January 2011

動詞のING形を言っても、通じなかった理由が、現れるYだ

 ENGLISH BOOTCAMPのYUMIさんが、由美の発音クリニック50分無料レッスンをプレゼントという企画をされているのでCHECKされては?締め切りがあって、土曜の深夜だそうです。 http://ameblo.jp/englishbootcamp/entry-10774739225.html  さてと、、、 日本人の英語は、日本人が想像する以上に通じない。これは、語彙をよく知っているとか、文法をよく知っているとかに関係しない。口発音による英語は我々の想像を絶するほど通じない。それでも通じるとすると、それは、その外国人が日本人英語になれているからだ。 さて、口発音時代に、BULLYINGというのが日本で問題になっていると言っても、え?とか言われて理解されなかった。なぜだろうか。 英語喉が指摘したところの、「意外な場所で登場するY」が原因だ。あれ、BULLYINGの場合はつづりにYがあっても、日本人は忘れているし、Yは首の根元発音なので、口発音の日本人には発音できない。分かりやすい例を使おう。SEEINGのケースを考えてほしい。 SEEINGは口発音の日本人は、シーイングと発音し、イングの部分が通じたと思い込んでいる。実際は、外国人一般には、日本人のSEEINGはSEENGのようにYなしに聞こえるのである。 ここで、例えばこういう人がいるだろう。日本人には日本人のなまりがあってよい、、、と。いや、実は困るのである。 SEEINGは2シラブルであるのにたいし、SEENGは1シラブルだ。音節数が違うと、ネイティブ、あるいは、英語が喋れる外国人は、まったく違う単語としてとらえるのである。 さて、英語喉のレッスン47を復習してほしい。198ページにSEEINGの読み方がある。 seeingは英語喉の発音記号だと S-I-Y_/Y_-I-NG である。 機関銃英語しか読んでない人には、以下のように簡略的に書くと分かると思う。 SIY-YING ところが、シラブルを全く無視して英語を勉強した日本人が、この単語を発音すると SING という風になる(Iはi_じゃなくてIね)。これでは、全然違う単語になってしまうのである。 英語喉を実践している人でも、ゲップエリアが定位置になっていないとすると、Yが出ないので、もしかしたら、ネイティブは、うまく聞き取れないかもしれない。Yは首の根元をビリビリと響かす音だからだから、喉の初心者は、苦労するかもしれない。 ここで、日本の音声学者は言うだろう。いや、Yなしでもイを長く発音すれば、誤解されることはないだろう、、、と。音声学者は英語でも音の長さが意味に関係すると思い込んでいるので、例えば母音を長母音と読んだり、短母音と読んだりする。あるいは、BEDなどという単語を出してきて、Dのように有声音のときは、Eが長いなどということを言うだろう。音声学者は英語のおいて音の長さが意味に関係しないということに気づいていないからである。 つまり、SEEINGを2シラブルとしてとらえずにただ、たんに長く言うと、、、 SI~~~~NGとなるかもしれないが、英語においては、音の長さが意味に関係しないのだ。例えば、これは、HELLOをHE~LLOと発音しようが、HELLO~と発音しようが意味が同じということだ。 さて、結論である。口発音時代にBULLYINGが通じなかったのは、私が、BULINGと発音していたからである。これでは通じない。音節数が違う。BULLYINGはBUL-LIY-YINGなので3音節だ。私が発音していたのはBULINGで、2音節だ。 英語の発音、自然現象としての音自体が微妙になまっていても問題はない。もちろん日本人らしい英語があってもよいだろう。ところが、自分は音節数も変えてやるということになると話は違う。 日本人だけなのである。音節数を違えて発音しているのは。 これを知らずして、世界の英語だとか、GLOBISHだったか、そういう国際英語としての英語論みたいな分野を日本人が先頭にたってやっているのは、やはり問題ありだ。 音節数は、日本語で言えば、ヒラガナの数だ。オバサンとオオバサンはシラブル数が違う。自分だけがシラブル数はどうでもよいので、変えさせてくださいなんていうのはわがままである。 さて、音声で示す。 www.estat.us/blog/seeing.mp3    

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文法は大切かどうかという議論のクリティーク (2)

さて、天満さんが、発音セミナーをされるそうです。関西+関東での開催だそうです。東京のほうが、応募者の動きが速いと書いてらっしゃいました。天満さんのサイトを見てみてください! ここですーー> http://processeigo.com/?cat=24 2月だそうです。 さて、http://ahalfyear.blogspot.com/2011/01/blog-post_15.html で三羽さんが、渡部昇一氏の英語教育?論みたいなのを紹介されていた。知的余生の方法という本からの抜粋だ。 全然、私は同意できない、、、。 日本人が英語ができないのは、英語におけるヒラガナ(カタカナでもいいが、、、まあカナ)が何か知らずに聞いたり、発音しようとしていたからだけの理由だ。さらに喉で発音しないと、カナ=音節=シラブルに音が入れることができないということも理由だが、まあ、一番早い説明は前者だ。 それだけの理由である。例えば、 それだけのりゆうであるたとえば、、、 とヒラガナだけで書くと、どこが区切りから分からないから、理解しにくい。日本人が英語を聞くとき似たような混乱が生じるのである。日本人以外は、シラブルの構造が英語に近い言語を喋る人ばかりなので、聞き取りができる。発音もまあまあできる、、、ということだ。 さて、思うのだが、結局、文法が出来る人も出来ない人も、英語ができないのだと思う。語彙が大きい人も小さい人も英語ができない。 しかし、私のアパートの建物に4ヶ月前に引っ越してきた、韓国人の夫婦の5歳ぐらいの子供がたった4ヶ月で、英語をぺらぺら喋っている。 私が5歳の姪に日本語で(電話で)喋るとき、あ、この言葉知っているかな?とか遠慮がちに日本語で喋って通じるのだけど、この韓国人の子に、普通に英語でしゃべって、なんでも通じているようだ。もちろん、子供に喋るのだから、難しい言葉を使うことはないが。 渡部氏の文を孫引きすると、 >ところが日本にいる時にちゃんとした英語の本も読めず、文法的に正しい英語を書けない人が留学しても、だいたい英米人から見た文盲の人のまま帰国することになる。 この発言の仮定となっているのは、発言者である渡部氏は英語の本が読め、文法的な正しい英語を書ける、、、ということだ。 しかし、英語ができる私の立場から述べると、本当に英語が読めたり、書けたりできる人の感覚から発せられるディスコースではない。 読める、、、というのは主観的な経験であるが、私や、あるいは私が仕事を一緒にしている中国人や韓国人の同僚は、英語を超特急で読むことができるし、そのさい、文法のことなんて考えていない。全ての単語をあたかも名詞のように扱い、飛ばし読みをする。だから、読むために文法が大切だという感覚がない。もし、そういう感覚がまだあるとすれば、それは英語を読んでいるということにはならない。まだまだレベルが低いとういことだ。リスニングでさえ、文法に頼ったような聞き方をしているということは、それはリスニングの能力がまだまだ足りないということだ。いや、英語喉をまだ知らないということだろう。 厳密には渡部氏は上のようなことは言っていないが、ちょっと調子にのって、書いてしまった。クリティークとしては、本当に英語が読めていれば、読めていない人をつかまえて説教じみたことを言うという感覚がなくなるということはあるだろう。あまりにも読めるのが当たり前なので、読めない人がいれば、もっと態度がやさしくなるであろう。 さて、ここからが重要。 文法的に正しい英語を書く、、、という表現、、、、それはその発言者が英語を本当に正しく書いていないということを示唆する。 というのは、私や、私の中国人の同僚、さらに、ネイティブたちの書き方は、文法に頼っていない。文法というのは、当たり前の部分だ。たよっているとすれば、非常に抽象的であるが、前から読んで、論理的にMAKE SENSEし、さらに、す~す~と、読者が必死に考えなくても、意味がとおるかということである。 文法をしっかり駆使して、文章を書く、、、という考え方は同時に、その発言者が英語を書くことが不得意だということを示していると思う。 ちょっと英語がうまいと思われている日本人が書いた文章を読んでいると、例えば、こういう構文がよく出てくる。あくまでも例だが、、、 Facing the situation, the team decided to ... おそらく、日本人が考えるのは、FACINGは分詞構文であるから、その意味上の主語はTHE TEAMである、、、という風に考えるだろう。まずはTHE TEAMというのが頭に浮かび、そこで逆行して、FACINGを書く、、、と日本人は、いわゆる文法(受験文法)に頼りながら文を書くのだが、 これは逆なのである。 私は、私の中国人、韓国人の同僚、そしてネイティブたちは、その文の前に続く文から、うまくつながるような形で、文を書く。だから、文の流れに沿って書いている。逆行はしていない。 繰り返す。  文法をしっかり駆使して、文章を書く、、、という考え方は同時に、その発言者が英語を書くことが不得意だということを示していると思う。 抜粋の最後はこうまとめられている。 >つまり博士論文を書いているようなアメリカ人の学生の英語よりも中谷氏の英語がー受験参考書で学んだ英語の方がー、文法的に正しかったという話なのである。私も体験上まったく同感した。(知的余生の方法(渡部)156ページ)  こんなことは実際上はありえない。しかし、私にも経験がある。あるとき、私が書いた文章を同僚のAさん(アメリカ人)に渡すと、彼がある部分にTHEを足した。次に同僚のBさん(アメリカ人)が、見ると、今度はTHEを消した。 さて、この経験で私は、渡部氏のように、それ見たことか。日本人の文法力は、アメリカ人のプロよりも上だと判断するのだろうか? いや、違う。実は、私の書いたもともとも文が、たまたま論理的に弱く、THEがいるのか、いらないのか微妙に、どっちでもよい感じになってしまっていたのだ。つまり、私の書いた文があいまいだったのである。 大昔の誰かが一人言ったことを引用し、私もそうだった、、、だけでは、やや説得力にかける。 ネットが発達し、多くの日本人が留学している時代、、、まだまだ口発音なので、いえない聞けない状態で日本に帰ってくると、微妙にアンチアメリカになることは昨日書いた。 アンチアメリカで渡部氏の書き物を読むと、救われたような気になるのではないだろうか???  

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留学中、どうやって友達をつくるか?

留学してきたばかりの女子学生より相談があり、インターナショナルな友人はできるけど、現地の友人(=アメリカ人)はつくりにくい。授業が終わったら、さっと、いなくなる感じで、、、と相談を受けた。 留学生活が始まって1ヶ月もたっていない。早い話が英語喉をしてもらったら全てが解決する。 そもそも英語喉のない時代というのは、アメリカに留学にきて、アメリカ人の友達ができないというのは当たり前のことだった。それどころか、10年住んでもできないのが普通だ。できるとすると、日本でJETをしていたアメリカ人とか、日本の文化の好きなオタク系アメリカ人のみだろう(それはそれでよい)。 インターナショナルな友人はできる。それは中国人、韓国人のように、口発音の日本語英語を分かってくれる、、、というか、口発音から発せられる平たく、CHOPPYな英語を聞いて、別に悪く解釈しない人達だ。 口発音で喋っているかぎり、ネイティブは、あるいはヨーロッパ系の言語を喋る人達は、あなたが、とても冷たい感じの人だと理解する。さらに、あまり英語ができない人ねと理解する。さらに、シャイだとか、色々、勝手に解釈するだろう。口発音は喉の音色があまり聞こえない。だから、声が小さい=シャイな人ね?とハンコをおされてしまうのだ。 口発音は、CHOPPYなのが特徴だけど、英語でCHOPPYに近い言い方をするのは、軍隊方式で命令しているときだけである。だから、日本人の英語を聞いて、あ、この人は近づきがたいと思ってしまう。またCHOPPYな英語を聞いて、「あ、この人は英語、そして私の文化を理解しない人だ」と勝手に決め付けてしまうのである。 だから、口発音から喉発音に変えるしかない。 しかし、姿勢も関係していると思う。私は、喉発音に変えてから、まわりからエレベーターなどで話しかけられまくりである。とくに、口ひげを最近、数ヶ月たやしてから、さらにその傾向が強まったような気がする。もしかしたら、私がもっているナーディーな感じ(ださい感じ)が少しだけ弱まって、人々が話しやすくなったのかな。 例えばだが、私が会社のエレベータに乗っていると、女性一人が乗ってきて、色々と言ってくる。女性一人があちらから話しかけてくるというのは、前はあまりなかった。ここの非常階段がどうのこうの、とこないだ聞かれて、分からんと答えた。なんか変だなあ、、、。先日も、デパートでシャツを選んでいて、ある一枚のものを持っていたら、「それ、いい色ですね」と、全然知らない若い女性が、コメントをしていた。え?何、それ? う~ん、なにが起こってるのかなあ、、と昨日、エレベータに乗ったら、そこに若い女性がいた。「もしこの人がなんの脈絡もなしに、話しはじめたら、何か起こっていると考えたほうがよいだろう」と思っていたら、案の定、5階で止まったときに、「あなたおりないのですか?」と聞いてきた。え?おりません、と行って、「なぜ止まったんですかね?」と聞くと、「私が間違えておしちゃったんです」と。全然、脈略、意味が分からないけど、話しやすくなったのかな。私という存在が。 つまり、私は、喉以後は、色んな人から話しかけられていたが、全体的にややださい感じがするので、さすがに、若い女性は、話しかけてこなかった感じがしたのだけど、口ひげをはやして、ダサさがちょっと低下すると(これ私の勝手な想像、笑)、若かろうが、男だろうが、女だろうが、誰だろうが、人が私に話しかけるようになったのです。 しかし、これは喉発音のせいではなく、西洋人も標準姿勢のせいではないか。だって、話しかけられるまで何もまだ言っていないのだから。 姿勢を、いわゆる不良少年のようにリラックスさせる。そのときに、気持ち的に、「なめんなよ、こら」と思ったら、その気持ちが体に現れるので、まあ、その時の自分の感情にまかせておけばよいのだと思う。人と初めてあったならば、「あえてうれしいです」とリラックスした体で感じていれば、きっとネイティブ的にいい感じになるだろう。 そして、言葉を発するときは、英語を喋らないといけないと決め付けてしまわずに、体、特に胸のあたりにハートを感じながら、喉、首、胸でワラってみたりする。すぐに言葉で反応する必要はない。まずはハートをリラックスした体で感じる。面白いことなら、おもわず、喉が笑うかも。それだけで、相手が「この人は私の言っていることを理解しているな」ととるのではないだろうか。 さて、最初の質問に戻るけど、確かに地元の人が誰も話しかけてこないとあせるだろう。そもそも日本人は、友達が一番大切だ。特に同級生の。同級生の友達のみが、かしこまらずに喋れる存在となりうるからだろう。 日本からの留学生は、誰もが、留学体験記で、「色々な国の学生と友達になれた」と書くが、それは結局、アメリカ人の友人はできなかったけど、韓国人、中国人の友達ができた、、、ということである。彼らは口発音でも、日本人の意図を勘違いしないからである。 留学中に地元の友人ができないと困ることがある。それは、日本に帰ってから、微妙に、ちょっと歪んだかたちの愛国主義みたいになるからだ。 「若いやつらで英語はぺらぺら喋るが、文法や、書くことが出来ない奴らが多い」というような発言をしている人がいたら、その人達は、外国でさびしい思いをしたと解釈すれば、おそらく正しいであろう。 実は、皆、英語喉以前は、さびしい思いをしているのである。私も透明人間として10年以上、アメリカに住んだ。社会学の学会で、誰も話してくれない。しかし、あるとき初めて教育社会学系の発表で100人ぐらいの前で発表、今度は、話をしてくれるだろうと思ったが、誰も話しかけてくれない。少しは話しているが、相手の目が、きょろきょろし始める。そして、知っている人を見つけたらどこかに消えてしまう。 その晩、アルカトラス島の見えるレストランで、教育社会学会系のディナー。誰も真剣に話してくれない。そのうちに、席が、話をしているものどうして、決まり、結局、英語の喋れない中国人の人と、いつも話をしている、これも口発音の韓国人の学生と一緒の席になった。その韓国人も私も、この会食で、アメリカの大学の先生などとコネをつくりたいと思っていたのだけど、、、。 しかし、英語喉以後、、、、努力なしでも、あっちのほうから話しかけてくるのです。年末の謝恩会で、私はついに長年、経験してみたかったことを経験した。それは謝恩会、会食のときに、人が3人ぐらい集まって、熱心に話している様子。どこからも、人が入れない感じ。あれは、経験したことがなかった。しかし、今回、3人ぐらいで、話し込んだ。それも、その二人は同僚の配偶者二人で、そのときに初めてあった人だ。 以前は、親しい人が少ないからそういうグループに入れないと思っていたのだけど、よく考えると、初めて会ったのだから、言うことがある、、、ということもある。 さらに、以前は、少し話していると、「ちょっと飲み物を」といって、アメリカ人が去り、それっきりだった。今は、ちょっと飲み物をと言ったら、本当に飲み物をとりにいって、帰って来るのである! 英語喉以前は、そういうサークル?的なおしゃべりに入れずに、ぽつーんとしていた。これは私だけではない。日本人は、学会などのパーティーでも、ぽつーんとしているのが普通だ。 喉発音と姿勢だ。リラックスしよう!  

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