米国経済の闇 不法移民の件

トランプが不法移民をおっぱらうみたいなことを言っているわけだけど、本当にそうしたかったら、今の瞬間、トランプ氏がいる場所から100メートル以内にあるビルの掃除をしている人を逮捕して、国外追放したらいいじゃんと思うのだが、それは起こりません。なぜなら、そういう人たちをしっかり搾取することで、経済が成り立っているので、いなくなると困るのです。不法移民を送り返すと大声で言うのなら、すぐそこらにいる人をしょっぴいたらいいではないですか。

夕方ぐらいから掃除をしている人と話していると、母国にいる自分の子供と何年もあっていないとか言っていて(これまで数人に聞いたことがある)、それは、もう違法で米国にいると、事実上、母国に帰れないということなので(帰ると米国に帰ってきにくいため)、そうなるらしいです。もちろん、それを社会として無視して、「違法で来るほうが悪い」と言うのは楽だと思うのですが、無視することで、経済が成り立っているように思います。その無視に結局は皆が参加しているのですよね。

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英語ができないから国際競争力に問題が生じているのでは?

やっと、スマートフォンを買いに行きました。今週中にゲットできそうです。在庫がなかった。 http://blog.with2.net/rank1932-0.html チョイスは、事実上、I-PHONEか、SAMSONGかでした。だって、日本製品が店(VERISON)に置いていないから。 ソニーとか、パナソニックとか、シャープとか、どうなってしまったんでしょうか? 70年代、80年代は、日本の経済力に力があった。と、同時に、当時から日本人は英語が不得意だったのだと思うのですが、誰も、日本人の英語力と経済の関係を問う人はいなかった。 その反動で、今日でさえ、日本人の英語力のせいで経済が振るわないと考える人はいません。 ところが、もしかして、サムソンが強いのは、韓国人の英語力、コミュニケーション能力じゃないか?などとふと思ってしまいました。 海外のCONSUMERの好みを知るには、現地の人の文化を知る必要がありますが、日本人は、自分達の都合のいいように、外国の文化を理解しがちのように思う。それは、日本人同士だけで、日本語で、喋っているからだと思うのだが、例えば、アメリカの食事は大味でまずい、、、とか、、。 しかし、気づいてみると、アメリカの食事もうまいものがたくさんある。 アメリカ人と行動していれば、アメリカの料理をアメリカ人風に食べることになるが、すると、うまい。 レストランなどで、ウェイターさんに、色々と質問をして、おいしいものにありつく、、、のだが、そういうのをするには、英語ができないと無理。 最近、思うのだが、もしかして、例えばマスメディアの人たちが海外で、本当に英語を通じて報道しているのだろうか?もしかしてCNNとかニューヨークタイムス読んで、まとめているとかじゃない?だって、聞き取りができなかったら、どうやって、海外で取材できるの? 強く発音されたどこだけに聞き耳を立てるとか、そういう方法では、事実上、仕事ができないと思う。 海外にたくさん、日本人がいるけど、仕事になっているのかな~??? シカゴ大学時代に、政府関係で留学してきていた人だって、英語が聞き取れないといっていたし、それで、政策関係のクラスを2年とっても、縦走回帰分析の結果が読める程度になったとおっしゃっていたけど、それは日本でもできる。 もしかして、中国人は、英語力、コミュニケーション能力を生かして、世界の機会をゲットしているのではないだろうか? 国内のビジネスだとコミュニケーション能力を問うのは、当たり前だが、世界のビジネスとなると、なぜか、まさか、英語能力、聞ける能力については、表面的には問題視されないように思う。 しかし、英語力が問題視されないのは、その日本人が、外国人に金を渡す立場にあるからじゃないかな。金をもらう立場になる場合は、コミュニケーション能力が大切になるのじゃないかな。 日常生活で全然英語がパーフェクトじゃないから困らないというのは、それは、外人に金をばらまく立場にある場合だと思うのだ。 太平洋戦争前の交渉など、英語が聞けずにどうやって交渉したのだろうか?と考えると泣けてくる。

自分が英語を勉強していない理由

自分は大学時代を最後に英語を勉強していない。 それは、大まかな英語の枠を大学時代にマスターしているからだ。 その後は、もちろん語彙が増えたと思うが、それは、日常生活、大学院での研究、仕事を通じて、覚えたもので、単語帳で覚えたのではない。 そうしているうちに、CNNなどで、あれ?知らないという単語はあまり出てこないし、出てきたとしても、なんとなく意味が分かる。 私の考えでは、語学というのは、最初の数年で枠をつくる。それは、主語がHEだったら動詞にSがつくとか、そういうこと。 2,3年で簡単な単語で喋れるようにしておく。 4年めと6年めの違いは、枠の部分ではなくて語彙レベル。 発音ができて、聞き取りができれば、このことが可能となる。 自分は、英語喉以前でも、アメリカ英語ならば聞き取れた。正直なところ、最初1年留学して帰ってきたときに、日本に来ていた留学生同士の会話がわかりづらかった。 ところが、友達をたくさんつくり、交流を深めているうちに、アメリカ英語ならば、事実上、分かるようになり、シカゴの大学院の英語も分かった。 聞き取りができて、発音ができれば、このことが可能になる。 ところが、聞き取りができないと、えんえんと語彙、表現、文法を勉強しつづけることになる。想像するに、多くの人が、ネイティブ同士の会話がわからないという場所にいるため、「語彙が足りないから」と思い込んでしまうのだと感じる。 幸い、多くの人が英語喉を経験した上で、今、英語力を伸ばしている。 このことはうれしいことです。 英語は本当に勉強していないんですが、もちろん、スピーチクラブをやったり、仕事で英語を書くときに、気をつけるとういことはしています。 しかし、私は英語の勉強とかやっていないんです。もう、ええかげん、アメリカ20年めです。英語だけで普通生活しています。 色々な方法がありますが、英語喉をやってから、シャドーイングをすれば、その練習方法が生きてくるでしょう。 水泳やスポーツならば、延々と練習をすることで体力を維持する必要があるでしょうが、英語が語学で記号の体系です。モールス信号、キーボード、などと同じで、覚えたら終わりというところがあります。 私の初見シャドー。上田さんが、今朝、これやってみいと言ったので、やりました。 上田さんの初見シャドー。私が上田さんに、じゃ、やってみたら?と言ったら実践してくれました。うまくできていると思います。実は、できるんなら、なんで練習しているのか?という疑念がありましたが、これで晴れました。

日本語でのキャラと英語でのキャラが同じに感じられて充実感

昨日は、友人の誕生会で、デュポンサークルというDCのまんなかにある繁華街に行ってきました。しかし、東京などの繁華街を想像してはいけません。もっと人が少ない。DCでサークルと名がつくと、それは、いくつかの道路が交差していて、その真ん中が丸い感じのスペースになっていて、そこを自動車がぐるぐる回れるようになっているのです(イギリスではラウンドアバウトとかいって、これが非常に普通だったと思う)。 英語喉を始めてアメリカ人の誕生会に招かれるようになったのは脅威です。来月も一人あるので行って来ます。 しかし、英語喉をしているから、ものすごく親しくなった、、、という言い方よりも、普通の人になったという言い方のほうが正しいと思う。日本でも同じだが、コンパなどに誘うとき、誰でもかまわず誘うというときがあると思う。 日本人はアメリカに住んで、積極的でないと、内容のある話をしないと、アメリカ人と溶け込めないと思い込んでいる。先日も、そんなことを言っているひとがいた。引用させてもらうと、 引用はじめ (ワシントンDC掲示板より) 発音がネイティブでなくても。平等に接するアメリカ人たくさんいますよ。 私がこの20年以上で気がついたことで、会話に必要なのは度胸、協調性、ユーモア、あと話が尽きないことです。 ネイティブでもつまらない会話、協調性のない人は相手にされません。 もともと「平等に扱いだす」って差別ですよ。 差別するネイティブのアメリカ人とはお付き合いしたくないですね。 普通に接しているアメリカ人は、心では「このアジア人め」と思っているかもしれません。 発音・発声音が人間関係を深める鍵ではないです。 引用終わり 私が言っていることの全く逆である。 しかし、実際は、どうだろう。日本で考えてほしい。その個人に「内容」があるから友達があるだろうか?度胸がないと友達ができないだろうか???? いや、結構、たまたま学校で席が近かったとか、下宿が同じだったとか、クラブが同じだったという単純な理由で、仲間にならないだろうか?もちろん、性格などもあるが、人格が破壊しているなどということでなければ、普通は仲間に入れてもらえるのだ。 それと同じだ。英語喉で喉発音をしていると、回りのアメリカ人が色々と誘ってくる。それは、パーティーなどの内容によっては、とにかく人数が集まると誕生会などもリあがるし、一緒に働いているのに誘わないのは、みずくさいとアメリカ人だって思うからである。 飲みに行こうよ~、とか、もう帰るのかよ~、まだ早いんじゃね~か~、、、という発想だって、もちろんある。 そして、社交しているうちに、友達感覚になってくるのだ。 昨晩は7人だったのだが、当然、喉発音でのりきれた。特に良かったのは、ついに私自身の日本語のときのキャラと英語のキャラが同じになったと思えた点だ。以前は、日本語だとどちらかというと社交的だと思うのだが、英語だとシャイと思われてしまう、そしてシャイみたいに振舞ってしまう点に矛盾を覚えた。 隣に座った人は初めてあった人なのだが、ちょっと私がア~と息・音をもらすだけで、上りと新幹線と下りの新幹線が駅ですれ違うときのようなかんじで、パ~~~ンと私のほうを向いていた。そのレストランはうるさかったのに、それだけで相手がこちらを向くとは~。 さらに、こういう場では、失敗をおそれず、面白いかな、面白くないかな?という感じで、面白げな話をするわけだが、一人が、その話をするときに、私のほうを主に私のほうを見ながら喋っていたので、口発音時代は、こんなことはありえなかったなあと感無量だった。「カズなら笑ってくれる」という信頼感ができたのかもしれない。 また俺を会話の中心にしようというようなことも人が言ったのだが、これも感無量である。日本はどうだったか?とか、カズは英語を教えているだよね、、、どうよ?みたいな。 日本語の会話では当たり前の進行だが、英語でこれが起こっているのは、それは俺が喉発音で普通の人になったからだろう。 しかし、やはり英語が100%聞けているということは強いだろう。しかし、そこにはギリシャの人もいたのだけど、彼女だって100%聞こえていて、談笑に加わっている。喉発音と3ビートでやっていると、誰でもできるのである。 たまたま一人だけ、ちょっと遠い存在的な男性がいたのだが、それは、彼を知っている人が一人だけだったからだ。彼はどちらかというとその知っている人だけと喋っていて、ま、おおげさにいえば、ぽつーんとしていたのだが、私はそれを見て、な~るほど、俺は口発音時代は、いつもポツーンマンだったなあと思い出したのである。これは大げさに表現しただけだ。彼はたまたま知っている人が多くいなかったということ、彼だけが、違う産業に従事しているということという特殊な事情があったので(他のメンバーはなんらかの形で同じ会社に勤めていたことがあったりした)、私がここでポツ~ンマンと呼びつけるのはアンフェアなのだが、ま、話の勢いということで。 しかし、私がこのテーブルでポツ~ンマンにならず、会話の中心になることさえできたのは、それは、メンバーが女性が多かったというのもあるかもしれない(7人中、男は私を含め2人であった)。女性が多かったのは、バースデーの主人公が女性だったからだろう。 喉発音になって、観察力が強くなって気づくのは、女性というのは、結構、気をよく使う人たちなのである。男性以上に社会関係に気を使うように思える。だから、私が何か言おうとすると、すぐに丁寧に聞いてくれる感じがする。 これは文部科学省でさえそう思っていると思うが、英語ができる日本人像として、ディベートができるとか、議論できるとか、そういうことが前面に出る。それは、日本人の西洋人像は、論理的、白と黒をはっきりさせる、はっきりものを言うなどだ。…

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