ノーベル賞受賞者の言葉から思ったこと
さて、昨日、ノーベル賞の受賞が日本で二人というニュースを聞き、NHKをぼ~と見ていたら、受賞者の一人のかたが、 数学は、答えが一つなので、好きだった ということをおっしゃった。私はこの言い方は、これまでに何度も聞いてきたが、いつも腑に落ちない思いをしていたが、今やっと分かった。 中学、高校で私が英語を好きだったのは、まったく同じ理由からだったのだ。英語だと、答えが一つしかなかった。国語もそうだし、社会もそうだ。 中学、高校で教えられる知識というのは、 文系科目においては、答えが一つしかないのである。 理系科目においては、答えが一つどころか、答えにたどり着けない。 これは、ノーベル賞のかたと全く逆の印象を私が持っているということになる。しかし、私の印象は正しいと思う。だって、例えば国語をとってみると、いつも答えは一つしかなかった。漢字の読み方、代名詞「それ」の指すものはいつも一つしかなく、試験でも、答えは一つしかなかった。 一方で数学においては、答えが一つどころか、そもそも、答えにたどり着けないのである。難しすぎて。今、私は、たまたま、高校の数学の教科書を持っているが、その1ページをスキャンして、ここに貼り付けれるものなら、貼り付けたいのだが(時間がない)、断じていえることがある。 その説明からは決して、答えにいきつかない。説明が難しすぎて。 だから、数学を勉強して、「答えが一つだから」とか、「明快だから」という印象にたどり着いたというノーベル賞学者の方に真顔で聞きたい。 一体、私と先生では何が違ったのですか?と。 このBLOGをお読みのかたのなかには、理系のかたがたくさんいるはずである。だから、ノーベル賞の先生に代わって答えていただけないだろうか? 私は田舎だから、数学の説明が難解だったのだろうか?塾に言っていたら、明快に教えてもらえたの? 謎は深まるばかりである。 ちなみに、私はこの10年ぐらい、アメリカの教育改革の評価の仕事をしていて、ずいぶん前だけど、アメリカ人の中学生相手にフォーカスグループインタビューをしたことがあるが、アメリカ人の生徒には数学が好きだというのが多い。 これは私には信じられなかった。え~~~~数学が好き? それってどんな感覚??? 昨日も、テレビでPRECIOUSという映画を見た。これはお勧めしたい映画だ。その主人公は、とても大変な環境にある女の子なのだけど、数学だけは好きだという。 しかし、私は今、統計とかデータ分析の仕事をしていて、関数をよく使うのだけど、結構、楽しいときがある。あるいは、仕事で、ユークリッドの公式を使ったことがあるのだけど、これも楽しかった。 その理由は、数字を入れたら、明快に答えが一つ出るからだ(統計だと、出てきた数字が、信頼が置ける数字かどうかまで出る。さらに、その信頼を示す数字が信頼が置けるのか、、、というのも、分かる。冗談みたいじゃけど、本当だ。)。 ありゃ、これは、ノーベル賞受賞者のかたが言っているのと同じではないか? しかし、中学高校と、私は数学の授業でそんなことを思ったことがない。根本的なところで、関数が何かが分からなかった。 でも、関数ってエクセルでやればグラフみたいになるやつでしょう?数字入れたら答えがでるやつでしょう? でも、広島の田舎で数学をやって、まさか数学とはそんなものだとは思わなかったぞ。 XとかYを入れ替えて、色々となぞなぞみたいにするもので、得意な人にしか出来ないものだとおもっていた。 まさか、そんな面倒なことを好きな人がいるなんて想像もできなかった。 一体何じゃ、こりゃ。誰か説明してくれ。 今は、思う。 証明せよ、なんて問題があったが、手も足もでなかった。しかし、今は思う。先生よ~、あんたら、別に、なんか数学の発見したわけじゃないじゃろ。じゃあ、証明とか、もうええじゃんかよ。誰か、えらい人がもう証明しとるんじゃろ。それをなんで、ワシらが再証明する必要があるわけ?なんか頭がよくなるん? それより、実際にエクセルとか使って、どうやって数学を使うのか?を教えてくれたら、意義がよく分かるし、また、じゃあ、証明もやってみようという気になるんじゃない? ** さて、最初のほうで、文系科目でこそ、答えは一つと言ったけど、これ事実上、本当ですよね。社会の試験受け手、やっぱり、答えは明快だ。しかし、ここに根本的に問題があると思う。教科書で事実を覚えるというのは、時代おくれじゃろう。1年かけて講義せんでも、1、2週間かけて、自分らで教科書よみゃ、終わることなんじゃないん? もっと面白いことしたほうがええにきまっとる。 生徒も生徒で、お前ら、聞いたふりしとるじゃろ? 先生のほうは、これが試験に大切ジャと思って講義しとるんじゃけど、生徒はそれ聞いたふりしてぼーとしとるだけじゃと思う。 わしがそうじゃった。 でも、なかに先生をよく見て、うなずいたりするやつがおるんよ。きいとらんのに。 ワシが張本人じゃけど。 *** 最近、ジムでいろんな運動をしていて思う。なぜこれを体育でやらなかったのかな? 歌を歌っていて思う。なぜ、歌唱法の指導がなかったのかな? 疑問だらけだ。 これって広島の田舎だからか? いや、同志社の体育の授業だって、卓球をとったけど、ただ単に、卓球で遊ぶだけだった。 同志社の英文科の授業だって、購読と称して、ただ単に訳すだけだった(例外はある)。 う~ん、恐ろしいが一つだけ、思いつく点がある。これらの教授法は、先生が楽が出来るということだ、、、。 1冊の本をえんえんと、先生が1年かけて解説する授業が英文科ではあった。英作文法みたいな授業だ。今は思う。 なんか変じゃないか? 日本語の本なのに。 いや、学生のほうももっと変だ。聞いた振りして、ぼ~として、適当に時間をすごすと。最近では携帯電話などで遊べるので環境はよくなったかもしれないが、、、。 聞いてるふり、分かったふり、いつまでします? アドリブ英語で喋ってみました。www.estat.us/blog/nobel.mp3
久しぶりに音声コメントできました。
実は、先週は過激に忙しかったのです。なんと連日徹夜でした。3時間ぐらいしか毎日寝れなかったほどです。職場の仲間も一緒に連日2時や3時の仕事をしていました(家で仕事をするわけですが)、夜中にメールが行きかったりで、いい意味で連帯感が生まれました。 時間ができたので、録音しました。 KENJI Nさん http://eigonodo.seesaa.net/ http://www.estat.us/blog/kenjiN_10_03_2010.mp3 http://www.estat.us/blog/kenjiN_10_07_2010.mp3 http://www.estat.us/blog/kenjiN_10_10_2010.mp3 ENGLISH PATIENTさん http://ashrafieh.seesaa.net/ http://www.estat.us/blog/englishpatient.mp3 英語喉1号さん http://nodo1gou.at.webry.info/ http://www.estat.us/blog/nodo1gou_32.mp3 GOOGLEして、見つけたら、音声コメントをつけているので、GOOGLEで引っかからない場合、私が、UPされていても知らない場合があるので、そのときは、ご連絡ください。
なぜ喉発音マスターの後でも口発音ぎみになってしまうのか?声が小さいことと、息の関係
さて、何回か、最近、セミナーをしていて気がついたのですが、参加者さんの声が小さいときがあります。そして、そのときに、声を大きめにしてくださいと言っても、声が大きくなりません。 声を大きくしてください と御願いしても 声が大きくならない、、、 ということは、喉発音の要請である、脱力と、声を大きくするというプロセスが、日本人の体のなかで矛盾しているからだと思います。 日本人にとって、声を大きくする=喉に力を入れる、、、だからです。 そんなときは、息を大きめにすることで声を大きくします。 さて、もし、弁当BOXのUPをされるときは、声を出す前の息継ぎの音も録音してみてください。ひゅーと息を吸っている音を録音してみると、息を大きくすることを忘れませんから。 さて、私はジーナの父さんと母さんが1週間来ていたので、よく自分で分かったのだけど、口発音になってしまうときは、それは、息をたくさん使っていないのが原因だということを強く感じました。口発音になると、ネイティブの顔がちょっとゆがんで、?って感じの表情になります。 英語の語彙にしても、文法にしても、普通にあやつれる私が英語を喋っていても、ちょっとでも口発音になると、え?って顔になるのです。ネイティブの顔が。 その原因は、おそらく、私の声が根本的に小さいこと。息の使いかたが少ないから。で、その声の小ささをカバーしようとすると、口のほうが固めになってしまうーー>口発音度が高くなる。 だから、根本的に息をたくさん吸うところから直さないといけない。そうすると声が大きくだしやすい。すると、口に頼らなくなります。 息のことを考えて、実は、あることを思い出しました。私のおばあさんがなくなったときのことです。最後に病院をたずねたときに、おばあさんは、麻酔が効いていたのだと思うのですけど、寝ていました。ただ、息がとても大きかったのです。私はその息は、おばあさんが苦しんでいるからだと、思い込み、とてもかわいそうに思いました。 でも、今、英語喉を経験し、またネイティブと暮らし、分かるのは、息が深いのが普通だということです。だから、おばあさんは、苦しんでいたのではなくて、麻酔が効いたので、大きく息をしていたのだと思います。 これはもう30年以上前のことなのだけど、おばあさんは最後のとき苦しんでいたのではないと今分かって、ちょっと救われたような気になりました。 日本人は、普通、体を緊張させています。だから息が浅い。 しかし、このことは、本当に私達の根本的な特徴ですから、なかなか直らない。だから、息が浅い。すると声が小さめ。それを大きくしようとすると、力が入り、口発音度が高まります。 だから、根本的に、息を大きく吸うところからはじめる必要があり、またそのためには、姿勢もちょっと工夫がいります。このあたりは英語喉の最初を参考にしてください。