教育実践・言説の脱構築
言説の束縛からの解放

私が昔行っていた床屋さんは、アルゼンチン出身だが、4ヶ国語も、5ヶ国語も喋れる。どうやって、マスターしたかと聞くと、単に喋りながらマスターした、、、と答えた。彼には、受験も、ないし、ビジネス英語入門もないし、文法1と2もない。単に聞いて真似て、繰り返して、それで色んな言葉をマスターしている。 もちろん、彼の母語がスペイン語であるということは英語や他のヨーロッパ言語を学ぶ上で、非常に有利である。が、この点をさしひいても(ちょっと主観がはいる、すみません)、日本人のネックは発音と聞き取りだった。聞けて言えれば、どんな言語でも、その環境にはいって、適当に喋っているうちにマスターできる。 もちろん、そのプロセスのなかで精神を躍動する必要はある。あ、HEのときは動詞にSがつくんだなあ、、、と教科書ではなく、会話から学び取るのだ。そうして身に着けた文法は、ものすごく使い勝手がきく。 受験、ビジネス英語、文法、リーディングなどと細分化した英語の言説群。子供の英語とか、ホームステイの英語とかもある。目が回るほどである。ここまで細分化した理由はどんなにがんばっても、英語があまりに難しすぎたからではないだろうか。 喉で喋り3ビートを聞き、刻めば、音が聞こえる。音を聞きながら、自分自身の「頭」で文法を構築するのである。(もちろん、その構築の過程で、すぐれた言説であれば、英語のマスターを早めてくれることであろう。) ネイティブメソッドを学ぶことは自分の身体(口、喉、姿勢、脳)をマスターすることだと思う。

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見えるものと見えないもの

自分の身体(口、喉、姿勢)を知ることが英語喉である。簡単な問答から始めてほしい。 なぜ外国人(例 英語ネイティブ)の声は違うのか。 体つきが違う、、、とかそういうことではなく。日系人でも渋く、深い声を出している。女性でも、喉で除夜の鐘がなるような音を出している。 普通にまねしても、まねできない声である。 自分は、一体、どんな口、喉の使い方をしているから、あのような声を出していないのか、、、。 喉ブレーキの存在にきづき、認識し、それを操ってみる。無意識に操れるだろうか?喉ブレーキを使うより、実は使わないほうが、無意識状態だ、、、ということが分かってくる。リラックスしておればよいのだから。 ではなぜリラックスできないのか。 英語喉のマスターは頭のゲームである。 さて、読者からのメッセージで、こういうのがよくある。「私も、前からネイティブの声が違うと思っていたんですよ。」 意外に思われるかもしれないが、私自身は、一度も、外国人の声が違うと思ったことはなかった。喉革命が自分の喉に起こってから、はじめて認知した。今では、例えば、テレビで未開の地の原住民の言語を聞いても、すぐ、「あ、この言語は喉言語だ、、、」と瞬時に分かる。響きでわかる。 私にとって、とても面白いのは、私自身が一度も、西洋人の声が違うと思ったことがないことだ。喉革命以前でも、それなりに、英語をうまく喋っていたがために、通じたし、100%理解できた。 だからこそ、見えなかったのだろうか。 見えるもの 見えないもの 普通、知識が多いと、見えるものが多い、、、と考えるのが普通だろう。ところが、この場合は、知っていれば知っているほど見えなくものが大きかったということだ。 私は英文科だったし、英語を教えていた。だからこそ、見えなくなっていた。 西洋人の声が違うことさえ、一度も考えたことがなかったのだ。 今思うと、絶対に、信じられない。今は、右を向いても左を向いても、英語話者の英語が喉発音以外の何[者]にも聞こえない。 「裸の王様」という表現がある。見えないのに、見えると思い込んでいる状態だ。喉革命前は、英語の本当の音を知らないのに、知っていると思っていた。しかし、この状態以上に悪い状態に私はあったということだ。 英語を勉強していない人にとっては、当たり前のこと(外国人の声が違うこと)が、英語をよく知っていると思っていた自分には分からなかったのだから。 どのような表現、ことわざが当てはまるだろうか。 プラトンの洞窟の比喩だろうか? (わざと、プラトンの洞窟の比喩を説明しないことで、知っている人が「俺知ってる、、、」とちょっといい気分になりますよね。その修辞的効果を狙うために、ここで突然終わります。)

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はっきり喋ればOK?

発音は通じればよい、CLEARに喋れば、、、という考えがある。 何をもってCLEARに喋るかが、日本語と英語で違うのである。日本語ではCLEARに喋るとは、はきはきと、ちょっと声を大きめに喋ることだと思う。ところが、英語では、日本語話者の「はきはき」=CHOPPYだ。CHOPPYで声を大きくとなると、西洋語文化においては、これは、怒りとか不快感、あるいは軍隊における命令を意味する。 喉を理解することは、西洋を理解するにつながるが、同時に日本語、そして日本文化を理解することでもある。 喉実践者からの報告でうれしいのは、喉革命後、言われなくても、自然に、そういう探索の旅が始まっていることだ。 ある喉実践者のかたが風邪を引かれたらしい、、、が、ますます喉発音の意味を実感した、、と解釈できる報告をしてくれた。どういうことだろうか。なんとなくわかるような気がする。

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