ランダム

年末、いかがお過ごしですか。  天満さんのブログ、ためになりますね。特に、音声で説明があるというのはよいと思います。 クリスマスが終わりました。西洋のクリスマスというのは、クリスマスの日だけじゃなくて、クリスマスに向けて、人々がリラックスし始まる、そのプロセスも含めてホリデーシーズンと呼びます。だから、新年、元旦は、そのホリデーシーズンが終わる日、、、、なので、日本と逆で「これで休みは終わりだ」という雰囲気になります。日本では1月1日といえば、「よーし3日間、ゆっくり楽しむぞ」って感じですね。  色々と、ランダムに感じたことがありますので、それらを箇条書きにしてみます。 ランダム1  クリスマスの日はテレビで、ディズニーランドのパレードをぼーっと見ていたんですが、ジェシカ シンプソンという歌手が、ハーレムの合唱隊をバックにクリスマスソングを歌っていました。GLORYという単語を連発する部分があるんですが、ものすごく大きい口をあけて歌うジェシカも、同じく大きな口をあけてうたう合唱隊も、Lのところで舌を口の屋根につけていませんでした。以下のビデオを、素人の人がとったものなので、口の中は見えませんが、雰囲気だけをお伝えするために、引用します。いろんな要素がからんで、そういう結果になったのだと思います。 http://www.youtube.com/watch?v=iYjKRtQ7HmU ランダム 2 EXODUSという単語を発音したときに、え?とネイティブに言われました。Oのところを間違ってOで発音したからです。本当はOのところは、u_でないといけません。もっと面白かったのは、Oと思って発音すると、抑揚が自然とOのところに来た感じになるんですが、正しくu_で言ってみると、自然と日本人の耳には語頭にアクセントがくるような感じに聞こえます。発音を正せば、自然と、抑揚が勝手にネイティブと同じになる、、、というのは、知っていたけど、この例で再確信・感心しました。 ランダム3 WASHINGTONのTONのところですが、これは発音はKISSのIと同じですね。つづりがOなのに、発音はi_。本当につづりと発音の関係はあてにならない、、、という良い例です。英会話は音から入るのがとても大切だと思います。子供はそうやって言語を学びますが、それと同じですね。 もうすぐ新年ですが、よいお年を。  

BLOG、来週の中ごろまで休みます

BLOGを来週の中ごろまで休みます。せっかく、おとずれていただいたのにごめんなさい。代わりにというのは、失礼なのですが、本物の英語を喋り、本物の英語を教えてらっしゃる、テンマさんのBLOGを紹介させてください。この人は本物(ほんまもん)です。こちらへどうぞ。 http://processeigo.seesaa.net/ BLOG再開したら、メーリングリストでお知らせします。

新しい文化論を 廊下を走らない

なぜ私は走るのか、、、について考察を昨日行った。断定調で書いてあっても、ぜひ、出発点(=仮説)として読んでいただきたい。 ちょっと頭の奥にある昔読んだことを紹介したい。それはフーコーだったか、ウェーバーだったか忘れたのだが(いずれにせよニーチェの影響を受けた人だったことは確か)、西洋の軍隊がある歴史の一時点から、遠くから見ても兵隊に見えるような一挙一動をはじめたという点だった。 つまり我々の一挙一動には歴史性があるということだ。歴史性があるといういいかたは、簡単に言うと、当たり前ではなく、大昔からあるわけではなく(国家の近代化とともに生まれた、、、という視点が多い)、将来もあるわけではないということだ。歴史性があるならば、一体、それがいつどのように始まったのかを問いたいものだ。 私はなぜ走るのか、、、から「私たちはなぜ走るのか」に飛躍するさいには、本当に、それが私だけのことでないのかを確認する必要があるのだが、このあたりは、間違うことがあるかもしれない。 私は、例えば、何人(なにじん、、、国籍のこと)とラーメン(というか、ベトナム系の麺のFO)を食いに言っても、いつも一番先に食い終わってしまう。これは私だけのことなのか。そもそも、出発点が違う。他の西洋人(アメリカ人以外も含む)は、まずは、麺とスープが冷めるのをしばらく待っているのだが、私はかまわず、熱い麺・スープを口の中にほおりこむことができる。そして、なんと口のなかにおいて、麺、スープの温度を冷ますようなものすごいテクニック、スーパーポンプ口(以前紹介ずみ、、「ぽんぷろ」じゃなくて「ぽんぷぐち」ですよ)で、食っているように思う。 このことを指して、なぜ「私たち日本人はラーメンを早く食えるのか」と言ってもいいものだろうか。もしかしたら、私だけかもしれない。このあたりは、できるだけ確認する必要があるだろうが、なんとなく、あっているような気がするので見切り発車で書いてしまうかもしれない。 ま、とにかく「なぜ私たちは走るのか」という問題にかえりたい。この大問題を考え出して思い出したことがある。それは小学校のときに、「廊下を走らない」という鉄則があった。鉄則だが、つねに意識的のなかでこの鉄則が再生産されるようなメカニズムがあった。 班というシステムがあり、クラスが5つぐらいのグループに分けられていた。そして、今週の目標、、、というのを決めるのだが、そのときにネタがないので、「廊下を走らない」とかいう目標を決めるわけだ。 「釣りにいかない」とか、「ペンを落とさない」とか、わけのわからん目標を決めたこともある。あ、それはどうでもいいことだ。ポイントは、廊下を走らないということがいつも我々の意識にあったということだ。 廊下には、「廊下を走らない」という張り紙があった。 海外でも存在するのだろうか。このあたり、ちょっと調べてみたい。もしかしたら、我々日本人の屋内と屋外に関する「けじめ」という感覚を深く理解できるようになるかもしれない。 このトピックは全然、英語発音と関係ない、、、ということはない。私は、今でも、廊下で喋っているときに、声が小さくなってしまい、ネイティブにWHAT?と聞かれてしまう。これは、何か屋内、屋外、廊下、、、というものになんらかの文化的ルールがあり、なぜか私の声を小さくしてしまうように作用するからである。そのあたりを根本的なレベルで理解する必要があるのだ。 ちょっと気になったのでGOOGLEで「廊下を走らない」を検索してみた。すると、非常に関連性の高いトピックがHITした。ところが、英語でやってみると、全然、ひっかからない。表現がまずいのだろうか。Don’t run in the corridorでやってみた。というか、表現として、これだ、、、というのが存在しないのか。 日本のGOOGLEではこんな感じだった。 http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%BB%8A%E4%B8%8B%E3%82%92%E8%B5%B0%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84&lr= ちなみに、ランクの高いものから少し紹介すると、、、   「子ども達が廊下を走らないようにする指導」は学校の永遠のテーマの一つです。 なぜならば、「子どもは廊下を走る存在」だからです。 だからといって、そのままにしておいて良いわけがありません。 廊下を走れば危ないのも事実なのです。…