日本へ船で帰国して強く感じたことは、一つは、日本が島国として、美しい国であるということです。海から見ると、海岸線、山々が非常に美しく見えます。

もちろん、陸から海を眺めても美しいと思いますが、海から見た眺めは格別でした。

日本に住んでいると、日本に風景に慣れるので、ハワイやグアムの景色を見たいことでしょう。ところが、海からみた日本の美しさは、ハワイやグアムと比べて見劣りしないものだと感じます。

さて、太平洋航路をたどりますと、どうしても避けて通れないことがあります。

それは太平洋戦争の傷跡です。

カリフォルニアのサンディエゴには、日本との戦争で活躍したという海軍の成果を記した記念碑がありました。その記念碑には、多くの米兵の名前が記されていました。

私たちの乗ったダイアモンドプリンセス号は、そのサンディエゴから出発しました。

昨年、12月にイギリス、ヨーロッパに行ったきも、ヨーロッパのガイドさんは、この地域はドイツに爆撃された、この地域はされなかった、、というようなことを、言っていました。今年になって、米国の東海岸から西海岸へと行くために、パナマ運河を通過しました。その際に訪れたラテンアメリカの国々では、ガイドさんが、スペインによる植民地化の歴史を語りまして、特に、ヨーロッパからもたらされた伝染病で、ラテンアメリカの現地の人たちがなくなったことを、言っていました。

私のたどった船での道のりは、そのような、歴史をたどる旅であったのです。同時に、バケーションなので、楽しみながらリラックスしながら、めぐる旅です。でも、行く場所、行く場所で、そういう歴史の爪痕をたどることになります。

さて、サンディエゴを出て、8日ほど、えんえんと太平洋を横断しました。ハワイの最初はオアフ島です。オアフ島と言えば、パールハーバーがあります。爆撃の記憶がもちろん、まだ残っていました。

ハワイの次は10日ぐらいかけて、太平洋を西へ西へと進みます。日付変更線がありました。ちょうど、私の誕生日が近かったので、それが日付変更線を超える日が、誕生日であれば、今年は年をとらなかったことになりますが、そうはなりませんでした。

グアム島では、眺めの良い高い丘の上に行きましたが、そこから眺める景色は、米兵が、グアムと日本から奪い返すために、上陸作戦を展開したビーチが見えました。そこには、何人の米兵が死んだか、日本兵が死んだか、ローカルの人たちが巻き添えになったかが記録してありました。

次に、船が向かったものの、風の関係でいけなかったのは、サイパンです。サイパンは、港の条件が、他の港に比較して良くないようです。とても狭い範囲のルートしかないのですが、強風で、タグボートで支えながら導いたとしても、その細いルートからずれてしまうということで、上陸中止になりました。

そこで用意されていたツアーは、日本人が、多く犠牲になった絶壁でした。バンザイクリフと呼ばれていました。もちろん、米兵も、ローカルの人たちもなくなりました。そこへのツアーが予定されていて、私たちは、そのチケットを買っていました。

天候の問題で上陸ができなかったのですが、サイパンへ接近はしたのです。その時に、同時に見えた島が、広島、長崎へ原爆を落としたB29爆撃機が飛び立った島の、テニアン島です。

私は、美しい島々を訪れるこのクルーズのコースを楽しみながらも、この歴史をたどることになるわけです。

もし、自分が、40年、50年早く生まれていたとすると、これらの島のどこかに送られていたのだろうかと想像してしまいました。それをとらえて、幸運だったと思うべきなのでしょうか。

そして、神戸につき、鳥羽、横浜と移動し、新幹線で広島まで帰りました。

広島では原爆ドームを見学しました。上で書いた歴史の終結の場所だと言えます。

船からみた日本は島国で、とても美しかったのです。

戦場に散った日本人は、この島を離れるときは、きっと、この美しい景色を見たのだと思います。そして、その美しい祖国に帰ることができなかったのだなと思いました。もちろん、米国兵や太平洋の国々の多くの人も、亡くなり、その人たちの祖国にも帰ることができなかったわけです。

自分は、美しい祖国へ帰ってくることができました。

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