大学時代の留学中に理解できなかった部分が今では当たり前のように聞こえて赤面

中学のときにVAN HALENというロックバンドが好きになって、ずっと聞いていて、DCでは一度コンサートを観にいった。「えぶりばでぃわんとさむ」という歌があり、中学のときは、以下で紹介する部分が全然聞き取れなかった。

大学のときに、アメリカに来て、そのときも聞き取れなかった。たまたま、ホームステイしていた家の親戚に10歳ぐらいの子がいて、これ聴き取れる?と聞いたら、当たり前のように繰返していたので、やっぱりネイティブなら聴き取れるのだなと納得していた。

10年前に英語喉に出会い、シラブルを聞く、喉の音色をきくというやり方で英語を話し始めたが、今、この部分(以下のURLをクリックすると、その部分から始まります)が、当たり前のように聴き取れる。そしてその内容が10歳の子に聞かせるものではないということに気づき、赤面。

皆さんはいかがですか?英語喉をされておれば、聞ける人も多いと思います。英語喉をされていなければ、おそらく無理かな?(答えはこちらから http://www.azlyrics.com/lyrics/vanhalen/everybodywantssome.html )

強弱、音程が大切なのは日本語なのです

70年代ぐらいまで運動中は水を飲まないようにと指導があり、真とされていたけど、今ではナンセンスです。英語を喋るということに関しては、今でも、真とされていて、これを疑問視すると、何か精神を病んでいるのではないかと思われること、、それは、「英語を話すときに、抑揚をおおげさにつけるとよい」という言い方です。というか、疑問視さえもされていません。

英語というのは、音程、強弱が意味、伝わり度にまったく関係しない言語なのです。もし音程が大切だったら、英語のミュージカル、オペラは存在しないことになります。メロディーや強弱によって、伝わりかたが変わるなら、英語は音楽には使えないということになりますよね。

強弱、音程が大切なのは日本語なのです。

橋と箸の違いは音程、抑揚で決定されますよね。

音楽でも日本語だと、「うさぎおいし、かのやま」が、ウサギがおいしい山なのか、ウサギを追った山なのか、、微妙にわかりにくくなります。
英語では、I love youをどんな音程で読もうと根本的に(辞書的には)、意味が変わりません。

日本語で抑揚が大切だから、英語でも大切だという論理は、それはNHKの英語講座でネイティブナレーターさんが、英語を日本語の抑揚で読んでしまうことも原因しているかもしれません。

が、根本的にはなんらかの勘違いでしょう。

静かな日本人と、えんえんと話すアメリカ人

学会で日本人の人たちと話していて面白かったこと。

分かりやすいように話を単純化して、ポイントを明確にするために少し創作してみます。
Aさんはアメリカに長く住んでいる日本人。Bさんはアメリカで生まれて育った日本人、、というかアメリカ人。そして私(Aさんと同じタイプ)。

全員、英語はネイティブレベルで話すことができます。

3人で日本語で話しているときは、皆が平等に、順番に話しています。

ところが、英語になると、突然、アメリカで育ったBさんが、えんえんと話しはじめ、日本人は聞き役に回ります。
全員、英語が話せますから、英語力の問題ではありません。

なぜでしょうか???

それは、日本人は、相手のうなづき、相槌を期待して話すので、言う文章がとても短いのです。そして短い発話の最後で音程が上がります(相手には質問をしているように聞こえるかもしれません、、じつは、相槌を求めているだけなのに)。

アメリカで育ったBさんは、その部分で、相手が話し終えたと思ってしまい(あるいは意見を求められたと勘違いして)、話しだします。

Bさんはアメリカで育ったので、えんえんと大きな声で話します。

日本人は相槌をうつので、Bさんは、自分の話を熱心に聞いてくれていると思って、えんえんと話します。

日本人は、えんえんと話すBさんの発話がどこで終わるのかが、わかりにくいので、えんえんと聞き続けることになります。
では、日本で育った日本人としてはどうしたらよいのでしょうか?

アメリカで育ったBさんの音程とか息の流れを聞いていると、発話が切れそうなところ=息が終わるところ=音程がだんだんとさがっていって、一番低そうなところが、わかります。

内容的にも終わりなところ。

その時が、発話のチャンスなので、息を吸います。

息を吸う相手をみて、アメリカ育ちのBさんは、「あ、相手が話し始めるな」と察知し、話す権利を渡してくれます。

アメリカ人が自己主張が強いとか、話す訓練ができているとか、論理的な思考をしているとか、そういう問題ではないと私は思います。

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