100%の聞き取りができ、英語も日本語と同じように喋れて使える(読める、書ける)立場から、ひさしぶりに、日本の英語の教科書、中学1年用を、トイレで読んだ。
 

まずスキットがあって、そのあと、ルールの説明がある部分が、、、これは前から気がついていたが、何かおかしいとおもった。スキットには色々雑多な語や、文法みたいなのが混ざっている。本来ならば、まずルールを説明し、そのルールの特性、使い方を示すようなものを読むべきである。これは、日本の教育文化の特徴だと思う。まずは、やってみよう、、、的な感じで、なにか雑多なものにとりくませておいて、あとから、ルールを説明するスタイルだ。実際は、スキットといってもリーディングでもなんでもないものなのだけど、この構造をとることにより、何か、内容が濃いものに見えてしまう。実際は、教師に、生徒だけの読みでは理解しにくい何かすることを与えるという機能がある。
 

なぜルールから始めないのか?それをすると、文法の授業になってしまう、、、ということだ。しかし、リーダーのクラスというのは何なんだろう?海外においては、外国語の教え方に関して、そこまでの細分化はない。
 

実は、今日のテーマは上のことではない。
 
トイレで読みながら、ある表現がとても気になった。
 
Do you like music?
Yes, I do.
 
Do you like soccer?
No, I don’t.
 

日本の中学生なら誰でも勉強する、YESI DO. NO+I DON‘tだが、これが非常に不自然だ。
 

本当の会話ではYESとか、NOで対処できそうだ。そういう言い方をしても間違いではないのだが、100通りぐらいありそうなもののなかのひとつのパターンにすぎない。
 

しかし、YESのときは、DOね。NOのときはDON’Tね、、、という風な、文法的なテスト項目となり、英語ができる生徒と、英語ができない生徒を分別化する装置となる。
 

いや、実際は、YESだけでいいのだし、実際、YESだけのほうが正しいと思う。
しかし、なぜYESI DOでないといけないのか?
 

それは、日本語で考えたときに、I DO的なことを足さないと、変だからではないだろうか?
 

寿司、すきですか?
はい
 

では、日本語では機械的すぎる。はい、、、は微妙に、「はい、聞いています」という意味であり、そのとおりです、、、という意味でない可能性を日本語では残す。

寿司、すきですか?
はい。好きです、、、
 

といえば、比較的自然である。
 

日本語で考えて、自然であるから、それを英語で再現し、本来ではYESでよいところをYESI DOが正しいとするのではないだろうか?そして、それをテストにおけるポイントとし、英語ができる生徒とそうでない生徒をつくりだしていく。
 

実際は、そういう表現をあまり使わないということもあり、英語が本当にできるかどうかに関係がないのだ。
 

1.
日本語でそういうから、、、という日本語の事情を英語にIMPOSEすることで、知識を構築しているのではないだろうか?
 

2.そして、その知識は、たまたま教えやすい、使いやすい、、、と。
 

つまり教える側の都合で、基本とされる構文が構築されている、、、これが私の仮説である。
 

さて、アクセント問題も同じ事情だと思えるページがこの教科書にはあった。身の回りの絵が描いてあり、日本語での呼び方と英語の呼び方でどう違いますか?と書いてある。例えば、バスケットボールだ。英語ではバのところに(ありゃ、バのなかに含まれるAのところに)、強調の印がついている。
 

日本人教師が発音ができないとすると(恥じることではない。口発音であれば、正しい発音ができないのは、個人の恥じることではないからだ。口発音では、正しい発音が不可能なのである)、この強調の印がないと非常に困ってしまう。
 

どのように英語と日本語の読み方を区別したらよいか分からない。
 

しかし、強調の印があるからこそ、英語だとBASKETBALLを読むときに、BAAのところを強調すれば、日本語とは違って聞こえるだろうし、生徒に対して、堂々と(?)、何かを指導することができる。

試験にでるぞ!といっておいても、効果的だ。
 

実際には、BAAだけを強調するのは、ネイティブでも不可能なのだが。そんな細かいことをしながら喋れないからだ。
 

これまた、教える側に都合がよいから、強調という制度的指導法が存続しているのではないだろうか?
 

また、日本語では大切な強調(というか音程の上がり下がり)を英語にもIMPOSEしているのだ。
 

またしても二つのことが当てはまる。
 

日本語でそういうから、、、という日本語の事情を英語にIMPOSEすることで、知識を構築している。
 

その知識は、たまたま教えやすい、使いやすい、、、と。
 

つまり教える側の都合で、教えるための知識が構成されている。
 

学ぶ側のために知識を再構築するべきではないだろうか?
 

そのためには、英語喉と機関銃英語を、英語の先生たちにマスターしていただきたいと思う。
 

ところで、JET制度が始まって、20年ぐらいになるのではないだろうか?私が大学のとき、つるんでいたアメリカ人たちが、JET1回生だったと思う。
 
20年たって、この英語のアクセント指導などに異議を申し立てたものがいないのか?


 
JETの先生達は、全然、こういう点に関して、影響力を持たないだろうか。
 
一体、どんな制度なのだ?????

いや、JETの先生が、アクセント問題なんて、ナンセンスだと抗議した所で、ほらね、ネイティブには自分の言語を客観的に見ることはできない、、、というステレオタイプを大増幅してしまうだけなのかもしれない。
 

英語喉と機関銃英語をすることで、どんなに英語の授業が楽しくなるだろうか????

聞けて分かれば、YESのときにI DOじゃないといけない、、、なんて知らなくても、英語ができるようになるし、そもそも喋っているうちにそんなことは分かってくる。
 

英語が楽しくなりすぎて、そんな楽しいもので受験があっていいのか、、、という声が親から上がるだろう。
 

そういえば、例えばアメリカではそもそも入試がないが、外国語で受験し、人生を左右されるなんていうことがない。
 

そんなことがあるなら、暴動が起こるだろう。
 

馬鹿にするんじゃない。
 

なんで外人の言葉でワシらの子供の人生を左右するのかと。
 

従来の英語教育批判は、表現が古いとか、実際は使わない、、、というような観点からなされたものだから、ラディカルではなかったし、実際の制度はびくともしなかった。しかし、英語喉パラダイムからのCRITICAL THEORYは、どのように、制度を倒していくだろうか。根本的なパラダイム、知を知の体系とする、つまりニーチェ的な言葉でいえば、知への意志とでもいうような根本の部分に批判を加えるのが、新しい時代のCRITICAL THEORYだと思う。

 

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5 thoughts on “英語教育の批判理論へ  英語教科書言説の脱構築の試み

  1. アキ says:

    カズ先生、ご無沙汰致しております。
    今日の記事で気づいたのですが、英単語のアクセント記号が、日本の英和辞典には載っていて、オックスフォードなど本場の英英辞典には載っていない理由は、やはりネイティブは意識する必要が無いということなのでしょうか?

    私自身、英語喉を少し習得して以来、アクセント(ストレス)部分は意識して強く言う必要がなく、自然に他の部分よりも聞こえるように感じていました。
    そして、昔は学校で「英語アクセントは名前動後(名詞が前で動詞のときは後の方)だ」と覚えさせられていましたが、これも必ずしもそのようにしなくても良いという感じがしていますが、実際はどうでしょうか?

    アメリカ人に聞きましたが、変な口発音の英語しか喋れない日本人の場合は、各単語のアクセント部分を強めに言わないと、普通のアメリカ人には聞き取れないそうです。「ハンバーガー」の最初のハの母音のアを強く言うと、アメリカのファーストフード店員も日本人客の注文が理解できるそうです。

    結局、日本の英語教育にアクセント問題が存在するのは、口発音しかできない日本人のための苦肉の策なのでしょうかね。喉発音ができる人の場合は、単語のアクセントの位置など意識すること自体が、ナンセンスではないでしょうか?

  2. NipponDream says:

    面白い指摘です。私の持っている辞書にもアクセントはついていません。

    他の外国人の使う英語辞書はどうなんでしょうね。例えばギリシャ人が使う英語辞書にいちいちアクセント記号があるのでしょうか、、、、このあたり、時間のある英文科の学生さんとか英語教育指導を専門としている学生さんとかが、調べてくれたらありがたいですね。

    しかし、本当ですよね。口発音でカタカナ的に発音するなら、確かに、アクセントの位置があるような幻想にとらわれます。

    さて、以下は、TIGER WOODSが最近のスキャンダルであやまっている記者会見の動画です。

    http://www.youtube.com/watch?v=uc02ZEPJuF8

    18秒、19秒あたりに、BEHAVIORという単語が出ます。なんとなく、日本の辞書では、HAVのところにアクセントがあると教えそうですが、タイガーはBEHも強く発音しているように聞こえます。

    HIROさんも、ビヨンセがこないだ賞をとったとき、AMAZINGという発音で最初のところを強調していたと報告してくださっていましたね。

    このように、アクセントの位置というのは、規則的なものではなく、その時の気分による、、+喉発音+3ビートによる音の絡み合い、、、です。辞書で調べて覚えるようなものではありません。

    単語のアクセントの位置で一喜一憂するのは、ナンセンスです。

  3. NipponDream says:

    >アメリカ人に聞きましたが、変な口発音の英語しか喋れない日本人の場合は、各単語のアクセント部分を強めに言わないと、普通のアメリカ人には聞き取れないそうです。「ハンバーガー」の最初のハの母音のアを強く言うと、アメリカのファーストフード店員も日本人客の注文が理解できるそうです。

    強く言えば、ハンのところが、1シラブルっぽくなるから、シラブル数が比較的正しくなるのではないでしょうか。偶然。強く言わないと、微妙に2シラブルぽくなるかもしれません。口発音だと。

  4. あきひろ says:

    twitterを始めるようになって「あ、会話ってこんなコマギレで十分なんや」て事に気付きました。
    確かに語彙は必要ですが、日本人同士の日本語の会話でも「そうなん?」「そうやで」(神戸弁)で済むわけですよ(笑)

    yep, nopeで会話も成り立つし、疑問文でも特に順番が多少おかしくても通じてる?と思っています。

    発音ベースで単語を崩すので、英語喉の「発音記号アルファベット」を読むような感じで読むことが出来ます(笑)

    先日、巨人のキャンプ風景でクルーン投手が「ハンバーガー、ケチャップの発音は日本人はおかしい」と真似してました。
    ハンバーガーは「ガー」を強調、ケチャップは「プ」を強調して真似してました。

  5. NipponDream says:

    文は、確かに書くときに使いますが、実際に使うときは、もっと短い単位で使うことが多いです。もちろん、喋るときにも、文を使いますけど、英語教材にあるイメージで、最初から言うことがあって、それを文として頭でつくって、それを言っているわけではありません。

    そういう意味で、生成文法というパラダイムで、実生活では、誰も言わないような、全然、勘違いしないような文をもってきて(例 HE RAN AFTER THE MAN WITH A GUN)、あ、これは二つの意味があるなあ、、、と主張するのは、意味がうすい。

    実際には、全然、そんな勘違い、1億年に一回ぐらいしか起こらないものを持ってきて、ね、言語って豊かでしょ?とか言われても非常に困るわけです。

    生徒のほうは、先生、そんなんええから、英語しゃべれるようにしてーやーとか思っているわけです。生徒も、長く生徒をやっていると、面白いふりをすることに慣れてしまっていて、そういう話を聞いて、先生面白いです、、、みたいな顔をしながら、頭のなかでは、別のことを考えていたりするわけです。

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