英語喉で無血革命を!

RYOGONさんのブログに書いてあって、え?これ本当?信じられない。日本人はなぜ怒っていないの?と思うことがあり、今でも信じられない。それはこのニュース。え?もうずいぶん前のニュース?

パナソニック(Panasonic)も、来年度の新卒採用の8割を外国人とすると発表した。

ぐぐってみると、もうずいぶん前に発表されたことらしい。

いくつかのことが頭を浮かぶ。正直、色々と悔しい。まずは言いたいこと。

松下幸之助氏が墓場で泣いているだろう。私達、80年代後半に大学教育を受けたのですが、松下幸之助が、どんな経済が悪いときでも、従業員を家族のように大切にする、、、とか、そういうことを聞きながら、それは日本だと信じてやってきたわけですが、もうそういうのはナシ?

第2に思ったこと。私を含める日本人が大ばか者扱いされているということ。

「新卒採用の8割を外国人」

という表現を聞いて99,999999%の日本人が問わない事実がある。それは、「新卒」というのは日本の制度だ。外国人が応募してきて、「あなたは2年前に大学を卒業しているので、応募できません」などと日本の企業が言うはずがない。

だから、「新卒採用の8割を外国人」という表現自体が、日本人を馬鹿にしている。日本人には、この表現でOK。奴らは信じるからね。英語ができないから、どんなに外国に出ても、日本に住んでいるようなもの。外国人の応募はもちろん、今年卒業したとか、3年前に卒業したとかは問わないけど、まあ、日本人には、新卒だけといっておけば、納得するからね。本当にコントロールしやすいよ。3年生ぐらいから就職活動するみたいだけど、やめろとはいえないしねえ。本当にかわいそうだけど、僕は僕がよかったらよいのだから、他人のことはかまっていられないよ、、、って感じかな?

第3に思ったこと。大学卒業者を対象とする仕事というのは、エントリーレベルの仕事なので、非常に、専門性が低い。誰でもできる仕事だ。なのに、それを外国人に、、、というのは、そういうふりをしているだけじゃないか?単に、専門性の高い外国人に仕事をということだけではないのか?

新卒の8割を、、、と日本人が聞くと、あたかも

20%は新卒の日本人

80%は新卒の外国人

ととるかもしれない。でも真相は、

20%は新卒の日本人

80%は専門性の高い外国人

ということではないだろうか?さらに、よく読むと、20%はかならず日本人に行くということではない。だから、真相は、

100%は専門性の高い外国人ということじゃない????

じゃあ、エントリーレベルの仕事はどうなるの?となるが、それは派遣社員さんに頼みますということではないか?

実際、私自身、日本の大学に行っているけど、少なくとも文系の教育はスキルレベルが非常に低い、、、というか教育自体がないといってよい。

宿題もないし、レポートの1年に1回か2回。さらに、試験は暗記科目的で、解答用紙は返ってこない。レポートは返ってこない。返ってきてもコメントはない、、、というのが普通だろう。

学部を変えるのが難しいので、自分の興味によって教育プログラムをたてにくい。例えば文系にしてしまうとコンピュータプルグラミングとかできないまま卒業ですよね?今でも?ちなみに、英文科だと、どうしても教職をとりたいが、それだけでもう4年間でとる授業がだいたい決定されてしまう。方向転換が難しい。時代の流れについていけない。

やはり、これは個人レベルで自分自身に投資をするしかない。しかしそのさいに、だまされてはいけない。こんな人材が欲しいとか、そういう他人の話はおいておいて、自分で何が必要が考える。

その考える際に、参考になるのが、大学時代などに、自分で事業を起こすことをイメージし、そうするなら、何が必要だろうかと考えることだと思う。あくまでもイメージにとどめておくほうがよい。というのは、事業を起こすのは大変だからだ。しかし、考えるヒントになる。

英語は英語喉ではやくマスターしてほしい。

中学生、高校生の諸君も、はやく英語喉をゲットしてほしい。皆は、大学を卒業するころ仕事があると思っていると思うけど、現在、今、この時点で海外で学校に行っている、英語ぺらぺらの、いわゆる帰国子女の日本人と少ない仕事を得るために、競争することになるけど、英語喉なしでは、すでに勝負はついていると思う。

英語は強弱アクセントが大切だとか、口の開け具合だとか、そういうことにだまされないでほしい。

英語で留学生などの友人をつくるのもよい。結局のところ、留学生は全然あせっていない。新卒などと言う制度が外国にないから、一生、就職活動だということを知っているからだ。あせっておらず、グローバルな現実を知っている人達の間に身をおくのはよい。

私の同僚なども、大卒の場合、数年したら、やめて、大学院に行く人が多い。だって、ロースキルのままだと、前進できないからだ。 今週も金曜日に送別会(ハッピーアワー)だ。

アメリカ人などになると、国民保険の制度もない。働きはじめて10年ぐらいは、障害者保証もつかない(だから、中学生ぐらいから働きはじめるのかな?アメリカでは。アルバイトでも年金のお金を引かれる。)

だから、死んだ後の世界に期待する度合いが、他の国民に比べてやや大きいと思う。
 

最後に、、、よく調べると、卒業時点での大学生の就職率は90%を超えるという。これ自体、低いと思われているらしいが、スキルレベルの低い大学生卒業レベルで90%就職できるのなら、悪くないのではないか????これはちょっと調べてみたい。

 

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どんな知識の分野でも基本が大切だという論調が強い。いきすぎると、新しい考え方やメソッドが受け入れられなくなるということになる。そもそも基本という概念において、間違っている場合がある。 例えば、英語でスペルなど、基本だというかもしれないが、人類の歴史から見ると、スペルというのは、ずいぶん、最近になって現れたものだ。基本は、発音と聞き取りである(ちなみに、発音と聞き取りを分けて考えているのは日本人だけだ。例えば、アメリカでは、発音というジャンルも聞き取りというジャンルもなく、あるのは、例えば、「日本語」とか、「スペイン語」だけだ。その証拠に、アメリカの本屋や、ネット書店には、発音コーナーもないし、聞き取りコーナーもない。アマゾン書店のジャンルには、そういうジャンルがない。だから発音部門で一位という概念がない。) だから、人に、「あなたはもっと(基本)勉強してから出直してください」と言われたら、その分野には新しい考え方が浸透しにくいと考えるとよいだろう。それぞれの分野に、その分野の門番のような人がいる。 さて、ある曲を8チャンネルの録音機で録音してみたのだが、やってみて聞いていると、色んなことを考えた。その曲というのは、これだ。m4aはIーTUNEの形式だけど、普通のPCで再生できるのかな? www.estat.us/blog/ISHST.m4a (ここだけの公開にて失礼) 考えたのは、こういう曲を録音すると結果が出る。結果がでるから、ここをこうしたらいいとか、ああしたらいいとかいうことが分かりやすい。ここをしくじったから、こう直そうとか。 例えば、高校の授業などで、課題を曲を録音する、、、としたらどうだろう。すると、いろんな技能を駆使しないといけない。録音にしても、音にエコーをかけるかどうかとか、歌はどういう風にするかとか、後で聞いてみて、ここはこうしたほうがよいんじゃないか?とか。CDに入れて、ジャケットなんかもデザインするだろう。 そう考えると高校時代は、本当に恵まれた環境であった。まわりにヘビメタがたくさんいたし、竹原市に木原楽器という音楽店があり、その木原楽器さんが、「元気ライブ」と称して、高校生などに、音楽表現の機会を与えてくれていた。本当に感謝したい(http://www.kiharagakki.co.jp/freepage_20_1.htmlに写真があった!)。スタジオがあって、そこでものすごいレベルの高い高校生のバンドが練習していて、泡をふくほどであった。 逆に、学校では、基本、基本ということが多くないだろうか?部活でもそうかもしれない。  基本、基本ということばかり言っていると、日本の中学などでは、口を大きく開けてうたえぐらいで、とまってしまわないだろうか???? 10年ぐらい前から仕事として、アメリカの教育、それも教育改革を評価する仕事をしているのだが、アメリカには色んな教育の工夫があって、それを試して、そして結果がでたかどうかを評価する。 そういうのを今まで見てきていて、思ったのだが、日本の制度って、そういう変わった教育改革的授業をとりいれたりする余裕がゼロ???中学、高校レベルで、うちの学校では、国語を教えるのに、メソッドAを使います、、、なんて不可能のように思う。 10年ほどまえに、メキシコとの国境上あたりの高校にリサーチに言ったら、当時、最新鋭のマルチメディアの授業とかあって、メキシコ系の高校生たちが、グループになって、課題に取り組んでいた。課題というのは、番組をつくったりすることだ。 今日のタイトルにもあるが結果をだすということだ。 その当時、思ったのは、しかし、先生の指導がいきとどかないんじゃないか?ということだ。一人しかいないのだから。例えば、ある子が、もくもくと作業をしていたのだけど、それは、映画みたいなのを作っていた。そして、先生は軍隊をリタイアした人で、その先生いわく、「この子はもくもくとやっていて、たまに質問はあるけど、ほっておいても、よいものを作っているよ」と。 それを聞いて、私が思ったのは、当時だけど、「それは教育じゃないだろう」と。 しかし10年たってみて、やっぱり、その子が結果を出そうとすることで得たスキルなどが、現在のニーズにあっているだろうということだ。だって、アーティストで仕事を探すと、やはり、そういうマルチメディアのスキルがいる。イラストが描けるだけでなくて、それをアニメーションにしたりできないといけない。 結果を追求していると、それに必要な技術などが見えてきて、そしてそれをマスターしてしまうのだ。さらに、やっているうちに、問題を解決できる勘みたいなのがついてくる。 ちなみに、私が見た高校は、本当に貧しい地区にあったのだけど、恐ろしいようなほどの機材があった。なんでも、寄付だったみたいだ。 おそらく日本人論の人達によれば(例えば、国家の品格の藤原さん)、改革、改革というのは、おかしいと言うだろう。しかし、やはり、グローバルで求められるのは、問題解決能力だったりする。そして、それは実際に、結果を出しながら、育てていくものだと思う。 そもそも、日本人論者のかたがたは、もう永久就職ができている人ばかりだと思う。だから、言っていることがやや悠長だと思う。 先日、NHKを見ていたら、インド人の親が出てきて、東京に住んでいるのに、日本の教育では将来が危ぶまれるので、東京にいながらインドの教育を受けさせている、、、とのこと。 実際、先日のセンター試験をみたら、私の頭に浮かんだ最初の言葉は、「ふぁっくゆー」であった。正直いって。正直いって。だって、社会とか歴史のテスト。会話形式で、あたかも、教育的に豊かな感じの雰囲気だけど、会話形式にする理由は全くなく、些細な暗記テストだ。 現国もそうだ。ある箇所をさして、その意味を問うような形式だが、意味を問わなければいけないような文自体、悪文であり、教育の場にはふさわしくない。わざわざ試験をつくるための形式である。 こういうのを基本と呼ぶのだろうか?…

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本当に真剣に学びを経験している瞬間には、目は輝かない

よく日本の先生は、生徒の目が輝く瞬間が好きだというようなことをおっしゃるのだが、私は、これは日本の教育文化の数百年の勘違いだと思う。 だって、私が英語喉を教えていて、本当に受講者さんが、学んでいて、理解していて、出来ている瞬間に 目が死んでいるからだ。表情がない。 ところが、授業を始めて10分、20分ぐらいのとき、まだできていないときは、目が輝いている。笑顔だったりする。楽しそうだ。 ところが、発音がネイティブ化していることが自分で分かっているときの目は、死んでいる。表情がゼロである。さらに、テレビの前で、聞き取れていることを確認できている瞬間は無表情だ。 高校野球などでバッター席に立っている選手の顔をみてほしい。死んだ顔をしている。 生徒の目に輝きが、、、というのは、それは、生徒達が、先生の期待に沿おうとして、劇を演じているときだと思う。 英語喉セミナーの最初の10分、20分は、初対面の受講者さんだから、笑顔が出るし、目がきらきら輝く。 しかし、それは私たち日本人が、ぎゅーぎゅーづめのクラス(40人?いや45人?)を、小学、中学、高校と経験してきて、不可能な授業のなかで教師達が望むもの、 それはやる気とか、輝く目というやつだ。 まあ社交辞令である。 私はアメリカに住んでいるけれど、NHKがテレビで見れる。CHAROという番組を見ると、馬鹿にされたような気持ちになる。ちなみに、同じぐらいの時間に、昔で言えば、お母さんと一緒みたいな番組があり、子供に対してお兄さん、お姉さんが、きんきんした言葉で喋りかける。そしてCHAROだが、これもネイティブの人が、子供に喋るように日本人視聴者に対して、ゆ~くり喋りかける。 ちなみに、私と同じフロアに、耳の聞こえない高校生がいるのだが、そのお母さんが言うには、周りが、耳が聞こえないと思って、ゆ~くりと喋りかけてくるのが、この高校生は不満に思うらしい。馬鹿にしている、、、みたいに。そんなに、大げさに喋らんでも、わかるんじゃ、、、ということらしい(リップリーディングをするらしい)。 結局のところ、英語が聞こえないのは、日本人だけだ。いや、英語だけでなく、韓国語なども聞こえていない(カムサと発音してしまう。KAMSAなのに、、、と昨日、韓国人が日本人の韓国語は非常にまずいと言っていて、その例を教えてくれた、、、それはシラブルの区切りを聞いていないからKAMSAがKA-MU-SAに聞こえるのだ)。ネイティブは、なぜ日本人が英語の音が聞こえないのか分からない。だから、しまいには、赤ちゃん、幼児扱いをしているわけである。 これは、別に悪いということではないが、ええ加減、気づきませんか?と思うのである。 そのナレーターさんたちの目は輝いている。NHK INTERNATIONALに出てくる外人のレポーターさんたちは、ものすごいキンキンしたレポートをする。目が、顔が輝いている。英語の音程も上下するする。 それを見て、日本人は、それ、外人さんは、テンション高いなあと思うかもしれない。しかし、彼らは日本人の真似をしているのである。男性だったら、日本人のガールフレンドが「すごーい」とか言うときの表情をまねているのだ。さらに、そういう風にしないとテレビ局の編集さんも納得しないだろう。外人らしくないということで。こら、NHKインタナショナルは、外国に住む外国人のための日本紹介なのだ。しかし、どうしても日本人向けになってしまう。ジーナも前に、NHKインタナショナルのインタビューを受けたとき、オーディエンスはネイティブとか外国人だと分かっているのに、英語がゆっくりになってしまっていた。日本人が相手だと思ってしまうと、英語が変わってしまうのだ。 あるリスニングの本で、英語の音程は激しいと書いてある。思うに、結局、日本人は、英語喉実践者以外、英語の音が聞こえていないはずだ。だって、聞こえていたら、音程が激しいから気をつけましょうなどという発想は出てこない。 私は、英語喉以前でさえ、アメリカ英語の聞き取りは100%に近かったが、音程に気をつけると、聴き取れるとか発音ができるなんて、発想がなかった。自分でも聞き取りができないのに、聞き取りの指導をするというのは、とても、問題がある。英語発音の本の著者の英語を聞こうと思っても、どこにも置いてないのが不思議だ。 さて、ちょっと最後でずれたけど、今日、朝日新聞のサイトで読んだのだけど、耳かき店員を2人殺して、死刑にならなかった人のことが書いてあった。裁判員さん、いわく、その人が裁判の途中から、表情が変わり、反省しているように見えたとのこと。 またしても顔である。反省している顔だ。しかし、事件後の表情で、判決裁量のネタにしてよいものかどうか、私は疑問である。あくまでも、証拠に基づいて判決をするべきだ。 情状酌量をかんがみるということはありえるが、それはあくまでも事件の前、その瞬間のことだ。裁判の途中に反省の色が見えたなど、関係ないはずだ。 「反省」というのは、英語になりにくい。日本語に特有だ。そして、それは顔の様子である。 酒井さんというかただったか、芸能人の人で、麻薬で捕まっていた。あとで、裁判所の前で反省の挨拶をしていた。しかし、麻薬は、反省とかの対象じゃなくて、リハビリの問題だ。だから反省するより、まず、リハビリを受けて、立ち直るのがよいだろう。人はどうでもよい。

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