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最悪のシナリオ 喉トラダムスの大予言

さて、私の考える最悪のシナリオは以下の通りである。

最近、英語を公用語とする会社が出現している。もちろん、目的は、経営戦略である。しかし、以下のような最悪のシナリオも私は、「そうなると期待したわけじゃないのに、起こってしまうかもしれない」シナリオとして、予言しておきたい。

それは、日本におけるプロの仕事が外国の人によって独占される

ということだ。

ありゃ、これは下手をすると外国人排他論になってしまう。全然、そういうつもりではない。

私が大学を卒業し、就職して、広島の田舎に帰っていたときのこと。前から、どっかで見たことのある人が歩いてきていた。ありゃ、お前、同志社の1年のとき一緒の体育のクラスにいたA君じゃないか!

うん、M金属に勤めているんだ、、、。

私の田舎には、M金属(だったかな?)がある。

田舎に企業があると、てっきり、その田舎の人達が雇われていて、活躍していると考えがちだけど、トップは、都会から来た人、都会で教育を受けた人達だ。

さて、現在DCに住んでいるが、DCの地元の人があまりいない。アメリカ、いや、世界の色んなところから来た教育レベルの高い人達がたくさん働いていて、地元の人があまりいない。地元の人は、どちらかというと地味な仕事をしている人達だ。

日本もそのようになるのではないか?

英語が仕事の言語と化した場合、日本の外、つまり台湾、韓国、中国のプロたちがやってきて、日本のプロの仕事は、外国人がやるということにならないだろうか?

ある日、気づくと、え?日本人?この会社にはいませんが?とならないだろうか?あ、人事課にはひょっとしたらいるかもしれないけど、、、とか。

私が恐れるのは、日本の中学、高校が受験勉強にフォーカスしているので、グローバルに競争できるような知識とかスキルを教えていないように思えること。それから少なくとも文系大学では、別に何もしていないということだ。何かするとなると、試験、資格の準備とか。

となると、大学を卒業しているのに、スキルレベル、英語レベル、などが低い可能性が出てくる。さらに、大学などでは資格だとか、試験準備だとかそういうのが多くて、本当に大切なスキルを付けることの邪魔になる。

1995年に、私は大学院でリサーチアシスタントになるべく、面接をした。すると当時の先輩(?)が面接をしたのだけど、「え、コンピュータプログラミングの授業、高校でとらなかったの?」とか聞かれた。1995年の話ですよ。

一方で、韓国人や中国人は聞き取りに問題がないし、発音もわりとできるので、ぐんぐん、HUMAN CAPITALをつけていく。

私と一緒に大学院にいった中国人たちは、多くの大学に就職しているし、会社に入った人達も、なんか活躍しているように思える。なんか、大きな部署のDIRECTORとかになって、アメリカ人をマネージしている。英語のハンデがないのだ。

先日、20代後半と思われる中国人の同僚の英語を読んで、全く外国人だというハンデがないことに愕然とした。

一方で、日本では、英単語のアクセントの位置がどうのこうのということをいまだにやっている。

その最悪のシナリオを回避するには、やはりまず英語が聞けて言えるようになること。

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