February 2010

語ることの不可能なもの

1シラブルの単語にはアクセントの位置がない。 本来ならば、従来の音声学パラダイムは、あせらないといけないはずだ、、、。 どうしよう、そんなのこまる! アクセントの位置を間違うから日本人の英語が通じないのだ、、、としたいと思う。従来の考えかただと。 ところが、英語には、履いて捨てるほど、1シラブルだけの単語がある。 日本語で言えば、胃とか、蚊とかが1シラブル語で、結構、珍しいと思うが、英語ではどうだろう? I AM FROM 、、、 HE IS COOL HOW ARE YOU? に現れる単語の全てが、1シラブル語である。 アクセントの位置はどうなるのか? え、ないの? じゃあ、1シラブルの言葉だけ使えば、日本語英語でも通じるの? 従来の音声学パラダイムは、こういう質問に答えることができない。昔からあるパラダイムでは全く、それについて語ることができないほどなのだ。 つまり、アクセントの位置がどうのこうのと一喜一憂するのはナンセンスなのである。 2シラブル以上の単語のときに、アクセントが大切になるの?1シラブルはOKなの???、、、ちょっとおかしくないか。 他にも、従来の考え方では、全く答えられないものがたくさんあるが、従来のパラダイムは、それらを無視しているように思える。もしかしたら、これこそが、現代思想のいうところのパラダイムの外、、、語ることの不可能なもの、、、なのかもしれない。 COLDのOは従来の発音記号ではOUと書く。CAUGHTとかDAWNの最初のところは、ちょっと書きにくいのだけど、かぶと虫の幼虫のような記号を従来の辞書は使っている。一番近い記号を今使っているキーボードで書くと、)かな。ちょっと苦しい。):みたいな感じだ。 この二つのオが実際発音が違うのかに関して、従来の音声学は意見を持つことができない。誰にも分からないのである。 パラダイムが全てを説明しているように見えて、簡単なものでさえ、見逃してしまっている点だ。 ちなみに、日本人のための英語音声学レッスンの牧野先生は、以下のように説明しているが、どうやったらその音が出るのかという直接の説明はないように思える。 45ページ引用 ): VS OU (KAZ:ちょっと表記がラフですが、発音記号のフォントがないので、すまん) 、、、ただし、アメリカでは特に舌の位置が低いため、音声的には(aをひっくり返した記号、、、KAZが挿入しました)になる。一方OUはOからUに向かう二重母音だが、二重母音性を失ってO’になることも少なくないので、両者の違いは主に口の開きになると考えたほうがよい。またアメリカの西側3分の2では、)が唇の丸めを失って、aと同じになる発音が普通で、さらに広まる傾向があるため、強いて、)の発音を学ぶ必要はないかもしれない。そうすれば、この区別を問題にする必要はなくなる。 引用終わり。 唇をまるめて発音すると ) の発音ができるということであろうか?口の開き具合でOUのOと)の発音の区別ができる、、、のであろうか????????? 思うに、伝統的な音声学パラダイムにとって ) の存在は、本当にいやな存在だ。説明したくても、できない存在だからだ。 アメリカでは使いません、、、というようにおっしゃっているように聞こえるのだが、何か、直接の説明をさけているだけのように私には思えてしまう。 実際に、口の開きがOUと)の違いを説明できるのであれば、何億と存在するYOUTUBEの動画のなかから、そのように発音しているネイティブの動画を示せばことが足りると思うのだが、、、。実際は、口の開き具合は、表情なので、音には影響しない。 しかし、従来の音声学パラダイムには、マジックカードがあるのである。それは 異音 というコンセプトだ。 ネイティブが実際に、音声学パラダイムに書いてあるように発音していなくても、「あ、それは異音です」と、納得することができる。 つまり、音声学の描写する個々の音は、抽象的な一つの描写であり、それからDEVIATEする音があったとしても、それは異音ということで納得するのである。 例えば、この人は(引用先に張ってある動画を見てください)、口元をほとんど動かさずに完璧な北米英語を喋っているが、そういう人がいても、従来の音声学のパラダイムはびくともしない。異音です、、、となるからである。 http://blog.livedoor.jp/hiyoemongoodjob/archives/51482825.html

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英語教育の批判理論へ  英語教科書言説の脱構築の試み

 100%の聞き取りができ、英語も日本語と同じように喋れて使える(読める、書ける)立場から、ひさしぶりに、日本の英語の教科書、中学1年用を、トイレで読んだ。   まずスキットがあって、そのあと、ルールの説明がある部分が、、、これは前から気がついていたが、何かおかしいとおもった。スキットには色々雑多な語や、文法みたいなのが混ざっている。本来ならば、まずルールを説明し、そのルールの特性、使い方を示すようなものを読むべきである。これは、日本の教育文化の特徴だと思う。まずは、やってみよう、、、的な感じで、なにか雑多なものにとりくませておいて、あとから、ルールを説明するスタイルだ。実際は、スキットといってもリーディングでもなんでもないものなのだけど、この構造をとることにより、何か、内容が濃いものに見えてしまう。実際は、教師に、生徒だけの読みでは理解しにくい何かすることを与えるという機能がある。   なぜルールから始めないのか?それをすると、文法の授業になってしまう、、、ということだ。しかし、リーダーのクラスというのは何なんだろう?海外においては、外国語の教え方に関して、そこまでの細分化はない。   実は、今日のテーマは上のことではない。  トイレで読みながら、ある表現がとても気になった。  Do you like music? Yes, I do.  Do you like soccer? No, I don’t.   日本の中学生なら誰でも勉強する、YES+I DO. NO+I DON‘tだが、これが非常に不自然だ。   本当の会話ではYESとか、NOで対処できそうだ。そういう言い方をしても間違いではないのだが、100通りぐらいありそうなもののなかのひとつのパターンにすぎない。   しかし、YESのときは、DOね。NOのときはDON’Tね、、、という風な、文法的なテスト項目となり、英語ができる生徒と、英語ができない生徒を分別化する装置となる。   いや、実際は、YESだけでいいのだし、実際、YESだけのほうが正しいと思う。 しかし、なぜYES、I DOでないといけないのか?   それは、日本語で考えたときに、I DO的なことを足さないと、変だからではないだろうか?   寿司、すきですか? はい   では、日本語では機械的すぎる。はい、、、は微妙に、「はい、聞いています」という意味であり、そのとおりです、、、という意味でない可能性を日本語では残す。 寿司、すきですか? はい。好きです、、、   といえば、比較的自然である。   日本語で考えて、自然であるから、それを英語で再現し、本来ではYESでよいところをYES、I DOが正しいとするのではないだろうか?そして、それをテストにおけるポイントとし、英語ができる生徒とそうでない生徒をつくりだしていく。   実際は、そういう表現をあまり使わないということもあり、英語が本当にできるかどうかに関係がないのだ。   1. 日本語でそういうから、、、という日本語の事情を英語にIMPOSEすることで、知識を構築しているのではないだろうか?   2.そして、その知識は、たまたま教えやすい、使いやすい、、、と。   […]

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英語喉 増刷 6刷め

三修社さんのサイトです。 http://www.sanshusha.co.jp/np/info.do 皆さん、いつも応援ありがとうございます。音声UPや体験談をよせてくださるかたがたも、増え、最近では、「著者がよいレビューを自作自演でやっている」とは言えなくなったと思います。バッシングをされていたかたがたも、ぜひ、もう一度挑戦していただきたいと祈っております。

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