国産ネイティブ MONKさん

国産ネイティブ MONKさんをご紹介します。先日の私のアピールに答えていただきました。MONKさんには、非常に長い間、応援していただいています。MONKさんの応援のおかげで、私たちもがんばれるという感じです。一緒に、喉の歴史を経験していただき、本当にありがとう! 英語喉前 www.estat.us/blog/monk06.10.24.wav 英語喉後(現在) www.estat.us/blog/monk09.7.23-2.wav 音声を最初に聞いたとき、感動でちょっと全部聞けませんでしたよ。すばらしい。 2ビートと3ビートの聞こえ方の違いがよく分かって、学習者のかたにも役立ちますね。以前のほうは、ぱぱぱぱぱぱ(2ビート)って感じがします。後のほうは、ぼんぼんぼんぼん(3ビート)ですね。

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言葉への気づき

「言葉への気づき」ということをテーマに英語教育を考えてらっしゃるかたがたがいる。 どのように英語を教えたら、うまくいくか、日本語と英語をどのように比べたら生徒がよく理解するか、など説明を極めるというもので、これはすばらしいことだと思う。私も、英語喉の観点から貢献できると思った。 私自身は、英語教師時代に言葉の気づきに似たようなことを考えていたのかもしれない。が、失敗だという感覚を持っていた。 受験英語を教えていたのだが、うーん、もっと面白い、生きた英語を教えたいなあ、、、という希望があり、それがあまりできないという現実がある。その現実と理想のハザマで、なんか教師としてアイデンティティがほしいなあ、と思っていたときに、日本語と英語の文法の違いなどを説明した。すると生徒が、先生なんの授業やねんとクレームを言っていた。 私の場合は、つまり、自分の理想が果たせない状態のなかで、ちょっとええかっこしたいという欲求を満たせてくれるのが言葉の気づきであり、それ以上でもなかったように思う。ちょっと、自分は賢いだろうみたいな。受験指導してんのは仮の姿だ、、、みたいな。 そもそも、私が言っていたようなことは、ちょっと英語を勉強していれば、誰でも分かることだったので、知識量が当時の私よりも低いという立場があって、初めて私が実践した言葉の気づきは存在したのである。 「実はやっていれば誰でも分かること」ってのは、私の根本的な分析ツールの一つみたいな気がするのだ。音声学者の人が書いた本で、TAKE IT EASYはていきりーじーに聞こえます、みたいなのりの本がたくさんあるけど、それって誰でも分かるじゃんとか思うのだ。最近では、「ダーリンは外国人」という漫画を読んだのだが、それに書いてあることは、状況が同じだったら誰でも気づくことだなあ、、などと思っている。 (例えばであるが、トニー(登場人物)が映画などを見るときに、すごく反応するという話がある。もちろん、結論は、西洋人は反応が強い、、、となる。しかし英語喉パラダイムだとどうだろう。私は、最近、喉がゆるくなったせいか(英語喉で喋っているので)、人が笑わそうとして何かをいうと、他のネイティブと同じレスポンス速度でワラってしまう。なんかゆるくて、感情が笑いとしてすーっとでてくるのだ。そういうことじゃないのかなあ) 私自身の言葉の気づき活動は、教師と生徒という権力関係があってはじめて成り立っていたように思う。 じゃあ、英語教師として何をしたかというと、、、 私が求めていたのは結果だったのだ。生徒に力をつけさせたいという結果がほしかった。 だから、訳読をするのに意味が見出せなかった。あるとき電車の中で私の生徒が日本語訳を覚えているのをみて、なーんだと思った。 だから訳を配りたかったのだが、それはできなかった。 だからかわりに、小テストをつくった。授業に2回小テストをやってその時にカバーした内容を、少なくとも、短期的に覚えているかということを試した。そうすれば、結果がでるかもしれない、、、と。私がつくった全ての小テストをあつめたやつがおった。全部、半ページだったのだが、あるとき、1ページつかってつくったら、そいつがクレームをつけた。自分は集めておるが、半ページじゃないと一緒にとじられない、、、から困るとクレームをつけてきた。 私が考えていたような言葉の気づきは、日本語をよりよく理解するとか、英語をよりよく理解するとかいうものだったと思うのだが、それをしたから、じゃあ、生徒が英語ができるようになるのか、なんらかのかたちで賢くなるのか?そういうことを実験して証明するとよいだろうと思う(当時の私の言葉の気づきは単なるファッション、いやアイデンティティの強調にしかすぎなかったのだろう)。俺は違うんだ、、、と。 私が思うに、英語の授業のポイントは生徒が英語ができるようになることであり、それ以上でもそれ以下でもないと思う。それに役立つような言葉の気づき戦略であればすばらしいものがあるだろう。そういうのに磨きをかけて実験で証明するとよいのだと思う。 英語喉や機関銃英語には、西洋人の立場からみた西洋言語の気づきがふんだんに含まれている。日本人が思いこんでいることではない。西洋人からみた立場での西洋言語である。 たとえばだが、なぜ英語ネイティブは、ああいうぐあいに日本語をしゃべるのか?これは、喉発音と3ビートを実践すれば、自然と起こることである。 自然と起こるということは、どういうことかというと、経済原理である。それが一番楽だということだ。喉をリラックスしていれば、自然と3ビートになるのだが、その状態だと、自然に出てくる喋りかた、発音がある。 これは言語経済学というやつである。 言語活動はおいおいにして合理的選択の結果なのである。 例えば、アメリカ英語においてEVANという発音をするとき、ゲップエリアを定位置にすると、EVANと読むよりEVIN(i_)と読むほうが楽なのである。 これは言葉の気づきというか原理である。 英語喉には、そのような原理がふんだんである。これまで文法項目と思われていた現象が実は単に英語喉現象だったということが報告されている。 AとANだってそうだ。 A APPLEって言うのと AN APPLEって言うのでは、後者のほうが楽だ。 シラブルが自然とうまくつながるからだ。 AーAPーPLはつながりがぎこちないが AN-NAP-PLはスムーズだ。楽だからNがつくということだ。 英語喉では自然と発声するWやYを紹介しているが(例 YOU AREがYUW-WAR)、似たようなもんだ。 他にも過去形でEDをつけるときにTと読むかDと読むかということなども、英語喉(経済言語学パラダイム)で説明されている。BETTERのTがなぜDみたいになるのかもそうだ。自然とそうなるのである。 言葉の気づきというのは、おそらく喉パラダイムにおける「喉の旅」だと思う。 喉の旅における言葉の気づきというのは、本当に考えたことのなかったようなことが発見されるので、面白いと思う。ぜひお勧めする。 最近、思うに、結果というのがとても大切だと思う。そういう意味でTOEICをたくさん受けられている人たちは、結果を重要視しているんだなと最近は感じるようになった。 結果である。 だから私は喉パラダイムはTOEICを使って勉強してらっしゃる人達に受け入れられやすいのかもしれないと思う。

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新しい視点で英語教育を見直そう

http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766416565/ この本を読んでみようと思う。とりよせて。この本の1筆者である津田さんの考え方に関しては20年ほど前、同志社大学の学部時代に論文を書いたことがある(英語で)。津田さんや、他の論者たちの言っていることを、20代前半の私は「AWKWARD THEORYと読んで、批判をしているが、単にへんてこりんな理論ではなくて、実は、それが西洋文明へのややいびつな偏見につながると指摘した。それが学内の論文集に載ったので、それをライティングサンプルとしてシカゴ大学の大学院の応募に使った経緯がある。参考までに www.estat.us/Itheory.pdf これがその論文(ちょっとプリントがうすい?) 当時、指導してくれていた英文科のLEO LOVEDAY先生が、推薦してくれた。  津田さんは、英語ばっかり勉強するのは、イデオロギーのようなもんだという感じの批判をされている。しかし、喉パラダイムから考えると、そういう批判が出るのは、英語が日本人にとって難しかったからである。世界の他の民族は英語が難しいと思っていない(朝鮮語話者は除く)。 このライティングサンプルのおかげで、大学院に合格することができたのではないかと思う。そういう意味では、感謝をしなければならない。津田さんたちや、ダグラス ラミスサン達に(引用して、批判をさせてもらった。) 熱っぽく、英語を押し付けるな、という感じの言説が生まれるのは、英語が、これまで難しかったからではなかろうか?英語の音が喉から出ていることを聞いてほしい。全ての音が聞けるようになる。英語にも日本語のヒラガナにあたるシラブルがあること、そしてそのシラブルを一つ一つ聞くと、全部聞けるのだ。 理論的に考えて、聞くのが難しい英語とかいうのは、ない。例えば、WIGとWIZというシラブルがあるとする。その意味を知っている知っていないに関わらず、両者が聞こえる難易度は同じだ。日本人は、聞くのが難しい英語があると思い込んでいるが、それは違う。ナマリの違いというのあるが、 THIS IS A PENが聴き取れる人は WIG WIZ HIG ZIGというナンセンスな塊も聞ける。さらに、難しい単語が並んでいても、音としては入ってくる。 リスニングに難易度などないのだ。 ***これをとりよせてみる*** 私の立場から言えば、英語教育に英語喉と機関銃英語をとりいれてもらったら、それでよいのだと思う。聞けて言えるようになれば、英語が日本人でもあやつれるようになる。誰でも比較的楽にマスターできるようになれば、あまり難しい話をする必要が無いのではないかと思う。 これまで日本人は、発音を口の体操と思っていたから、発音できなかったし、シラブルを聞いていなかったから聞き取りもできなかった。そんななかで英語を喋ろうとするのは、暗闇のなかで糸を針の穴に通そうとするようなものである。 ***   危機に立つ日本の英語教育 はじめに                I 学校英語教育の現状と課題  「戦略構想」、「小学校英語」、「TOEIC」    ――あるいは、ここが正念場の英語教育    大津由紀雄  学校英語教育とは何か    山田雄一郎  日本の英語教育界に学問の良識を取り戻せ    斎藤兆史  学校英語教育の見通し    ――言語コミュニケーション力論・複言語主義・コミュニケーション論    柳瀬陽介  日本人は英語が使えなければならないのか?    ――「英語信仰」からの脱却と「日本語本位の教育」の確立      津田幸男 II 英語教育を取り巻く社会の力学  主権「財界」から主権「在民」の外国語教育政策へ    江利川春雄  「戦略構想」への2つの懸念   三浦孝 III 新しい言語教育へのアプローチ  もっと豊かな言語教育を   古石篤子  言語教育の全体像を探る試み――4つの技能、3つの指導内容、2つの能力    末岡敏明  〈教育実践報告〉子どもの立場で「言語教育」を    ――先生! ことばのふしぎをもっと知りたいな   齋藤菊枝 IV さまざまな視点から見た言語教育  言語リテラシー教育の政策とイデオロギー   佐藤学  複言語主義における言語意識教育――イギリスの言語意識運動の新たな可能性  福田浩子  仮想「小学校英語覆面座談会」――反対派も賛成派も本音で語る小学校英語    菅正隆  資料

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