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英語学習の言説形成

古い言説(と私は思う)  

 http://web.mita.cc.keio.ac.jp/~tomoda/otsu/seishonagon.html

英語で議論できることが大切(であり、他のことは二の次、、、と解釈できるような言説、、、しかし英語喉パラダイム的には、喉で言えて、喉を聞いていないと、議論どころか、聞き取りやコミュニケーションは難しいだろう)。私自身も、そのように考える傾向があったのだが、英語喉を始めて、英語的にネイティブと同じになり、聞き取り100%になったとき、やはり「議論」以上の世界があると感じた。そもそも、ネイティブは議論とかあまりしていないように思う。日本人だってあまりしていないと思う。議論は仕事でして(議論と呼べないように思うが)、あとはジョーク的な会話をしているうちに、日が暮れるというかんじだ。

しかし、議論ができれば、、、という語り口も、「でもその議論ができないから困っているんですが」という苦情がでそうな気もするのだがどうだろう。

新しい言説 天満さんが、面白いBLOG ENTRYをUPされていた。このような語り方、喋り方、発想、、、などは、これまでの日本に存在しなかったと思う。やはり天満さんが、英語の音を100%聞けている、、、ということではないだろうか?

http://processeigo.seesaa.net/article/145333659.html

天満さんにイギリス人のかたから連絡があり、ありがとうが、ORIGATOと綴られていたということだ。ARIGATOじゃなくて、ORIGATOと。これは英語喉のパラダイムで説明できると思う。そういえば、私のアメリカ人の友人が、私の実家を訪ねてくれたのだが、父のことをKOZUMIと書いていた(カズミなのに)。

関係ないが、フランス人が、カラオケといったとき、キャラオケに聞こえるが、あれはどうなのだろう。英語喉以前に、キャと聞こえたと思っていたのだが、もしかして、今聞いたら、カに聞こえるような気がしてならない。

天満さんの英語発音講座(東京)に欠員が一名でたので再募集と書いてありましたよ。

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文法が大切だという言説について

直接指導喉セミナーをご希望のかたは、 http://nippondream.com/eigonodo/semina さて、大津由紀夫先生のサイトに、慶應義塾大学英語教育/言語教育シンポジウム http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/ という企画の告知があって、実際にプレゼンテーションされるかたが紹介されている、だけでなく、PDF形式で簡単に内容も読める。 江利川先生は、歴史的に英文法がどのように教えられてきたかということのレビューをされている。 http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/files/i/2011/2011-09-10%20Erikawa.pdf ただ4ページで、日本がコミュニケーション重視になったから、文法を軽んじているという主張は、いきすぎではないかと思う。実際に、データに基づいていないように思われる。それを主張するのであれば、インタビューであるとか実際の授業観察をし、データをコーディングしてからにするべきであろう。ただ、以下の引用がある。 斉田智里(2010)によれば、高校入学時での英語学力は 1995 年から 14 年連続で低下し続け、下落幅は偏差値換算で 7.4 にも達する。 私は教育研究の専門家であり、仕事で、教育の研究を評価している。またこのかたが使われているラッシュモデルというのもやっている(GOOGLEでRasch modelと打てば私の説明がWIKIに続いてランク2位として発見できる、、、これ。)。 このようなCLAIMができるデータが日本に存在するとは思えない。昔と今の全国のランダムサンプルなんてありえないと思うが。また、項目反応理論的にも、EQUATINGなど無理じゃない?そんなデータあるの? 実際にこの論文を読むのにはどうしたらよいのだろうか? <後日談 英語喉実践者のかたのご協力でこの博士論文がゲットできました。読んでみると、日本全体のデータではなく、茨城県のデータでした。また、リサーチの目的も、心理統計モデルを使って、こんなことできるかな、過去のデータを使えるかな?という実験的、メソッド的な試みに私には読めました。さらに、方法論の描写を読んだのですが、過去のデータの個人レベル+テストアイテムレベルでのデータ(つまり心理統計学をするのに必要なデータ)を使ったのかどうか分かりませんでした。 この論文を使って、日本人全体の英語力が下がっていると主張している先生への感謝の言葉などがありましたので、お知り合いのようです。> 斎藤兆史氏は、以下のPDFファイルで http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/files/i/2011/2011-09-10%20Saito.pdf ジャズの即興演奏は、ジャズの理論を頭で覚えるところからはじまるのであり、理論も知らずに「シャワーのように」ジャズを聴き、ジャズっぽく楽器をかき鳴らしたところで、即 興演奏などできるようになるものではない…

アシュラさん、次のステップ

http://ashrafieh.seesaa.net/article/160695924.html でアシュラさんが、英語喉は理解できて、一段落ついたとおっしゃっていて、ほっとした。アメリカのドラマの英語が、前よりも耳に入ってくるようになったとの報告もうれしい。 さて、今日は、以下のアシュラさんの言葉に対してコメントしたい。アシュラさんいわく: 目標は、即興で5分間の英語スピーチができるようになること。原稿が無い即興でそれくらい話す機会はジョブ・インタビューくらいでしか無いのだけど、自分の「英語が崩れる」のはまさにそういうインタビューの最中だったりする。 引用終わり さて、私のアドバイスだが、大切なのは、喋る前に、話すアウトラインを考えすぎないことだ。話す前に、あれこれ考えると、喋っている最中にも、この次には、あれをいって、これを言ってと、頭がパンク状態になる。 私は、よく会議などに出席して、自己紹介をしないといけないときに、他の人が自己紹介をしているあいだに、何を言おうか、これを言おうかと考えすぎて、せっかくの他の人の紹介が頭に入らなかった時期があった。そして、自分の番になると、結構、あせってうまく言えない。そして、終わったあと、残りの人が自己紹介しているときに、あ、あれを言えばよかった、これを言えばよかったと後悔して、また人の話が残らない。 ところが、あるとき気づいたのだが、そういう場で心配そうに、しているのは、私だけのように思えた。他の人、ノンネイティブでも、気楽のその場で喋っている。 結局、自己紹介にしろ、仕事にしろ、自分のこと、あるいは自分が毎日やっていることだから、結構、その場で言うことを考えれば良いのだと思う。 そうすると、言葉がたどたどしくなると心配するかもしれないが、 言葉はたどたどしくても、全然かまわないのだ。 喉発音と3ビートさえできていれば、その文のどこを強調するかとか、あるいは、どんな語彙を使うのかなど、聞くほうとしては、どうでもよいことなのである。 もちろん、感動させるためのスピーチを国会議事堂でやるというのなら、違うが、仕事などで喋るときは、そういう配慮は結構いらない。 そもそも、英語とは、最初に言う文を考えて、それから喋るのではなく、その場その場で、言葉を単語ごとにつないでいくものだ。 たどたどしくても、喉の奥に響きを感じながら(こだまブースター)喋れば、全くコミュニケーションに問題がおこらないし、だいたい、仕事の英語とはそういうものだ。 もう一つ大切なのは、喋るのが自分だけだと思わないこと。相手がおり、相手が喋ってくれて助けられることもある。 私も仕事で使う英語では、私が文の半分まで言ったあとで、同僚が文の半分を終えることがある。会話が、私だけで完結しない。私も、相手が言っている半分まで聞いて、そこから私がその文を終えることもある。 喉で喋っていて、3ビートであり、またリラックスしていれば、相手が会話に参加してくるのである。 それも文の中間で。 これまで日本人は、文というものを絶対的な単位と捕らえすぎていたと思う。だから、文があって、イントネーションが大切だと思い込んでいるが、そんなことは絶対的にない。 日本人の会話でも同じだ。聞こえは悪いが、人の話を盗み聞きしてみてほしい。英語でも同じだ。 つまり、仕事などで英語を喋るとき、大切なのは2つ。 いきあたりばったりで喋ること。 相手の協力もうまく利用する(喉でしゃべって、リラックスしていると相手も勝手に参加してくる) いきあたりばったりでも、内容は毎日やっている仕事のことだったりするのだ。またいきあたりばったりだからこそ、聞いている人の反応を見ながら、適時、内容を変えていける。質問にも答えられる。 私は、特に口発音時代、議論がなかなかできなくて苦労した。あきらかに、日本のネタで、まわりが私が何がコメントしたらなあと思っているだろうに、言えないのだ。それは一つには、あれを言って、これを言って、、、と最初に組み立ててしまっているうちに、緊張して発言ができにくいところに自分をおいやっていたのである。…

大津先生のエッセイ

大津先生が、小学校の英語教育の活動の会に出られての感想をネットに出してらっしゃった(三羽さんのところから行けた)。 http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/files/i/2010-2/otsu-syoei.pdf 最初のほうをよんで、もしかして、日本には英語を喋れる人がいないのではないか、、、という気になった。YES I CANという人が皆無なのではないだろうか? 私は、これからも英語が喋れる立場から発言していきたい。そうしているうちに、私と同じレベルで英語が使える人が増えてくるに違いない。傲慢ではない。アメリカで大学院に行った中国人やギリシャ人は、あたりまえのように英語を使っている。英語で教育を受けても、英語で苦労しているのは、日本人と韓国人だけである。 あと先生の「言葉への気づき」だが、その気づきが、本当に、生徒の能力を伸ばすのであろうか????それを極めたら、英語ができるようになるのだろうか。例えば、その言葉への気づきを教えようとしている先生たち自体の英語能力は、「気づき」を極めることで、向上しただろうか?その答えがYESであれば、生徒達のためになるであろう。 英語ができる、、、ことが英語教育の目的であるということを前提として考えているので、何か英語以外に大切なものがあるとか、そういうことであれば話は違ってくるとは思う。ただ、その「大切なもの」が本当に生徒にとって大切なのかどうかは、ぜひ、その大切なものを極めたら、教える側自身もこんなに伸びました、、、というようなものがほしい。例えば大津先生のエッセイの中に、直山さんというかたの実践例があるのだが、「四」が日本語では、「よん」とも「し」とも読めるということに気づくと、教師にとって、そして生徒にとってどんな良いことがあるのだろうか。 他にはどんな例があるのかなど、興味ぶかいが、英語喉の喉発音やシラブルに関する発見は、言語の気づきにならないのかな?なんとなく、なりそうにない。パラダイムが違う感じがする。たとえば、このMIXI動画は、私が、アメリカ人の声が根本的に違うということを示そうとしてとったものだ。外国人の声が根本的に違うということなど、小学生に見せたら、ものすごく盛り上がりそうだ。英語と日本語の根本的な違いを体感することができるものだけど、これは「言葉への気づき」になるのかな? http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=4672939&video_id=8677075 なぜ、これが「言葉への気づき」にならないかというと、私が英語を100%聞けて、使えて、読めて、書けるという点で、言語学とか音声学とかいったコミュニティーから除籍されるような気がするというか、雰囲気があると思うからだ(逆に、終身雇用的な立場で英語を教えている、、、という条件がいるような気がする、、、。非常勤で実践したら、クレームが付きそうな気がする、、、)。 思うのだが、例えば、多くの学者さんが、ネイティブの真似をする必要はない、、というような会話を、ものすごく楽しそうにされていると思う。ところが、そんなところに私が出てきて、 え?それは、英語ができたら、そうは思いませんよ、、、 と言ってしまったら、ものすごくしらけてしまうだろう。 いや、やはり、思うのだけど、英語力に上、中、下とあるとする。下の場合、まだがんばろうという気があるから、ネイティブをしっかりモデルとして勉強したいはずだ。私は英語が日本語のように使えるので、当然、ネイティブをモデルとして英語をマスターしている。 ところが、中レベルになると、上に向かっているわけだと思うが、英語が分かるようで分からないだろうから(聞き取りなど)、ネイティブを目標とすることに嫌気がさしてくるはずだ。 嫌気がさしているところへ、私がでてきて、え、それは英語力の問題でしょ、などと言おうものなら、それば、軽蔑をされるだろう。おまえは引っ込んどけとなるであろう。 上に書いたこと消そうかと思ったけど、まあ、ええわ。たまにはヘンなのがおってもええじゃろう。  これもとってみたんじゃが(以下のURL)、こういうのも指摘して、ちゃんと客観的に教えてあげたら、小学生がうーん、面白いと思うのではなかろうか。英語ネイティブの先生が喉発音と3ビートで日本語を喋っているYOUTUBE動画に私が音声をかぶせたものだ。ただし、子供に教えるならば、馬鹿にしたりとかしないようにしないと。 結局、ナマリの生じる構造は非常にシンプルであるということです。そういう構造を知ると、たかが英語、たかがナマリという感じになります。 http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=4672939&video_id=8677393 「英語ができる日本人」を育ているというのが、文部科学省の目標だし、多くの英語の先生の目標だと思うのだが、なぜ英語ができる「私」が、そういうコミュニティーから完全無視を食らっているのが、非常に、はがゆいのだ。 悟りの世界というのは、一人でも悟りましたと言ってはいけない、、、ということを社会学者のかたが言っていたが、英語もそうかもしれない。 英語が分かります。100%聞けますということを発言するのはタブーなのではなかろうか。 大津先生はエッセイの最後のほうで、ALT丸投げ(ネイティブの先生に全面的にまかせてしまうこと)と、英会話もどきになってしまうことに危惧を感じておられるが、思うに、世界で最も、効果があると思われている言語の習得法は、IMMERSIONである。これは、言語が喋られている環境に入ってしまうということだ。とすると、丸投げしたほうが、良いということになると思うのだが。人数が多すぎたらだめだと思うけど。 私が小学生だったら、丸投げしてくれたほうが面白いと思う。…

Responses

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  1. かずさん、
    ご無沙汰しています。記事を紹介していただき有難うございます。AではなくOで書くのが面白いなと思いました。
    そう発音しているからでしょうね。

    ところで、最後にご紹介いただいた東京での『TOEICに役立つ発音セミナー in Tokyo』ですが、またお申し込みがありまして現在満席になりました。

  2. あのう、上川先生が喉発音に気づいたのはいつでしょうか。高校生のとき、大学生のとき、学校の先生をされていたとき、シカゴ大学に留学していたとき、就職されてから。。。そして喉発音に認知が変わったきっかけは何でしょうか。。。シカゴ大学の大学院に留学するにはTOEFLがほぼ満点でないと受け入れてもらえないはずです。その時点では喉発音に気づいていなかったとしたら、喉発音に気づく前から、日本で学ぶ英語教育は十分に極めていた可能性があります。

  3. 英語喉は出版の2年ぐらい前に、ジーナに教えてもらいました。そのあたりは、http://www.nippondream.com/method.htm にも書いています。

    大学時代に留学をしていたので、英語はよくできました。ただアメリカ英語だと聞き取りがよくできるのに、イギリス英語のしつこめのやつだとぐっと理解度が落ちました。本当に、英語喉を知る前は、BEND LIKE BECKAMとかいうイギリスの映画を飛行機内でみて半分ぐらいしか分からなかったんです。

    TOEFLは受けたとき、全部分かったので満点だという感覚がありました。大学院の授業も理解できました。ものすごい努力もしました。

    それでも英語喉を知ってから、英語を使うことが日本語と同じように楽になりました。