、コミュニケーションがうまくいかず、とりあえず、何か意味がないけど、言っておきたいという感覚があるから、言いたいのであり、それを言いたい時点で英語におけるコミュニケーションは終わっているといえる。 相手と心と心のコミュニケーションができなかったということだ。 「がんばれ」という言葉だってあまり意味がないが、我々がよく使う言葉だ。 我々日本人は、成長し、日本語を喋るようになるプロセスで、言語の牢獄に閉じ込められてしまうのではないだろうか? 小学校では、「あいさつ運動」というのがあって、とにかく、挨拶をするという教育があったのだが、あれは、言語の牢獄に閉じ込められる最初の1歩なのか。 そして、中学、高校、大学と、教育の場で喋る、発言する、表現する、、、のは皆無。 […]

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