英語は英語でしかありえない。一種類しかない

文部科学省にて、英語に関するコミティーの座長をつとめておられる吉田研作氏のインタビューがあり、引用したい。

http://www.eltnews.com/features/interviews/2001/06/interview_with_kensaku_yoshida.html

Our committee, however, made a distinction between two types of Englishes — one at the level of everyday conversation and transactions (what in Cummins’ terms might be called BICS), and the other, at the level required to conduct cognitively demanding interactions (in Cummins’ terms, CALP). The former level of English is something that we feel everyone should be able to attain. We do not want stores, inns, some hotels, as well as boarding houses refusing foreigners simply because they cannot speak English (or other foreign languages). On the other hand, we do not expect everyone to be able to debate and negotiate at international conferences either. In other words, we feel that BICS is something that should be left to compulsory education, while CALP is something that should be kept as an elective subject in our schools.

英語にも2種類あるとコミティーは想定しているということである。一つめは、基本的なるもので、これは、日本人が基本的なことを海外などで言えるようにということもあるので、全ての人が学べるようにということである。二つめは、やや高度な英語であり、これは、高度なるレベルのもので、知的なものを要求される、、と。

私はこの二つの分け方に同意できない。誤解を恐れず言うならば、この二つの分け方は、英語ができない人の感覚である。

私のように、英語が普通にできると(と言ったときに、傲慢に聞こえるかもしれないのでいつもいうが、私の同僚のノンネイティブ、中国人、ギリシャ人、なども当たり前のように英語ができる、、、いつも言うが英語ができないのは日本人だけであり、英語ができると思われている人達だって、英語が不得意で、あせりながら喋ったり発言していると思う)、、、、ちょっと長くなったので言い直す。

私のように英語が普通にできると、英語に何種類もあるという感覚にならない。確かに、喋り言葉と書き言葉、それも、仕事とかや学問、科学で使う書き言葉は違うかもしれない。これは、ネイティブであろうと訓練を要する。しかし、喋り言葉においては、1種類の英語しかない。簡単なことを言うにも、難しいことを言うにも、構造的には、同じだからだ。

例えば、昨日、私は仕事の電話会議で、統計モデルの説明をしたのだ、ネイティブが言っていることも、私が言っていることも、専門知識にかかわることであっても、構造的には、変わらない。

誤解を恐れずに言うと、例えば、日常会話で

If you put some milk in your coffee to make it milder

とうのと、仕事の領域で以下のように言うのとを比べると 

if you change the model to fit the data

構造的には同じであり、片方が片方よりも高度であるとはいえない。

また要求される論理力も同じである。cognitivelyに片方がdemandingであるとは言えない(いや、言っている人が自分が賢いと思い込む度合いは違うだろうが、それはあまりにもかっこ悪い)。

日常生活で I don’t like that because it tastes badというロジックと、科学的な会話で、I don’t like the approach because the results won’t be robustというときのロジックは、どちらが優れているとは言えないからである。

日本語で言うと、「先生、うんこしたいのでトイレに行かせてください」というロジックと、「21世紀の日本人の英語力向上のために、具体的な戦略を練る」というロジックを比べたときに、どちらが、知的に、DEMANDINGであるとは言えない。両方とも、形式論理的には同じレベルの知力を要する。てか、知力ってほどのことではなく、そういう知力は人間にもともとそなわっている。うちの犬でも分かるレベルのロジックだ(これは本当です)。

似たことをチョムスキーも言っていた。20年前に読んだ。チョムスキーリーダーってやつだが、また買ってみよう。

そもそも、英語が本当にできていて、読めていて、かけていて、100%聞けていて、ネイティブに楽に通じえる英語が喋れていれば、英語に2種類あるという発想にはならない。

このことはにわかには理解しにくいかもしれないので、またじっくり説明しよう。

ま、簡単に言えば、喉から喋り、100%音が聞けていれば、いちいち、難しいことを言わないということだ。ギリシャ人、中国人がそういうことを言っていないと思う。英語はやればできるからだ。

英語をやってもやってもできないから色々と難しい議論になるのだ。手早くできることがある。英語の政策に関わっている人達自身は英語ができるのだろうか?例えば、ディベートをしたらよいのではないかと提案している人はできるのだろうか?

いや、できないと思う。本当に英語ができているとそういう発想にならないからである。英語喉革命を経験されたかたのみに分かることだ。

普通の感覚で読むと意地悪に聞こえることだろう。それは2011年の時点ではしょうがないことだ。

少なくとも、私が掌握している限りでは高校生で(あるいは、のときに)、英語喉を始めた人は、数人、、いや、ESSでやってくれた人もいる、、、この高校生たちが活躍するぐらいになると、分かってもらいやすくなるかもしれない。あと英語喉を子供さんに伝えたかたもたくさんおられるだろう。

さて、吉田氏の英語はどうなのであろうか?以下のYOUTUBEに動画があった。

http://www.youtube.com/watch?v=3SgLqmqilf8

私が喉発音に出会う前の英語に似ている。無意識でも喉を使っているのでうまいのだが、ところどころ、声が小さい感じがする。だから、西洋人は、一生懸命英語を聞こうとするだろう。声が小さいと感じる理由は、例えばTHISといったときに、Iを発音するのに、ゲップエリアで発音せず、Iを弱くごまかす感じで発音されている。だからそこのところで、「あれ、ちょっと声が小さくなった」と感じるのである。ゲップエリアの音のところはだいたい、速めにそして弱め?あいまいめに発音されているのである。また英語が速くて聞き取りにくいところがある。

速いというのは、個々の音よりも、イントネーションとかが大切だという感じの思いがあることの表れだと思う。

しかし、英語の運用能力は優れておられるという点でも、私の喉発音以前の感じに似ている。口の奥のほうで、音を切っておられないので、スムーズである。シラブルも速めに読まれるところ以外は正しい。喉声に感情の音色もうまく乗っているように私には思える。

英語喉にピンとこられないかもしれない。間にあっておられる可能性がある。

私が英語喉に頼らざるを得なかったのは、アメリカで就職していたからだ。日本人の英語に慣れている人達ではなかったので、私が本当の英語発音をしないといけなかった。

さて、以下のようなことを言う人がいるだろう。吉田先生のような英語でもよいのではないかと。英語喉でアメリカ人と同じになる必要があるのか?と。しかし、吉田先生のように、ゲップエリア音の発音のものを弱く、曖昧に、発音することを教えるならば、単語ごとに、暗記しないといけなくなる。だから人生をかけて暗記・勉強しなければならない。英語喉で、どの音がゲップエリア音でどの音がアクビエリア音が意識したうえで、英語を覚えれば、時間が短くてすむのである。さらに、新しい単語に出会っても、なんとなく正しい発音が想像できる、英語の勘もつく。

英語の勘というのは、精神論ではない。ネイティブは、ゲップエリア、アクビエリアを経済的なるUTILITY原理に基づいて使い分けているからである。例えば、HAWAIIの最初のAはu_であるが、これは、そうすると、他の音よりも発音が、その場所では(HとWの間では)楽だからだ。OBAMAの最後のMAもそうだ。場所的に、あの音を、u_と発音すると楽なのである。これは経済原理である。喉発音を実践し、3ビートになれ、楽に喋っていると、自然と正しい母音を選ぶことになる。

吉田氏の英語にはもう一つの弱点がある。それはゲップエリアの音を曖昧に、弱く、速くよみがちなので、その部分が分かりにくい。特に複数のシラブルからなる単語が発せられた場合に、分かりにくい。結果、複数のシラブルからなる単語が登場する文になったときに、5分の1ぐらい、私には聞き取りができなくなる(私は、普通は英語の聞き取りが100%できる)。理解度が高いところと低いところの差がある。

人間の言語に、曖昧な音のというのは存在しない。日本人が曖昧だと思っている音は、喉発音を意識していない場合、自分には聞こえにくいので、曖昧だと決め付けているからにすぎない。日本人の英語だけ曖昧に読みます、、、ということであれば、日本人だけが置いてけぼりを食うことになる。

ちなみに、同じ会議でのアメリカ人の人の講演もYOUTUBEで聞いたが、努力なしに意味を理解することができた。

さて、このアメリカ人の講演も聴いてみて思い出したのが、第3の弱点だ。

http://www.youtube.com/watch?v=ZnC8on_wuTg&feature=related

我々は、普通、仕事や学会などで、この人のようにCALMに喋っている。イントネーションもだいたい平坦だ。考えながら喋っているから、このようにゆっくり、静かに、ひらたい感じで黙々と喋り続けるのが、普通のネイティブである。

しかし、従来のやりかたで発音を練習してきた人は、黙々と、たんたんと喋ることができない。イントネーションが大切だと思い込んでいることがある。個々の音が曖昧な部分をカバーしたいという本能がある。だから、疲れるのだ。テンションがあがりまくりになってしまう。英語には強く読むところと弱く読むところがあるとか、思い込んでいると、テンションが高くなる。

ところで、吉田氏のYOUTUBEの動画の最初のところに、日本人の高校生がアメリカ人のようになりたいか、、、と聞いたというエピソードがある。すると生徒は、いや、私は、なになに先生(日本人の先生)のようになりたいと答えたという。泣ける話である。

日本人には日本人の英語があってもよいという方向の話だ。

心配せんでも、日本人は日本人の英語を喋っている。

なのに、なぜ日本人には日本人の英語があってよいという言説が現れるのだろう?

 

 

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One thought on “英語は英語でしかありえない。一種類しかない”

  1. 遅くなりましたが評価ありがとうございました。
    自分はアメリカ人を目指したいと思います。

    前回の記事はまさに私のために書いてくれたの?みたいな感じでたいへん勉強になりました。

    実はまだシラブルとか3ビートとかは勉強してませんでした。(すいません
    これから、何周も読み深めていこうと思います。

    あと、高校生のことを書かれていますが、自分も学校でたまに発音の勉強ことを聞かれるので英語喉を紹介していきたいと思います。

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