学習の場における実践、言説の脱構築を

ファンダメンタルなレベル(表層でない)での文化コードの脱構築を。

アメリカである恐ろしい光景をみたことがある。

教師が、生徒に教科書のまとめを書かせていた。同時に、教師は、何かを解説していた。教室は静かで、あたかもなんの問題もなく時がすぎていた。

ところが、絶対的に変なことが起こっているのだ。生徒は教科書をまとめているのだから、静かに作業しているが、教師の話は当然聞いていない。ところが教師は、なにかの説明をどんどんしている。生徒が静かにしている=集中している、、、、=自分の話しも聞いている?と思っている?

これは異常な例かもしれない。ところがこんな風景も見たことがあるし、体験したことがある。説明は次のセクションのことに写っているのだが、生徒は、直前に説明されたことをノートに必死に書いている。これは、アメリカでも見たし、日本のでも体験した。

静かにしている=集中している=授業がうまくいっている

、、、という解釈は文化コードである。

最近では、コンピュータを使って授業をすすめるだけでなくて、コンピュータのつくりだす環境の中に、実際に入り込んで、授業をするというシステムがある。そういう空間では、理解する、意見を述べる、学ぶといった大切なことを、実体験できるようだ。

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