文部科学省の政策について

ネットで批判があった。英語で英語の授業をしろという文部科学省は、現場を理解していない、、、と。そのURLはあるのだが、ちょっと今忘れた。

英語で英語の授業、、、に関する私の意見。

英語教師自体が現場を分かっていないではないのか、、、というちょっときびしいコメントをしたい。英語教師ということではなくて、教師である。ちなみにこれはアメリカでも同じだと思う。

先生、生徒、聞いているようで聞いていないですよ。授業。DAY DREAMしています。

それはメソッドがないからです。

例えば、英語の授業。中学の最初のころは、やはり説明を聞く必要があると思いますが、高校ぐらいになると、聞く理由がない。

訳を書き取るというぐらいかな。

実際、テストのためには、やはり直前勉強が有効。

だから、結構、授業は聞いていないんです。

授業を聞いていたとしても、それはノートをとっているだけでしょう。

生徒はうなづいているかもしれない。まじめにやっているかもしれない。でも、それは、ノートをとっているだけだと思います。また私なんかそうでしたけど、聞いていないのに聞いているフリをするのがむちゃうまい。

実際、メソッドがないんです。例えば、高校や大学の授業で訳しながら解説しますけど、あれって、実際、教師用のマニュアルを生徒に渡しておけばすむことなんです。で、実際、ああいうスタイルの授業が効果があるか、あるいは一体メソッドが何なのか?教師のほうもわからんですよねえ。

英文がある。それを訳す。ここがポイントだよと説明する、、、これはメソッドなのでしょうか?メソッドじゃないような。

よく聞き取り用の本にありますね。とにかく聞かせる。そして熟語をピックアップしておいて、これはこういう意味だから注意しよう、、、と。それってメソッド?メソッドじゃないよね。それって。そんなこと後でいわれても困る、、と。先生も聞けないんでしょ?文章を自分が用意したから知っているだけでしょ?みたいな突っ込みもきそうです。

メソッドとは、これをやると、今から挑戦するこの問題をSOLVEできますよ、、、というものですよね。RETROSPECTIVEに何かを指摘して、「XXはこういう意味です。注意しましょう」というようなものではないはず。

私自身、一度、高校教師で、どうしても英語の成績があがらんという生徒をまかされたことがあるんです。5,6人だけの授業でね、英語がどうにもならんから、小数でどうにかしてくれ、、、と。問題集を与え、そして思い切って、解答集も渡してしまいました。

で、彼らに、「わからんかったら質問しろ」といったら、全然質問しない。で自分で、問題集と解答集で勉強しとるんですよ。たまに、「せんせえ、これでええん?」と聞いてくる。「ウン」というと納得する。

そのとき思いました。一体、訳読の授業ってなんなん?と。で、彼らはまじで大学試験に合格してしまった。

思うのですが、本当に中学や高校の授業が効果があるのか、厳密に調査研究すべきです。メソッドが確立されていないことが多いので、効果がない可能性がある。

ちなみに私は教育研究における実験の専門家になっているので、以下のことをやってほしい。

普通の授業を受けるグループ(A) VS 教師用マニュアルを渡しての自習するグループ(B) VS 全然勉強しないグループ(C)

の三つを比べて、最後にテストをうけさせ点数を比較。

さすがに(C)はダメだろうけど、(B)のほうが(A)よりも成績がよい可能性がある。

メソッドが存在しない場合、どうしても授業の方法が、単に訳すとか、やらせる、、という風になる。その場合、先生が必要じゃなくなる。

だから色んな教科で本当に効果のあるメソッドを開発する必要がある。

あと、これは大切なんだが、教えていることが本当に大切なのか?RELEVANTなのか?という問題もあるね。

英語を高校教師として教え始めて最初のころ、訳読が面倒でたまらんかったので、刷って配ったことがある。そしたら他の授業でも同じ教科書を使っているので、他の先生が困った。ではっと気づいてやめた。

授業がなりたたなくなるんです。訳があると。

訳読って、生徒のためのメソッドじゃなくて、教師のためのメソッド?じゃないかと。

訳があるから、生徒が先生の話を聞くんだから。でも、実際は、訳って、生徒はもってるんですけどね。親が英語の教師だったりする生徒がいて、教師用のテキストが闇にまわっている。だから、生徒は聞いているふりをして、聞いていないと思うんですが、どんなもんでしょう。

すくなくとも私は、授業中は頭がぼけーとしていましたよ。脳死状態でした。

そういうのが実際の現場じゃないでしょうか?

とりあえず、学校を半年ぐらい休みにして、国家をあげてメソッド開発をしたらどうでしょうか。教えてわくわくしてしょうがないというような学校になるんじゃないかな。

DCの地元で喉を教えさせてもらっていますが、教えていてわくわくして楽しいです。メソッドがあるので。「遊び」みたいです。メソッドがあるので、目の前で受講生ができるようになっていきます。

そんな学校に変えましょう!

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3 thoughts on “文部科学省の政策について”

  1. こんにちは。
    mixiから来ました。

    学校英語には私もずーーっと疑問を持ち続けています。
    以前assistant language teacherと話した時に、「日本という国は国民に本当に英語を身につけさせようという気があるのか理解に苦しむ。」と言っていましたけど、同感です。

    大多数の人が中高合わせて6年間は学習しているのに全然英語ができないって、どう考えてもおかしいです。
    なのに学校教育は授業方法の機軸を何十年も変えないままです。
    6年間教えても効果が出ないなら、根底から変えるぐらいの試みがあって然るべきだと思うのですが。
    アメリカに対して「英語学習させてますよ。」と、日本のトップが口実をつくるために学習させているのかとすら勘ぐってしまいます。

    教える現場の立場にいる者として、現場から変えることには限界があると痛感しています。
    やはり教育課程を作る側にならないと。
    学歴も実績もありませんが、私はこれからそこに挑戦していきます。

    かずさんはご自分の研究を広めていらっしゃるのですよね。
    どんどん広めて、教育課程に影響を与えてくださいね。
    多くの日本人が英語を使えるようにしたいものです。

  2. そうですね。

    高校の時クラスメートの大半はテスト直前に配られる”日本語訳”を丸暗記してテストを受けるというようなことをやっていたと思います。

    成績優秀者も基本的には内職をやってました。が、成績が良いので先生はそれを知っていながらも黙認していました。

    英語という科目があるから英語の教師がいるのではなく、英語教師がいるから(クラス)英語を学ばねばならないという状況でしょうか。。。

  3. はまじさん、てっちゃん

    どうも、コメントありがとう。

    今後、大切なのは、先生達、生徒、それから親、つまり社会の皆がいかに協力していくかだと思います。特に、大切なのは生徒だと思います。

    こないだNHKのお母さんと一緒を見ていたら、非常にハイパーなお兄さんとお姉さんが出てきて、「みんなげんきー」とやっている。で思ったのだけど、私たち人間は、生まれていかに、元気に見せるか、素直に見せるか、、、ということを考えて生きていている、、そのために、先生がわからんことを言っても、わかったふりをしすぎだ、、と。

    学校でいえば、授業、社会でいえば、なんらかの学びの場において、生徒が率先して、「先生、わからんのです、もうちょっとゆっくり言ってください」とやること。これを一人でやると恥ずかしい。でも、できるだけ多くでやるとよいのではないか。

    先生はこういっているけど、そこがわからんのです。ちょと順番だてて教えてくれんかいのお、、、と言う感じで、やるとどうだろう。

    つまり生徒が先生を鍛える、、、というか、どうやったらよい先生になれるかを教えてあげる。

    ってのどうでしょうね。

    思うに、「分からん」というのが学習者の武器だと思うんです。これは私が仕事でやってますよ。何か、仕事をする、レポートを書く。するとそのレポートをクライアントに渡す前にレビューをするんですが、シニアのレビューアーに渡すと、ここが分からん、あそこが分からん、、といってくるんです。シニアがですよ。だから、それが分かるように改良しているうちによいレポートになっていく。

    分からん、、、ということを分からそうとしているうちにいい仕事になる。

    分からん、、、ということを大切にするのがよいと思う。

    英語喉でも、全部、JEANAさんの発見だけど、そもそも私自身が、わからん、なんでネイティブと同じにならんのか?という発想があったのが良かったと思う。

    小学校のときの先生がよく言っていた。分からんかったら質問せよ、、と。

    やっぱりあれが基本だと思う。

    でも、これ書いて気づいたんだけど、確かにそういわれて、生徒、いや児童としては、質問をするんだけど、それは先生の期待にこたえるために質問するだけであり、答えてもらってそれでも分からんかったら、そこでひきさがるよね。

    あとね、聞いて分からんかったら、それでも分からんと言うのが大切かもしれん。

    説明を一回聞いたら、相手に悪いけん、はあ、わかりました、、、と言ってしまいがち。

    そこをもう一回押す、、と。

     

    先生というのは、生徒が静かに聴いていたら、熱心にやっていると勘違いしてしまいがちなので。まじですよ。授業にいって、生徒がしーんとしていたら、終わってから職員室に戻るあいだに、「おー今日はすばらしい授業だった」と思ってしまうんです。逆にざわざわしていたら、「ありゃ、今日はダメだった」と思ってしまう。でもわからんよ。ざわついているからダメとかいうことはないかもしれんです。

    ざわついとるクラスのほうが、しーんとしとったクラスより大学合格率が高かったので、愕然としたことがあった。

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