February 2011

教育改革の評価

私の仕事の半分ぐらいは、アメリカの教育改革のプログラムが成果があったかどうかを評価することなのです。文部科学省によると、英語が使える日本人を育成する(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/020/sesaku/020702.htm)ということで、たくさんの試みが行われています。例えば、スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクールです。特別の学校があるわけです。 で、これを評価する必要があるわけで、例えば、私の仕事だったら、その学校に行っている生徒と、行っていない生徒を比べると。実験は無理だけど、まあ、QUASI-EXPERIMENTALな評価ができるでしょう。真顔で比べるわけです。色々と統計的な調整をしながら、サンプルも慎重に選びながら、GTECとかを使って英語力を比較するとか。実験は無理だけどと書いたけど、実験も実はかなり行われています。 アメリカでの教育プログラムなどの評価は、教育省が行っていて、結果は、http://ies.ed.gov/ncee/wwc/で公開されています。どまじめに評価して、そして、教育者や親が、どんなメソッドで教えるといいのか、というのが分かりやすいようになっています。 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/082/gijigaiyou/1301500.htmには、文部科学省の取り組みの議事録もありました。 岡田委員が以下の発言をしています。 >そういう意味で、文科省とか、大学とか、あまり教育現場との接点が少なかったですが、ただ、日本の情報を英語で発信するというこのところがかなり傷んでいると思います。これはすさまじい状態になっていまして、昔は国際会議でどうやってインド人を黙らせるかというのが司会者の役割で、もう1つは日本人をどうやってしゃべらせるかでした。これはよく言われる事なのですけれども、今は違う。どうやって日本人にしゃべらせるかどころか、どうやって日本人を見つけるか。つまり会議に日本人がいないというのです。それだけ色々な国際会議で日本人のプレゼンスが薄くなっているというかなり深刻な事態で、国としては、このような状態が続くとますます沈没していくだけではないかという危惧を持っております。 私の意見:  日本人にしゃべらせるかという点ですが、これは、何か言いたいときに、息を大きく吸い込み、スーって感じの音を出すだけで、インド人でも他の外国人でも、え?何か言おうとしていると気づいてくれます。それだけで、日本人の発言力が高まるでしょう。よく外国人は積極的で論理的だと言いますが、外国人だって、もちろん日本人が何を言うかに興味があります。 中村委員はこうおっしゃています。 >今の、日本を開国するという話もありましたけれども、本当にそれができるのかというところが結構問題かなという気がしています。あと、アメリカなどにいますと、小学校から、自己主張できない生徒はだめなんです。ですから、日本人は奥ゆかしさが美徳とも言われますが、日本人でも自己主張をいかにできるようにするかが大事なのではないかと思います。出る杭が打たれるというのは日本ですけれども、アメリカは出る杭でないと消えてしまうのです。こういう意識改革も含めて教育というテーマがあるのかという気がしております。 私の意見: 私の感じではアメリカで仕事をしていて、大切なのは、会社とか会社内のグループで質の良い仕事をすることというイメージがあります。そのさいに、出る杭とか、出ない杭という感じのメタフォーはそれほど重要な感じがしません。仕事として、専門分野がそれぞれあり、その専門分野に基づいて発言し、貢献していくと言う感じです。ですから、自己主張というものがピンとこない感じがします。アメリカは自己主張の国だと言いますが、それは私が英語喉をやっていなくて、遠くからアメリカを見ていたときに、感じたことで、英語喉をやりはじめてから、周りが、それほど自己主張しているように見えず、ただ専門分野に基づいて意見を交換し、そしてベストのものを追及しているという風なイメージを持っています。私の個人的な経験です。個人的な経験とはいえ、西洋人が自己主張が強いというのは全然違うなあと思っています。 本下委員はこうおっしゃっています。 >キーワードはコミュニケーションということで、まずは自分の言うことをはっきり言える、意見を言える、これが大切だと思います。英語はあくまでもコミュニケーションのツールでありますので、まさにそこで自分の言いたいことをしっかり伝えられるかどうか、そのベースになっている考えであるとか、ロジックであるとか、それがしっかりしないとだめなのではないかというふうに感じた次第です。例えば、中学、高校の教育の場では、「これはペンです」というのではなくて、「私はこう思います。なぜならば」というようなベースで話せる、聞ける、それに必要な語彙は何なのかとか、こういうことをやっていくのがいいのではないかというふうに思っております。 私の意見: 西洋人は論理的だというイメージが私も英語力に限界があるときは思いましたが、英語喉で普通に英語が喋れるようになって、そのイメージが消えました。日本人もアメリカ人も西洋人も、皆、論理的であるように思いますし、それが人間ではないかと思います。鍛えなければならない論理力は存在しないようなイメージを持っています。 議論が公開されていて、透明なので、面白いですね。

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インターナショナルイングリッシュというのはよろしくない+i_ とu_の発音のコツの音声指導

さて、まず、高校3年生(今度、大学生)のDERWENTさんがBLOGをやっているので、紹介。 http://blogs.yahoo.co.jp/syadou005 なんでも、もともと喉発音っぽく日本語を喋っていたので、喉発音への移行が楽だったとか。そういう人は多い。アキさんもコメントしてくれているけど、中国地方、九州など、ピンとくるのが楽かも。そもそも、中国語みたいなシラブルで日本語をしゃ*べ*りょー*るん*じゃ*けん*のー。だから広島弁でタイプしても、漢字変換無理だ。 次にi_ とu_の発音方法のコツを説明した音声をとりましたので、参考にしてください。どちらともゲップエリアの音です。 コツはi_は、まず日本語のイを言っておいて、それをそのまま首の根元までおろしていきますが、根元あたりでちょっと言うのが苦しくなってきますので、楽になるような感じで響かせて、かつ音をマネながら、発音するとi_を言いやすいということです。u_も同じで、ウを下げていき、楽になるような形で響かせなます。音もまねる感じにしてください。楽になるような感じ、、、というのがなかなか説明しにくいです。 www.estat.us/blog/i_u_.mp3 さて、今日は、インターナショナルイングリッシュということについてコメントしたい。ポイントは、私は同意できませんということです。 まずは、まとめから。インターナショナルイングリッシュとはなんでしょうか? 先日紹介した、吉田研作先生の動画に説明がありました。英語にも色々ありますが、個々の独特な英語ではなくて、国際的なる英語というのがあるということです。 さて、http://www.youtube.com/watch?v=ElEeCyxAMCw&feature=related が動画です。そして、11分あたりから見てください。 ネイティブも含む多国籍の人達が喋るときに、生まれるべき、いや生まれる?英語がインターナショナル英語だということです。 アメリカ英語とか、イギリス英語にこだわるのではなくて、国際的に通じえる英語というのが理想という感じの論点です。日本人が、アメリカ人のネイティブの会話を分からなくてもしょうがないので、国際的に理解できる英語を確立?したらいいというみたいな感じです。 そして、吉田先生が言っているのは、日本で英語を教えているアメリカ人、イギリス人、オーストラリア人などが日本人の生徒に英語を喋るときに、だんだん、それぞれの祖国に特有ななまりなどがとれてきて、同じような英語になるということです。そして、吉田先生は、そのことを、「美しい」ことだとおっしゃっています(14分めあたり)。 私は同意できません。まず上のことですが、日本人に対して、アメリカ人やオーストラリア人の英語が似てくるのは、それは、ゆ~くり、単語単語に区切って、流動性をできるだけなくして、おおげさにしているからでてくる英語です。それは、知的レベルの低い相手、例えば、西洋においては犬に対して話すときの英語です。 そのような英語は、NHKの英語番組を見れば聞けます。チャロの番組とか、ハーフの人が出てきて、音程ががくんがくんと上がったり下がったりする英語です。 国際英語が要らない理由は、 1.英語が分からないのは日本人だけ 2.英語はすでに国際言語の要素を持っているので、すでに国際英語である という理由です。まず1から言ってみましょう。日本人が英語が聞けないのはただ一つの理由です。シラブルを単位で聞いていないからききとれません。 I am going to the station を I^AM^GOW^WING^TO^THE^STA^TION のように聞いて初めて、英語は聴き取れるのです。機関銃英語が聴き取れる!で使ったような書き方をすると、以下のようになります。 AIY-YAM-GOW-WING_TOTH-THE-STEISH-SHIN 他の外国人は当たり前のようにシラブルを知ってシラブルを聞いているので、英語が音として聴き取れるのが当たり前です。中国人でも韓国人でもシラブルを知っています。日本でだけシラブルが無視され、かわりに、あまり大切でない、強勢の位置とかを暗記しています。<日本語でも、例えばワサビがWA-SA-BIというまとまりで読むことを知らない宇宙人がいたら、W-AS-AB-I?って聞き取るかもしれませんね。それでは理解できないし、そう読まれても、我々日本人は理解ができないでしょう。> 英語が音として聞けていないのは、日本人だけなので、他の外国人には、国際英語はいりません。もちろん、極端ななまりは困りますが、アメリカの標準英語とか、オーストラリアの標準英語であれば、日本人以外のノンネイティブは聞き取れているのです。国際連合などで通訳がブースにいますが、国際連合に勤めるぐらいの教育レベルの人で通訳がいるのは日本人だけでしょう。 中国人の首脳がアメリカの大統領との会談などで通訳を使って、中国語で会話しますが、あれは、国家の威信を保つために、中国語で喋っているだけで、英語はもちろん普通に喋れるのです。 日本人が英語が喋れないからといって、国際社会に、分かりやすい英語を喋ってくださいと臨むのは、不可能でしょう。簡単なことは、日本人もシラブルをちゃんと聞きはじめればよいのです。 2.英語はすでに国際英語としての要素を持っている。 英語は、イギリスとかアメリカとか色々な国で母語として喋られていますが、すでに、非常に標準的な言語です。例えばですが、今日は雨が降っているは、アメリカでは It is raining イギリスでは It is raining オーストラリアでは It is raining なんとどこの国の英語でも同じなのです。とーぜん、シンガポールでも中国でも  It is raining です。ところが日本語はどうでしょう? 広島では、雨がふりょうる、東京で雨がふってる、鹿児島ではどうでしょう? このように、地方によって表現が違います。 英語はすでに、どこの国で喋られていても、たいてい表現が同じなのです。BE動詞にしても、どの国でもIS、ARE、AMです。 そして、日本人以外のノンネイティブは、アメリカ英語だろうが、イギリス英語だろうが、オーストラリア英語だろうが、理解するのです。もちろん、ものすごい極端なものだと困りますが、まあ、その国で標準とされている英語を喋っておれば、問題ありません。 いや、発音が全然違うじゃないかと日本人は思いたがるでしょう。喉革命を経験されているかたは、英語喉でアメリカ英語ができると他の英語でも理解できることに気がつかれましたか?あるいは、勉強していない言語でも音としては聴き取れることに気がついたでしょうか? そもそも、アメリカ英語だろうが、オーストラリア英語だろうが子音は、だいたい同じです。だから、日本人が国際英語を頼む必要がありません。 母音はどうでしょうか?A,I,U,E,Oと大雑把に分けたときに、混乱を招く可能性があるのがAとIだけでしょう。Aだと、HOTのA、HATのA,HUTのAがあります。IもSHIPのイとSHEEPのイがありますね。だから、5つの音は、英語の種類によって違う可能性があるということです。 でも*たかが*5つの音のせいで、国際英語を求めるのは、あまりにも、無理がないでしょうか? […]

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反英語イデオロギー論 + 兵庫県の人

私は大学生のときに、以下の論文を書いた。 https://drive.google.com/file/d/1XlhiOcS5rI_LUwjGOTf7ghSdHGnIcr9M/view?usp=sharing 英語がイデオロギーだという学者を批判した論文である。アメリカ人のように英語を喋る必要はないというような、昔からある変な論調を批判したものである。いつの世になっても、この論調は顔を出してくる。三羽さんが、紹介されていたが(http://ahalfyear.blogspot.com/2011/02/blog-post.html)、茂木さんと斉藤さんが、またしてもそのような論調で盛り上がっておられるようである。 昨日も、吉田氏が、「アメリカ人のように喋る必要はないのだ」とおっしゃっている動画を紹介した。 私はあえて言うが、ある一つの英語の変種をとらえて、それをマスターするのが無難であり、アメリカ英語の標準版(英語喉が説明しているもの)が無難だ。 なぜなら、アメリカ標準英語にはヘンな癖がないからだ。アクビエリアとゲップエリアを適当に使いわける練習をしたあとで、今度は、気持ち的には全部、ゲップエリアで喋っている感じにすると、アメリカ標準英語になってしまうからである。これは色んな移民が混ざり合わさって、一番、無難な英語が誕生したと考えると自然だろう。特的の民族に固執したような要素が、アメリカの標準英語にはない。 別にイギリス英語でもよいが、イギリスの標準的英語は、日本人が思っているほどアメリカ英語とは変わらない。しかし、イギリス英語には、なにか癖がある。BBCを見ていると、しゃくっているような感じの癖がある。 日本語と英語が全然違う発声に基づくからこそ、英語喉をやると、日本人が一番アメリカ英語に近くなる。フランス人や、スペイン人は、それほど母国語の発音をいじらなくても通じるので、いつまでもフランス語的でありスペイン語的であり、またそれらを直す必要が本当にない。英語をある程度勉強した人はまた聞き取りには問題がない。音としては、勉強しなくても聞こえている。 DERWENT氏(高校3年生)が、喉をやっていて、例えばすでに吉田研作氏よりも英語の発音がすでによくなっている。SINさんもDERWENTさんより3歳上だが、同じく、発音でいえば、国産ネイティブレベルである(今後は聞き取りをがんばるとのメッセージをいただいた)。二人とも、微妙に固めのところがあるので、スムーズさを大切に。しかし、それはぜひ外人の友達をつくったり、ガールフレンドをつくったりするなかで、つまり社会関係のなかでぜひ改良していくとよいと思う。文化なども一緒に吸収できるからだ。 発音だけじゃだめだとか、そういう言説が発生するのだろう。これからは、発音と聞き取りに関しては、誰でもできるようになるだろう。すると、ますます、「英語がぺらぺら喋れるより、中身が大切だ」という雰囲気が強くなると思う。 AKIさんが、私たちが生きているうちはたぶん喉パラダイムは広がらないとおっしゃっていたが、それは正しいかもしれない。喉でやると英語が学びやすい=水で自動車が走る、、と言っているようなものだ。 さて、そんな中私が注目しているのは兵庫県の人だ。前に英語喉は西日本の人に受けがよいと言ったが、正確には、大阪、京都ですでにかなり硬い感じのように思う。ところが、兵庫県あたりから、硬さが抜けてくる。 知っている、、、を神戸ではシットーという。やっているは、ヤットーである。なにやらこのあたりから、西日本では、言葉が軟化してくるように思える。 大学時代、電車で京都からヒロシマに帰ると、兵庫県の真ん中あたりから、いわゆる関西弁がヒロシマ弁的になっていったのを覚えている。おそらく兵庫は、どちらからというと固めの関西弁(東京弁ほどではないかも)から、中国語的なヒロシマ・岡山・中国弁に変わる地点なのだろう。 つまり、二つの言語文化圏のハザマにあるからこそ、言語に対してセンシティブであると言えるのではないだろうか??? 私はヒロシマだが、ヒロシマ弁が中国語に近いなんて思ってもみなかったが、本当だ。なにしているの?がナン*ショーンと2シラブルで言えてしまう。 これに気づいたのは、沖縄の放送番組、沖縄琉球学園さん(http://crm.ti-da.net/)が、地名の一部の谷をタンと呼んでいることに気づいたことだ。本土において、谷をタンと読む可能性はゼロである。そこで、沖縄の言葉は中国語に近いのか?と思った瞬間、私自身の母国語(?)であるヒロシマ弁も、かなり中国語に近いことに気がついたのだ。 ここで仮説。 オーで終わる方言は、中国語的であり、英語喉に抵抗がない。 例 兵庫県 知っている=>しっとおー 広島県 だからね=>じゃけんのおー アーで終わる方言は、硬い。英語喉になりにくい。 例 東京 だからさ~ 大阪 せやからな~ オ~は、脱力でも言えるように思える(発声がやわらかいことの状況証拠か?)。ア~はある一定の努力がいる(これも仮説)。 どうでしょうか? 東日本は東日本で東京から北に行くにつれて、また発声がやわらなくなっていくのでは??

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