このブログでは、できるだけ、思っていることをずばり言ったほうが面白いと思うので、ずばりと書きます。カウンターによると1日300人ぐらい?のクリックです。これが、1000人を超えるようになったら、もっと社交辞令で書きますね。

さて、文法が大切かどうかとう議論が時々あるけど、結局のところ、文法が大切だという人も、そうでないと思っている人(会話が大切と思っている人?)も、両方とも、英語力に限界がある。どっちみち、英語が聞こえないし、英語が通じないことが多いからだ。英語喉をやっていない場合は、そういうものだ。いや、それでも通じるとか思っている人は、たまたま喉に重心をおいて話しているか(それはそれで素晴らしい)、あるいは、日本にいるネイティブが日本人英語になれているかのどちらかだと思う。

<ビジターが一日千人以上になったらもっと社交辞令度を高くしますね。>

全然、自慢ということではない。私のまわりのノンネイティブは皆そうだが、私は、英語を日本語と同じレベルか、あるいはそれ以上で喋ることができる。日本語と同じかそれ以上で書けるし、読むのも、できる。そして、繰り返すが、私の周りのノンネイティブは、それが当たり前で、何度も書くけど、中国人は若手でも、それが当たり前である。それは、英語喉状態(少なくともシラブルを知っている)で英語を中1のときぐらいからノンネイティブは勉強しているということと、あと、英語がとても簡単な言語であるということだ。

さて、この立場から発言する。

日本人が文法だと思っている事項の99%は語彙の事項である。本当の文法は1%ぐらいだ。それほど本当の文法事項は少ない。

99%は語彙といったが、言い直す。そのうちの20%は喉発音の問題だ。例えば、英語喉では、動詞の最後につけるEDをトみたいに無声音で言うか、ドみたいに有声音で言うかを説明しているが、これは、日本では、文法問題と思われているが、実は喉発音の問題だ。正しく、喉発音をしており、3ビートをしていると、自然にトとドの違いがついてしまう。それは、そうしたら楽だというほうに音がなるからだ。

例えばLIKEDのDはトのように発音する。日本人は、文法項目と思い込んでいるので、単語の最後がKのときは、トだみたいかことを言って、生徒をテストするだろう。しかし、喉発音と3ビートを実践していると、自然にトに落ち着く。K(アクビエリア発音)のあとにD(ゲップエリア発音)を言うのは面倒だからである。

AとANの違いは、日本ではまたしても、文法事項である。しかし、実際は、母音の前でAを言うのはしんどい。Aで急ブレーキをかけて、それから次のAを言うのがしんどいからだ。ネイティブは、喉の奥でスムーズに音をつなげるからである。だから自然と楽なANになる。

A APPLEと喉発音と3ビートをちゃんとしながら言うと、しんどい。しかし、AN APPLEだとしんどくない。

もちろん、これらの例を口発音、日本語発音でいうと、どちらが言いやすいということにはならない。だから、ドライな暗記問題としてしか処理できない。 

さて、これらは日本人が文法と思っているものが、実は喉発音の問題だということだ。

もっと大切なのは、実は日本人が文法だと思い込んでいるものが、語彙の問題だということだ。これは悲劇的な結果をもたらす。だって、語彙の問題なのに、文法だと思い込むと、覚えることが、数倍に膨らむのである。

たとえばだが、TOということを教えるのに、日本人は、TOの用法としょうして、下手をすると7つも8つもあるという。TOの副詞的用法がどうの、TOの空手馬鹿一代的用法がどうの、と色々である。

しかしTOはTOなのである。言い換えたい。大切なのは、英語を実際に使うなかで、中学校1年2年ぐらいの知識を手がかりに+聞いたことを手がかりに、自分のなかで、TOの使いかたを体験的にマスターすることである。

というと、よく、他人の英語を聞いて、「この人は耳でまなんだ英語だな」とクリティークする人がいるが、そういうことではない。現在の状況では、英語喉なしでは、英語をどう学ぼうと、英語は難しい言語だ。

日本の言語の専門家の悪い癖は、何々は、こういうときはこういう意味、あのときはああいう意味と、永久に分類?し続けてしまうことだと思う。

例えばである。「私」はIだ。しかし、言語学者の真似をするなら、こうなるだろう。英語のIには複数の用法がある、、、と。

日本語で「わたくし」にあたるときのI

日本語で「俺」にあたるときのI

日本語で「拙者」にあたるときのI

というふうに。

これを実際に日本の文法ではやっていると思うが、以下のITの例だ。

それをさすIT

天気をさすIT

TO以下をさすIT

これらは、日本語にしたときに、同じ「それ」にならない、、、という理由だけで、「用法」とされ、文法として項目を与えられ、日本の全国民が暗記をし、試験をされ、そのうちに、なにがなんだか分からない状態になっているのである。教えているほうだって、英語ができない。学んでいるほうだって英語ができない。

よく考えるとこれは語彙の問題ではないか?日本語にすると複数の語彙になるという点で。

英語喉なしで、言えない、聞けないで、勝てるのは、暗記だけだ。だからわりと普段から英語を読んでいる、いわゆる知識人の人達が、英語教育に関する意見を述べることになる。

(英語喉なしで)英語が聞けないのだから、頼れるのは、語彙とか「文法」の暗記だ。そしたらCNNのニュースを聞けば少しは分かるのだろう。しかし分かる部分は、限定的なので全体的に何がどうかということは分からないだろう。だから、英語で仕事ができるレベルにならない。

日本人が文法と思われていることのほとんどが語彙、翻訳の問題か、あるいは喉発音の問題なのである。

さらに、笑えるおちがある。英語は文法を間違っても通じるほど簡単な言語なのである。例えばだ、WORKにEDをつけて過去形にするというのは、確かに文法事項かもしれない。しかし、それをつけわすれても、通じるので。

I WORK YESTERDAYと。

これは、なぜ通じるかというと、認識するマシーンの人間として、YESTERDAYで過去だと分かってしまうのである。

中国語では、なんと、動詞の過去形が存在しないほどである。

それほど、我々日本人が必死こいて勉強している文法とは、簡単なのである。

まちがっても通じるほど。

以上、英語ができる立場として意見を述べた。

この意見は、このBLOGの訪問者数が1000人を超えたあたりで、ころっと変えて、学者さんとかに媚をうるつもりである。そして、ニーチェとか哲学者の引用をもっとするぞ!!!!4字熟語だって、比喩的に言うなら、「彼談生竜」のごとく使いまくるぞ。

で、有名人と知り合えたら、その人と会っている写真を載せて自慢するかも。

そうすれば、有名知識人レベルのBLOGに発展するであろう。

これでいいのだ~! ハハハハハハハハハハハハハハ。

PS 

最初のほうに、中1,2ぐらいの文法、語彙をもって、会話を始めようというようなことを言った。じゃあ、高校生レベルとか大学レベルは?そもそも文法には、難しいものはないので、高校レベル、大学レベルの文法というものはない。あるのは、上に説明したように語彙だ。

高校レベルの語彙とか、大学レベルの語彙は、ある意味覚えようとして覚えるのではなくて、中1,2ぐらいの実力で、実際の会話と格闘するなかで(あるいは英語でテレビを見たりするなかで)、出会い、1回目に出てきたときに、そんな単語あるのか、、、と思い、2回目、3回目にでてきたときぐらいに覚えるものだ。

もちろんTOEICの試験準備なども工夫することで、単語や表現との出会いを意味あるものにすることもできるだろう。 

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One thought on “文法は大切かどうかという議論のクリティーク

  1. Zaku says:

    学校英文法は、あまりにもなさけないことを教えています。間違ったことや、シンプルのウソが次の学習を阻害していく悪循環があります。

    多くの英語の先生もそれに気付いていてなお、改革がなかなかおこなわれません。どうしてなんでしょう?

    KAZさんが英語喉を押されているのもよくわかってきました。最大限のコツを伝授、アドバイスしているんですね。

    年をとると英語という壁がエベレストのように高く感じます。涙がでそうなくらいつらくなることもあります。

    もっと音楽を聴くようにダンスをするようにしたしんでいたら良かったんですね。

    PS
    英語喉をするようになってから、日本語がいい声といわれるようになることが俄然増えました。ですが、英語を習得できないかもしれません。KAZさん英語教育を変えてください

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