May 2009

役に立つことが大切に違いない

よく学問はすぐに役に立たなくてよいとか、教育はすぐに結果がでなくてもよいという言い方を聞くが、私は、やはり、すぐに役に立ったほうがよいに決まっているといつも思っている。いつも自分が書くことなどが役にやったらよいなあと思っている。 昨日、マレーシアの3人の人から連絡があり、私がしばらく書いているラッシュモデルという統計手法に関するエッセイが役に立ったよと連絡があり、論文に引用したよと連絡があった。それから連絡しあいましょうということで、LINKEDINというサイト(アメリカ人が使っている就職のためのネットワークづくるのためのソーシャルネットワークサイト)でコネクトしようと要請があったので、そうした(MIXIでいえばマイミクというやつですね)。 でマレーシアの大学の先生達が以下を見せてくれた。そういえば私が英語のWEBSITEで書いているエッセイを引用してくれている。 http://portal.acm.org/citation.cfm?id=1416545  そもそも、私が、こういう統計学に関するエッセイをこつこつと書いているのには一つの理由がある。それは何かと言いますと、こういうことです。 私自身がこれらの統計モデルを勉強するとき、とても大変だったのです。挫折感を味わいながら勉強したんです。シカゴ大学で授業で統計の先生達の言っていることがさっぱり分からなかった。 でも、自分で統計をやるようになって10年以上にもなると、さすがに分かってくる。どんなに私がアホだったとしても、やはり10年以上もやっていれば分かってくる。さらに、大きなPICTUREも見えてくる。 そんななかで、えー、ラッシュモデルって、単なるロジスティック回帰モデルだったの?というようなことも分かってくる。 そんなら、そうと最初っから言ってくれればいいじゃないか!と反抗したくなる。当時の先生がたや、教科書に対して。 もちろん、先生がたからみれば、「いや、それは言ったじゃないか」というだろう。でも専門用語が多すぎてわからんかったのだろう。 そういう思いを今から勉強する人達には思ってほしくないという思いがあるので、できるだけ分かりやすいようにと統計に関するエッセイを暇なときに書いてきた。 例えばだが、心理統計モデルに関する日本語の本を持っていて、その宣伝文句としては、分かりやすいとか、言いたいことが書いてある。気持ちは分かるのだが、入門書なのに、入門者には分からないということが、今の私が読むとよく分かる。 だから、入門しようと思っても、きっとあきらめる人がたくさんいるだろう。 できれば、そういう人を助けたいというのが思いだ。 独り言 (いや、本質的には、人助け?知識の共有?みたいなことができなければ、自分の人生(統計学を理解もできずに、もんもんと勉強した時間のこと)がなんだったんだ?となってしまうのがいやなのかもしれない。ここで、逆に、「学問には王道はない」とふんぞりかえり、「まずは自分で調べてから来い」、「あなたには10年早い」「基礎を押さえてからにしろ」などと言えば、自分が賢いふりができるかもしれないが。) もっと言うと、最近では、教育を受けられない人がたくさんいるし、学校に、親に大金を払ってもらいながら、行っていても、授業がわからん人がたくさんいるだろう。 それが非常にくやしい。 じゃあ、自分が統計モデルが分かってる部分で、それをSHAREしたいというのが思いである。 たまたま私の場合、親の理解と応援があり、長い間勉強させてもらい、たまたま統計モデルやらリサーチメソッドが分かったので、分かる限り、分からん人の助けをしたい。 特に、こういうことを理解するのは、頭がよい悪いということは関係ないのだということを、結果で証明したいのである。そもそも頭がよい悪いと思っていることじたいが、その時点で頭がよいと思われている人達(脳がどうのこうのと言っているインテリの人達とか、試験問題で頭を活性化するとか言っている人とか、声に出して文を読めとか言っている人達)の陰謀(に近いもの、、、自覚は無いと思うが)であることを結果で示したい。 そういえば、SASというソフトに関しても色々書いてきたのだが、それもちょっと役にたったようで、最近SASのニュースレターで紹介してもらった。しかしSASというのは、値段が張り、大学に属しているかじゃないと使えないのが非常に不満だ。お金がないと使えないという足かせがある。 http://www.sas.com/offices/asiapacific/japan/periodicals/technews/pdf/09win.pdf  9ページに、平田先生に私のSASを使ったマルチレベルモデルに関するエッセイを紹介してもらいました。これは(私のエッセイは)英語なので、色んな国の人からメールで質問を受けます。 思うに、中学のとき、ある友人にそそのかされて数学の時間に「早弁」をしました。その友人とともに、先生に呼び出されました。そしたらその友人が、「わしゃ、数学なんかいらんのじゃ。なんの役に立つのか」とすごんだんです。相手が新米の先生だったので、大きく出たんだと思います。そしたら、先生が、なんもよーゆわんかったんです。 こらあー、数学なんて、ものすごい役に立つじゃないかい。 そういうのがちゃんと生徒に説明できんといかんと思うんです。 教育はすぐには答えが出ない、、、といいますが、それは言い訳ではないでしょうか。  

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YASさんの英語音声UPにコメントしてみました

YASさんからコメントをいただきました:  ***  Yasと言います。数年前にも何回かやり取りさせていただきました。BentoBoxを読んでアップしてみました。主観的にはもっと上手なんですが、まあ、こんなレベルですね・・。アドバイスをよろしくお願いします。 http://www.youtube.com/watch?v=EmH1TTyfQgA   ***  さてこれに対してコメントしました。 3ビートもよくできているし、喉発音もよくできています。弱点は、その他のかたと殆どIDENTICALで、ゲップエリアの発音がときどき浅くなっているところがある。解決方法は、ゲップエリアの定位置化です。 http://app.sightspeed.com/vm/ljy3yw5yk1wq74qf7gg3z9w2dxfh8xdw/ljxi/ja_JP/1/ (一部音が悪い。ごめん。) AREのRとBEFOREのRが出ていないのは、ゲップエリアウンヌンじゃなくて、忘れたから?かな。日本語・カタカナにすると「-(伸ばす記号)に当たるので、忘れてしまうことがあってもおかしくない。これは厳密には、発音ができないとかそういうことではないですね。 とはいえ、ゲップエリアを定位置化しておれば、Rは忘れにくいです。というのは、他の音に比べてRは定位置発音なため、忘れにくいのです。 THEがZAになっているのは、舌に力がまだ入っているからだと思います。もしかしたら息が止まっている?喉のほうがしまっている可能性ある?息がするーっととおっていますか?これはTHEだからということではなくて、全ての音でそうなのだけど、THEは舌の位置が微妙ということがあり、緊張?して喉ブレーキがかかっているとか? 音でアドバイスしてみました。 www.nippondream.com/blog/the.wav  

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リスニングの教材とは <機関銃英語が聞き取れる!>

今度の「機関銃英語」だが、シラブルを聞き、喉を聞く、そうすることで機関銃に聞こえた英語を、人間の言葉に聞こえるように、という企画である。ボンボンボンのシラブルを集中して聞きましょうということだ。 この対極になるのが、いちいち単語を覚えてこんでしまいましょうというようなアプローチだろう。個々の本当に存在する単語3千個、4千個、5千個を頭に叩き込んでしまおうというようなアプローチだ。 英語喉のアプローチというのは、その単語が存在しなくても、あるいは、英語じゃなくても、聞き取ろうというものだ。実際、著者の一人である私は、スペイン語やフランス語などをあまり勉強していなくても、行き交う人々のヨーロッパ言語が頭にはいってくる。こないだ日本で奈良に行って大仏をみたのだが、フランス人がたくさんいた。フランス語が意味はわからんが、音としては、がんがん頭に入ってきたぞ。スペイン語も聞いたが、恐ろしいほど理解できた。聞こうとして聞いているのではないのに。ネイティブ同士が喋っている機関銃のような喋りだったのに。日本人用ではなくて。) 英語を勉強しているアメリカ人を想定してほしい。ある日、日本で、ある新しい言葉が出現するとする。たとえば、「得る」という意味で「ゲットする」と誰かが言い出したとする。 するとそのアメリカ人は、その言葉が聞き取れないだろうか? いや、聞き取れるのである。3ビート言語を喋る人類には2ビートの音が容易に聞き取れるからだ。 「おはよう」が聞き取れるのだから、「はおよう」も聞き取れるのである。 じゃあ、英語を勉強している日本人はどうだろう。ある日、なんらかのスラングで、(適当に作るが)、GEBLEEという言葉がはやるとする。すると聞き取れるだろうか? 古いやり方でリスニングの勉強をしている人には聞き取れない。その単語を今まで勉強したことがないからである。そもそも、知っている単語でさえ聞き取れないのだから、知らない単語が聞き取れるわけがない。 しかし、英語喉のやりかたでやれば、聞き取れるのである。GEB-LEEと頭に入ってくる。そしてその意味を知っているかどうかは、聞き取りとは違う次元の話である。 何千語を頭に、体にたたきこみましょうというアプローチは、実際に使うという点で、問題がある。 私はアメリカに住んでいて、仕事をしているので、一日中、英語だ。例えば、英単語を今日一つ覚えたとする。その単語が今日出てくる確率は、何十億分の1だろう。その単語が今から10年間のうちに使われる確立も、何億分の1だろう。 ところが、シラブルを聞けるようになり、音として聞こえるようになれば、分からない単語があれば、それを少しづつ覚えていけばよい。実際に聞いた単語というのは、よく使われる単語だから、効率もよい。 もちろん基本的な、どうしても知っておいたほうがよい単語というのはあると思うが、それは、日本で中学、高校と英語を勉強したのならば、一度は勉強しているはずだ。さらにそういう単語は日本語にもなっているだろう。 語源を覚えようというアプローチがあるが、これほど面倒くさいことはないと思う。そんなことをしても、それで覚えた単語に一生のうち何回出くわすだろう。 あるいは、例えばDEMOCRACYのDEMOは人ですよ、、、とか言うが、すると覚えることがまた増えてしまうのではないか? いやDEMOを含んだ新しい単語がでてきたときに、覚えやすいと言われるかもしれないが、じゃあ、DEMONSTARATIONは?人に見せるってこと?DEMOLISHは(綴りOK)?DEMONは? それって押し付けてない?都合がいいように。DEMOが単語が100個あったとして、DEMOを人と考えれば(日本人の感覚で)納得できる単語が何個あるだろう。10個?あとの90個の存在を無視して、語源をやれば、単語がうまく覚えられますよと言うのは、違うのではないかな。 効果的にみえて、結構、覚える項目を増やしているだけのように思うのだが。  (語源に関しては逆なんですよ。語源の感覚ってのは、単語を覚えたあとで、あーそういえば関連があるなあと後でぼんやり思うものであって、、つまり結果です、、、それを手がかりにこれから覚えてやろうというものではないと思います。語源を覚えて英語をやるよりは<それ二度手間です>、、、スペイン語かフランス語か何かを同時に勉強していれば、自然と語源の感覚はついてくるものだ。) 暗記が増えれば増えるほど、現存する権力関係(師弟ー弟子)維持が可能となる。社会の権力関係の再生産というやつである。覚えろ、がんばれー、奥が深いぞーと言っておればよいのだから。 まだまだグローバル経済のなかでSTRUGGLEしないといけない「現代人」の身になっってくれ、、、と言いたい。 グローバル経済というのは、国際舞台ということじゃない。いつ技術革新が起こって、自分のスキルと思っていたものが無になってまうかもわからんような世界のこと。あるいは、仕事が外国に流れるとかね。これは住んでいる場所に関係なく起こる。 そういう緊張感にあふれた経済体制のなかで、できるだけ暗記物を増やさないでください、精神論はやめましょう、、、というお願いです。  

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