剣道と精神の修行 英語喉風

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今週末、KAZY YOSHIMURA主催のラングエージエクスチェンジSKYPE GROUPに皆さん、挑戦されてはいかがでしょうか?こちらからどうぞ!

TIME:
JAPAN TIME DEC 18TH (SUN) NOON to 2PM
US EASTERN TIME DEC 17TH (SAT) 10PM to MIDNIGHT

http://www.doodle.com/skt9a2mc8ctmdg2v

 

 

先週末の成果のお一人を紹介と、、、。どうでしょうか?

私は普段から、説教じみたことを聞いたり読んだりするのはあまり楽しくないのだが、ここにきて、精神の持ち方を語りたい。

剣道始めて2ヶ月?ぐらいだが、私はひとつ、自分の心の持ち方で持って生きたい方向があった。それは、あきらめることはあきらめる、、、という精神である。

もちろん、逆に、いからないときはいからないといけないとも言えるし、立ち上がるときは立ち上がるべきだということも言える。

もちろん、人生を振り返ると、そういうことも不得意であったが、大切なことに対して怒らないから、逆に、怒るのが簡単なことに関しては、簡単に怒ることができたが(当たり前だが)、ここに来て、それを直したいと思うにいたった。

小学生や中学生でいじめられている諸君は、できたら不正義に対して対抗したほうがよいということは言える。いじめっ子は、誰が抵抗しないかをチェックしているからだ。最初が肝心。

以下に例を挙げるが、剣道は、その心の持ち方を育ててくれる。まずは失敗例だ。先月、ニューヨークの八段の先生がDCに指導に来てくださるということで1週間前から楽しみにしていたのだけど、その朝にスケジュールが変わり、私は、その指導に参加できなかった。

そのことが分かった瞬間、私は、非常にがっかりしてしまって、しばらく立ち直れなかった。

稽古場についたら、もう稽古が終わっていたのだ。

しかし、その場合は、もうなげいてもしょうがないのだ。

だめなことは、だめなことと素直に受け入れるという精神を育てたいと思ったのだ。

もちろん、立ち上がるときは、立ち上がるという点は忘れてはいけないのだけど。

さて、先週、稽古で胴の練習中、私は、相手の胴がはずれて、右の脇の下におおきな衝撃を受けた。

拷問とはそういう痛さをともなうのだろう。

これこそが、なげいてもしょうがないことだから、私は、なんとそれを耐えて、顔に出さなかった。

ところが、次もまた同じ場所に、胴が外れたのだ。これは、本当に激痛だった。

しかし、私は、それをも、またクールに受け取り、何もなかったのかのように、稽古を続けたのである。

翌日、鏡で見ていると、私の脇の下には、アメリカの海兵隊がよく使うブルドッグのテーマの刺青のような、内出血のようなあざが出現していた。

しかし、そのことも私は、受け入れ、なんの心のぶれもなく、現実を受け取ったのである。

これこそが剣道による精神の修行の成果だろう。そして、これこそが、平常心ということだ。

我々は人生において、立ち上がるべきときと、受け入れるときがある。

おうおうにして、立ち上がるべきときに立ち上がらないのに、不平不満を言ってもしょうがないのに、ぐちゃぐちゃとわめく、、、

そのような心を鍛えるということだ。

さて、実は、上に書いたことは理想の世界、いや、こうしたらよかったなと私が後で思ったことです。

すくなくとも3回、上の話では、心の動揺の場面がある。どの段階だったかは言わないが、私は、少女が泣くように、顔をしかめて、

いて~~~~~~~~~

と顔に苦痛を表して、またしても、少女のように泣いてしまった。

涙は流さなかったが、流さんばかりの勢いだった。

ジーナが私が痛い場面(例えば足をぶつけたときに)に、

いて~~~~~

と言って顔をしかめることを目撃している。

私は、皆さんもご存知のように、外人になろうとしているので、少女のように泣き、

いて~~~~

と顔をしかめる癖をやめたいのだ。

え、外人になろうとしている?

それはギャクだ。

というわけで、剣道とは、精神の修行だなと思う。

言ってもだめなことを耐えるということだ。

でも、立ち上がるときは立ち上がりましょう。

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