上のレベルに移行できたような気がした
先日、他の会社に提出しなければいけない仕事で英語を書いたが、そのとき、文法を間違っていないだろうかという心配はあったが、ある程度自信がついたので、ネイティブチェックなど頼まずに出した。それは合格、不合格にかかわるものだったのだけど、無事に合格することができた。 ある意味で自分のキャリアにおいて、上のレベルに移行できたような気がした。 気がつくと、周りのノンネイティブはノンネイティブなのに、堂々と英文を書いていたように思うが、私はさすがにTHEの使い方に悩まされてきた。 が、最近、THEの使い方が大体分かるようになったし、文法もあまり間違わないようになった。間違っていても、後で読んだら分かるというレベルになったようだ。前から書いてはいたが、THEの使い方など100%あっていると言い切れないところがあった。 ところが最近、自分で文法があっているかどうかが、だいたい分かるようになった。 一つは喉がきっかけである。英語発音だけでなく、英語力が全体的に上昇した。観察力がついたという言い方がよいかもしれない。周りのネイティブがどんな英語を喋っているのか、書いているのか、、、というようなことを観察できるようになった。 非常に細かい例ではあるが、メールで HI ROB、 というときに、打つコンマの位置は上に書いたように名前の後である。これは、人から来るメールで誰もがそうしているから、私もそうしているのであるが、前はHIの後に打っていた。そもそも、他の人がどんなに書いているかな、、、なんていう視点がなかった。 やはり英語をある程度努力して喋っていたから、努力にエネルギーがとられていたのだろう。今は、喉のおかげで英語を楽に喋る、楽に聞く、楽に扱う、、、、ので、人の英語の使いかたを客観的に観察するという態度が生まれた。 喉は単なる発音と聞き取りの本ではない。英語力を全体的に伸ばしてくれるのだ。聞けて言える、、、から周りを観察できる。観察に基づいて、英語も伸ばしていく。 英作文の本で英語のライティングを伸ばすというのには限界があると思う。
メソッドがない教育は精神論にかたむいてしまう。
土曜日に2クラス、直接教えさせてもらっているが、本当にエキサイティングである。実際にできるようになるというプロセスを、実際にお助けする、、、そして本当にできるようになる、、、と。いろんな教科の先生に体験してもらいたい思いだ。 さすがに新しい情報が多く、学ぶほうも大変だと思うが、実際にその場でできるようになる、そしてじわじわとリスニングが良くなるという快感をアメリカの地で体験されているのはラッキーだ。 これまで聞き返されていたのに、通じるようになった、、、とか野球の英語が頭に入りだしたというようなことを報告してもらうのも非常にうれしいことだ。それでも、コーヒーを頼んだときコーラがでてきたという報告もあったが、そんなときは、なぜそうなったのかのメカニズムを発見することもできる。コのとこをカと読まなかったからだ、、、とか。 喉の指導にはメソッドがあるのである。通じなかった?なぜか、、、、そこには理由がある。その理由をはっきりさせたうえで、解決する。それは、和製英語に影響されて違う音を出したとか(歌、SONGはソングではなくサングである)、音節の数が違ったとかそういういことである。 喉にはメソッドがあるのである。 メソッドがない教育は精神論にかたむいてしまう。