昨晩は、待ちに待った剣道の稽古だった。GW大学の剣道クラブに入門したのだけど、それにしても、入門した?という大げさな感覚がない。ぐぐったら、たまたま近所でやっていた。GW大学の体育用施設(ジョージタウン)に愛車をのりつけて、校門のとこにとめる。用務員さんが、そこ止めていいよとか言ってくれる。夜なので無料だ。

半分以上が初心者なので、基礎的なことを教えている段階だ。なんと、私も、おもわず簡単なことだが教えてしまっているのでした。25年ぶりでまだ2回しかやっていないので、遠慮しながらだが。

筋のよいの若者がいる。打つタイミングと体重の移動が絶妙で、面の瞬間に、最大のインパクトを加えているのをみて感心したので、ほめた。うまくできているときに、それを理由とともに伝えると非常に喜んでいた。

最大のインパクトというと、打撃の強さととられてしまうので言い直す。大切なのは、いかに、次のステップにスムーズにつながるかということじゃないかと思う。面の瞬間、そして次の瞬間に、スムーズにつながっている。まるで体重の移動と竹刀の移動が完全に一致しているかのように。

そうでないと、面をとれなかったときの次の瞬間の対応に支障がでてくるのじゃないかと思う。

これは英語喉のライフサイクルとか、ギターにおけるアドリブにも通じるものがある。

ただ、メ~ンと言って、かけぬけていった最後で振り向くときに、彼は気合が抜けていたので、それを指摘したら、すぐに直った。気合が抜けていると、剣道っぽくないのだ。礼儀のようでもあるし、また、実際、うしろから切られてしまう可能性もあるのだから、気合を保つのは理にかなっている。

体が非常にかたい若者もいる。しかし、よく見てみると原因がある。それを探してやろうと、私はやつを懸命に見ていたのだが、問題点は、右足(前足ともいえる)のかかとがういたままになっていたことだ。左足のほうは、かかとを浮かしておくものだが、右足のほうは、平らにしておかないと、非常に動きにくいし、体全体が力む。面をするときの一連の動きのライフサイクルがスムーズでなくなる、、、という言い方もできる。

それを指摘したら、まあまあ、よくなった。

さて、私には一番楽しいと思われる「じげいこ」で、日本人の強者と練習することができた。本当にありがたい。私の頭のなかでは、スパンと面をとるのは、物理的、距離的に不可能であるという結論がでているはずだ。しかし、彼は、スパンと私から面をとってしまう。

え~、ありえない。

そこで一体、なぜそんなのが可能なのか?

思い切って練習のあとに聞いてみた。この、聞くというのが大切なのではないかと思う。聞かずに相手から見て学ぶというのは、不可能だ。というのは、体の表面の視覚的情報からは、精神のもちかた、考え方、体のリラックス度などが、分からないからだ。

ちょうど音声学者が、外から見た口の形に頼って音を分類したのはよいが、日本人が英語を勉強するうえで、機能的な知識を提供できていないのに似ている。

相手の考えていることを読んでいるそうだ。

う~ん、これは私はやっていなかった。今度はこれをやってみるぞ、、、と考えると、試したくて試したくてたまらなくなる

今度の練習は日曜日だ。

相手の考えていることを読む、、、、一体どうやって読むのか分かりにくいが、とにかくやってみよう。

今回の練習でためしたのは、とりあえず、相手をぶったおすぞ~という精神で向かうこと(3箇所を狙うというより)、プラス、疲労のコントロールだ。思ったのだが、自分でエネルギーをセーブするというのもあるが、相手に疲れさせるというのもあるのだけど、これは気迫のように思える。

相手の気迫が強いと、思わず、とにかく、出ないといけないとあせり、出てしまうが、とんで火にいる夏の虫状態だ。

相手をぶったおすぞ~と思って戦うと、自然と視線が相手の目線と一致した。大学生のリーダーはものすごい目で俺をにらみつけていることに気づいた。なるほど、これは、意識しなくても、相手の目を見る、心を読む、相手の体全体の総合的な動きに対応できる、、、ということにつながるかもしれない、、、、と今、書いていて思う(中学高校のとき、私は一体相手の何を見て、剣道をしていたのだろうか、、、???相手を見ているようで見ていなかったのかもしれない。)

強い相手、自分よりもできる相手に、聞いてみるというのは、やはり学びの王道じゃないかと思う。

小学校のときに、とにかく手をあげて質問をせよ、、、というスタイルの先生だった。しかし、中学、高校となると、何を聞いていいか分からないという状態で、大学となると、なにがなんだか分からない状態だった(何を聞いていいか分からないし、また聞いたらいけないような雰囲気)。

日本の英語教育においては、英語喉をやっていない人が多いので、実際には英語が聞けない、発音できない、喋れない人たちが、英語の学習法を発信している。これは、非常に、理にかなっていない。

日本人独自の学習法、、、というのではなく、箱の外に出て(THINK OUTSIDE THE BOX),世界の人たちがどうやって外国語を学んでいるかをみてほしい。それは、実際に使うということだ。

私が英語を勉強した1980年代はそれが普通だった。そもそも当時、日本人が英語が苦手だとは、まだ人が気づいていなかった。当時、高校留学とかで帰ってきた先輩が普通に英語を喋っているのを聞いて、まさか、日本人が英語べたとは考えてすらいなかった。

しかし、この20年、30年で、留学したのに、がんばったのに、英語ができない、きけないという日本人が大量に生まれた。さらに英語を教えているのに、喋れない、英語の聞き取りの本を書いているのに、聞き取れない人も多く生んだ。そういう人たちは、音の強弱を聞き取りましょうとか、そういうことを言っているので分かる。実際は、音の強弱なんて悠長に聞いておられない。

さて、英語喉が出て以来4年で、帰国子女じゃないのに、英語ができる日本人が出現している。それは英語喉実践者だが、その人たちを見て、「一体、あなたたちは、何をしているのか?」と、謙虚に問えるかどうかが、運命の分かれ目である。

そもそも、英語の上級者(?)たちは、英語教材で英語を練習していない。だから、英語喉なんて教材のタイトルを目にしても、ぽか~~~ん状態だろう。

私自身、英語はかなり昔からできたが、英語の新聞を読むとか、ネイティブと実際にしゃべるとかそういうことしかしていなかったので、英語喉どうとか聞かれても完全に無視してしまうに違いない。

今日のポイントは、学びのこつは、できる人に実際に聞いてみる勇気を持つことだと思う。

初心者は、聞く前にまず自分で調べろ、無礼者が、、、というような雰囲気は、非生産的なる環境だ。

大学のときの授業はそういう雰囲気があった。

いつも思い出すのは、中学のときにギターをやっていて、父に、(当時は電車で2時間ぐらいかかったのだが)広島市の楽器店に行ったら、ギターを聴いてもらったらどうかとアドバイスを受け、実際に楽器屋の兄ちゃんにギターを聞いてもらったことだ。勇気がいったが、やはり子供だから、兄ちゃんが忙しいかどうかなどというのは、甘えで許してもらったのだ。

ある程度の甘えとか、気軽に聞けるという学びの場に大切だろうし、また勇気も大切だと思う。

皆さん、勇気出して、英語をネイティブと喋りましょう。相手が日本語を勉強している外国人なら、甘えがきくんじゃないか?

剣道の練習後、中国人で3週間前にアメリカに来た若者に、英語どうだ?と聞いた。彼はGW大学の1年生だ。

そしたら、聞くのは問題ない。先生の話は分かる、、、でもカジュアルなコミュニケーションは苦手だ、、、そうだ。

何十年勉強しても聞き取りのできない日本人にはにわかには信じがたいことだろうが、聞くのが問題ないのは普通だ。

さらに、カジュアルなコミュニケーションで彼が分かりにくいといっているのは、それは表現がスラングだったりするからであり、音の聞き取りの問題ではないのだ。

英語が音として聞けていないのは日本人だけなのである。

「高校で特別な英語の教育を受けたのか?」と聞いてみた。日本におけるスーパーハイスクールのような学校に行ったのだろうか?と私は思ったからだ。日本の文部科学省は、特別な予算でもって特に重点的に力を入れて外国語教育をしている学校があるのだ。

彼の答えはNOだった。ただ、SATなどの準備を自分でやっていただけだそうだ。

日本の文部科学省は、いつ英語喉の存在に気づくのだろうか。いや、すでに手紙と電話で伝えてある。

アメリカの政府は、9・11以前に、フロリダで、テロリストたちが飛行機のりの訓練をしている情報はつかんでいたのに、それが、全くいかされなかったという。

日本の文部科学省は私が実際に手紙と電話で伝えているので、英語喉の存在は知っている。本も3冊、献本している。

しかし、そういう発見を生かすメカニズムが政府にはない。いや、メカニズムはある。それは、文部科学省さんは、外部の先生たちをコミティーとして、いかに日本人の英語力を向上させることができるかということを真剣に議論してもらっている。

しかし、そのコミティーに私自身は参加できない。

テニスのプロの人が一人そのコミティーにいたのだけど、そのかたは英語を喉発音している。そもそも、日本語も、唇をほとんど使わずに喋るかただ。

とりあえずは、喉実践者を応援することをがんばろう。

最後に、いっこく堂VS カズの対決です。

英語のどを教えていて、「いっこく堂」という名前を10回ぐらい日本人から聞きました。やっとYOUTUBEで見てみましたが、びっくりしたのは、私が当たり前のようにやっている、口を動かさずに(それどころか口をとじたままで)喋るのを彼がやっていて、もっと驚いたのは、観客が、魔術でも見るかのようにびっくりしています。喉ががくんがくんと動いているのが印象的です。

私は当たり前のようにそれができますが、いっこく堂さんと同じで喉ががくん、がくんと動いていますね。

でも、いっこく堂さんはPでもできるみたいで、それは不思議です。

いっこく堂さんの動画のタイトルは、腹話術とものまねの奇跡のマッチングというような感じですが、実際は、どちらとも喉発音なので、奇跡ではないように思います。おそらくいっこく堂さんは英語もネイティブ発音を簡単にされることだろうと想像します。歌もうまいでしょうね。

全部、喉だよ、喉。

それでは、今日の内容をおおざっぱに英語で喋りました。

[audio:http://nippondream.com/file/kaz_10_05_2011b.MP3|titles=kaz_10_05_2011b]

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One thought on “学ぶことのコツを剣道で学ぶ+いっこく堂VSカズ対決

  1. ごろぞう says:

    こんにちは

    ちなみにいっこく堂さんは
    pの音は舌を唇のかわりに使うと公言されていました。

    KAZさんなら、すぐにpも極められるかもしれませんね~。

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