具体的な発音
民主党大統領候補 オバマ氏

「西宮で一番発音にこだわるTOEIC講師」の天満さんも物まねの対象としてらっしゃるが、米国民主党大統領候補のオバマ氏が昨日、アイオワの民主党内投票で1位となった。 OBAMAという名前の発音はどこから聞いても3ビートだ。 #-O-B/B-A-M/M-u_# である。シラブルに最大3つの音が含まれている(OBとMAは2つですけど、この説明はレッスン 35 ぎざぎざエッジを持つ言葉を参照してください)。日本語風に発音すると O/BA/MA だ。シラブルに基本的に最大2つが入っている。比べてほしい: #O-B/B-A-M/M-u_# O/BA/MA よく、日本人の英語はロボティックだという言い方をする人がいるが、そのロボティック(ロボットが喋っているような感じ)は、まさにこのシラブルの構造の違いにある。 #-O-B/B-A-M/M-u_と読む英語は、さらに、シラブルとシラブルの間をスムーズに読むわけだから(スウィングとフォロースルーを実践)、全体的にスムーズな感じがする。O/BA/MAはネイティブの耳にはロボティックに聞こえるのだが、その理由は期待しているところに子音が欠けている、、、そのこともあって、シラブル間が非常にくっきり切れて聞こえるーー>だからロボティックに聞こえるのである。 従来は、練習すれば、このロボティックさが消える、、、という考えがあった。しかし、シラブルの構造を理解しないかぎりは、ロボティックさは消えない。消える理由がないからである。そのかわり、従来、我々がやろうとしたことは強勢の位置を極端に強く発音したり、音を長く伸ばしたりということだった(このことは音声でしめしたら分かりやすいだろう http://www.nippondream.com/blog/obama.wav )。 これでは正しい発音ができない。いや、日本語発音でもよいではないか、、、とおっしゃるかもしれないが、1)これではリスニングができない、2)2ビートのままだと怒っているように聞こえるために、留学などをしたときに、友達がつくりにくい、3)ネイティブが聞くのに苦労する、、、と。そもそも強勢を加えようが加えまいが、ネイティブの立場から見たときに、日本語英語の理解の難しさは変化しないのだ。 もう一つ、、、、OBAMAの英語発音だが、日本人の耳にはBAに強勢が来るように聞こえるが、これはわざとそうしているわけではなくて、発音のせいである。BAのAはアクビエリア発音だ。だから首の上のほうで発音するので、どちからかといえば、高めに聞こえる印象がある。最後のM-u_だが、単語の最後でゲップエリアに発音位置がもどっていこうとするからu_だ。ゲップエリアはどちらかというと低いような感じがする。 何回も繰り返すが、個々の音の発音法さえ知っておれば、強勢の位置を暗記する必要はない。喉発音位置の違いで、自動的に自然な英語のメロディーが生まれる。 というわけで、強勢自体を暗記する必要はないのです、、、が今年度のセンター試験は、まだまだ古いパラダイムで単語の強勢に関する問題が出されるのでしょう。来年はどうでしょうね。

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あけましておめでとうございます

今年も皆さんにとって実りのある年になりますように。 速く喋るという実践についてですが、スピードについては気にする必要がないような気がします。ゆっくり喋ったほうが、かえってよいときがあるような気がします。ただし、、、ですよ、、、ただし、、、 なぜゆっくりのほうが分かりやすいかというと3ビート(シラブル)が聞き取りやすいからです。だから、3ビートがちゃんとしていれば、速く読んでも問題ありません。 例えばTHERE IS A、、と、、、という文があるならば、3ビートでちゃんと読むならば、スピードにかかわらずよく通じるということになります。 初心者の場合、スピードにこだわると3ビートが刻み切れなくなる可能性がありますから、その点を気をつけるといいでしょう。 THER-RIZ-ZA、、、、という感じですね。THERE IS A CARなら THER-RIZ-ZAK-KAR  シラブル数は4ですが、速く読んだから、シラブル数が3になった、2になったとなると困ります。 そのあたりを指導の焦点にするとよいかもしれません? *** 喉+3ビート+感情(適当)で私自身の英語が改善したと思う点は、「考える」ということに専念できるようになったという点です。 口を動かすというのは、これは科学的ではないんですが、ものすごく集中力がいるんじゃないかと思うんです。で、考えるというプロセスと衝突してしまって、緊張してしまい、喋れる英語が喋れなくなる、、、という感じがします。 人間には、無意識のうちにできることが限られていると思うんです。これは推測にすぎませんが、いちおう書いてみます。例えば、心臓の動きは完全に無意識ですね。息も半分ぐらい無意識ですね。とはいえ、ある程度はコントロールできます。息を止めようと思えば、ある程度は止められるし、スピードも変えることができる。 口の動かし方って、ある程度、意識しないとできない部分があると感じます。例えば、RとかLの時。舌をこうする、ああする、、、という部分ですが、これを練習の結果、無意識にできるようにするというのはかなり難しい。できないということではないけど、エネルギー、集中力がいる。だから、実践で、英語を喋るとなると、ものすごく緊張したりする。 次に、、、喉発音って、無意識にできるようになるんです。で、それも、慣れるからと言ってしまうと簡単ですが、意味的な意味でできるようになる。説明が難しいんだけど、例えば、慣れるとHUTやKISSの時の母音の部分で、無意識のうちにゲップエリアを使ってしまいますが、これは、そうしないと意味的に違うものになってしまうから、、、という気がします。 例えばHUTをアクビエリアでいうと、意味的にHUTじゃなくなってしまう。どちらかというとHOTみたいな音か、HOTそのものになっていしまう。自分の言っていることを聞いている脳がいて、それが拒否反応を示してしまう(HUTのUをゲップでいってくれないと意味が合わないですよ。言い直してください、、、って感じ)。 ITでも同じ。ITのIをアクビエリアで言うと、EATみたいな発音になってしまう。すると脳が「それは違う意味の言葉ですよ」と言ってくれる、、、感じです。 このことをどう読んだらいいか分からないんで、とりあえずは、呼ばずに、「上で書いたこと」として扱います。 口にこだわるアプローチだと、この上で書いたことが起こらないんです。例えばですが、HUTを口の真ん中あたりで弱く言ったとしても(従来の説明はそういうかんじです)、結局は、日本語のアと変わりません。だから、脳がストップサインを出さない(それ違う音でしょ、、、と言ってくれない)。 脳が教えてくれないから、口が動きを覚えていなければならない。これって、人間ができる能力を超えているんだと思います。つまり、口の動かし方にこだわるアプローチは実践が非常に難しいのだと思います。脳がうまく発音を制御できない、、、。  

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はぜ走るのか

世界というのを考えたとき、色んな文化があり、色んな国家があるわけだから、日本は、色んな国のうちの一つだという感覚があるが、たまに、日本 対 世界、、、じゃないかと思うことがある。もちろん、多くは単に私が日本人なので、単なる勘違いだったりするんだろうが、微妙で分かりにくいことがある。 例えば、漫画の世界を見ると、やはり日本 対 世界、、、って感じで、ダントツに日本が強いと思う。アメリカの本屋には、漫画コーナーがあるが、全部が日本発の漫画である。一冊として、ドイツの漫画とか、ルーマニアの漫画は置いていない。 アメリカのスーパーにいくと、(これは勘違いなのだろうか)、日本の野菜 対 世界って感じがする。だって、菜っ葉がNAPPA(これは中国語である可能性があるかもしれないが)、しいたけがSHIITAKE MASHROOMとか、柿がFUYUだったりする。大根がDAIKONとしておいてある。そしてその他の野菜はなんか普遍的なものばかりで、単にTOMATOだったりPOTATOだったり。外国語っぽい野菜があったとしたら、その殆どが上にあげたような日本名だ(勘違いだろうか、、、)。 口発音 対 喉発音にしても、日本(とあと東アジア諸国) 対 世界ってかんじだ。 このエッセイのタイトルは「なぜ走るのか」だが、これも日本 対 世界かなあ、、、と思う事項だ。例えばだが、私が横断歩道を渡っているとする。そのとき、自動車が待ってくれているとすると、思わず小走りに走ってしまう。 なんか、人が待っていると小走りに走ってしまうのだ。でも、アメリカ人とか、他の文化圏の人々は走らないような気がする。私がわかるかぎりでは。 野球を見に行ったとき、片方のチームのセカンドを日本人の選手が守っていた。守備に回るときに、他の選手は歩いて守備につくんだけど、彼だけが、ものすごい元気でもって、守備の位置まで走っていっていた。 走るというのは、我々の特徴なのだろうか。人を待たせたくないという思いやりのようなものを走ることで、視覚的に示す、、、ということかもしれない。 小学校、中学校のとき、体育や遠足などで、集まるときに、よく先生が嫌ったのは、遅れているのに、のろのろと歩くことだった。遅れているから走って間に合わす、、、という意味以上に、遅れていることを反省しているから、走って誠意を示す、、、という要素が大きかったような気がする。 当時、「10分遅れて、走って集合場所にいく」よりも、「3分おくれて、のろのろと集合場所にいく」ほうが、ビンタの数が多かったように思う。後者は、単に遅れただけじゃなくて、指導者の権威に対する挑戦、、、と捉えられがちだからだろう。ちなみにビンタは決まって公開制で、みんなの前で受けるというのが70年代の地方のスタンダードだった。6人ならんで、集団ビンタというすごい光景もあった。個室で1対1でビンタというのはテレビドラマとか、吉本新喜劇ぐらいでしかないだろう。 話しが全然違う方法に行ってしまったが、「視覚情報」という点で何かが似通っている。 アメリカで火事があると、消防士がかけつけてくるが、消防車から降りて、家屋に突入する間での間に、ゆうゆうと歩いている、、、、そんな場面をよく見るのだが、これはなんとなく 日本 対 世界 の違いのような気がする。勘違いだろうか。 外国に住んでおられるかた、ぜひ情報をお寄せください。 警察官や消防士さんには、せめて小走りで走ってほしい、、、と感じるが、どうだろう。

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