批判的コメンタリー

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言説としての音楽指導 抽象と現実

今、ウクレレを教えていて、ふと、楽器屋さんでウクレレの本を見つけて、愕然。Gと思って教えているコードが、教則本ではCと書いてあるではないですか。 それで、やっと分かりました。ギターの1弦(一番細い弦)から4弦までの引き方とウクレレの弾きかたは全く同じなのですが、それに気づいたのが昨年。ただ、なぜ気づかなかったかが分からなかったんですが、今やっと分かりました(説明がひどく面倒なので省きます)。 記号をつかって、楽器を学ぶと、何か、最初の段階でボタンの掛け違いをしてしまった感じになります。たぶん、語学も同じで、最初の1年は音だけで学ぶと、後が楽なのじゃないかな。 ちょっと関連しているのですが、アコギに対して、言葉になりにくい疑問が長年ありました。アコギは弾くのが痛いのです。痛いのに、なぜ楽器として存在しうるのか、、と。 なんとなく、精神論で頑張っていれば痛くなくなるとか、そういう風に考えていました。しかし、ギター暦30年を過ぎても、Cから始まる曲は引く気がしない(指に負担がかかるのです)。 たぶんですが、毎日弾く人たちは、たまたま押さえやすいコードが集まるG長調(あるいはE短調でしょうか?)を基本にしてコードを展開していて、それでキーが合わない場合はカポを使ってキーの調整をしているのではないでしょうか???(コンサートに行くと、アーティストがそうしているような気がする。) なぜギターを買っても上達せずに、やめてしまうか、、の理論ですが、たまたま現代における楽器の王様、ピアノはC長調(あるいはA短調)が弾きやすいように作られているので、一般的にC長調が王様になるわけですが、ギターにそのことを押し付けてしまうので、普通の初心者はC,G,Fと学んでFで指が痛すぎて、終わり、、となるのでは。 ところが、これはたぶん、現代のパラダイム・感覚であり、よくみるとCはアルファベットの最初の字のAではなく、3番目のレターなわけです。なんで、楽器の王様のピアノの最も基本でありそうなドがCなのでしょうね。 ところで、結論になりますが、ウクレレのCをあえてGと思って覚えておくと、いいことがあります。 ギターに移行しやすいのです。

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日本とアメリカの「宿題」の違いと「担任制度」の影響

今、ジーナがイタリア語のクラスを民間の学校で週1でとっているので、宿題をたまにやっている。さらに自分自身も、ジーナと一緒に去年は近所の高校のアダルトスクール(夜を利用して市民に開講されている)でフランス語と、スペイン語とイタリア語を受講した。 一つ違う点は、日本では日本人が英語を教えるが、私がとった全てのクラスでは、それぞれの言語のネイティブが授業をしていた。 さて、ふと気づくと、宿題の質が違う。日本とアメリカで。 いや、量としても、日本では宿題がない。中学、高校と宿題があった記憶がない。 英語の授業では、予習ということがあったような気もする。その日の授業でカバーする英文を和訳しておくとか。 アメリカでは宿題は「復習」だ。先生がカバーしたところを、生徒が自分のものになるように、復習的に勉強するようになっているのが、宿題だ。 アメリカでは、「宿題」を、授業中にすることもある。先生が早めに授業が終わったら、生徒に宿題をさせる。 思うに、確かにHOME WORKだけど、家でやるか、教室でやるかが、ポイントではなく、先生が教えたことをカバーするというのがポイントなのだ。 その日に勉強したことを、自分の一部にするのが宿題。 日本の中学、高校の勉強方法は、不自然に感じる。 英語はだいたいその日にやる授業の英文の訳をやってくるという「宿題」が多い。 それは、30人、40人の生徒を前に、生徒を静かにさせてコントロールして(悪い意味じゃない)、授業を「成立」するための、装置では? 復習スタイルの宿題(アメリカ的な宿題)をさせていたら、それをチェックしないといけなくなり、教師の仕事が増える。 教師の仕事を増やさない形で、宿題を出すとすると、予習スタイルの復習しかない。 さて、このことは、クラス人数が多いのが元はといえば原因。しかし、国際機関のデータによると、日本の教師一人あたりの生徒数は必ずしも多くないらしい。 http://nces.ed.gov/pubs/eiip/eiipid39.asp ここのテーブル39にまとめてある。 日本は教師一人あたり平均16.3人の生徒数。アメリカは16.7で日本より多い!!!! しかし、日本で16人の授業なんてある??? 逆に、アメリカの場合、この数字と、実際のクラスにいる人数がそんなに違わないような印象だ。 単純に生徒数を教師で割ったときの数字だけど、実際のクラス人数との乖離が興味深い。 では、なぜ、実際、クラスに大人数がいるのだろうか? これは私の経験からの推測だけど、高校教師をしていると、「担任の先生は大変」という感覚がある。 毎年、今年は担任する先生と担任をしない先生がいて、担任をしない年は、楽という感覚がある。 高校1年生で担任になると、そのまま学年とともにスライドする場合、3年間は忙しい日々が続くことになる。 大変なことは、順番に交代しながらというのが、人の情けだ。 担任をできるだけしないようにするため、順番に交代することを可能にするには、クラス人数を多くするしかない。 学年に200人生徒がいたとする。担任の数を最小限に押さえるためには、生徒数を多くすれば、担任の数を減らすことができる。 クラス50人なら、4人の担任でいける。20人なら8人の担任となる。 担任をすると、教師生活が激しく忙しくなる。 つまり、学校独特の組織文化、担任という制度もあって、日本のクラス人数は大きくなり、そのことが、教え方に影響を与えているのではなかろうか??? 復習的な宿題も出せない状態になるほどの、人数で教育をしているのではなかろうか???? 日本の英語の教育メソッドは全てマスプロ教育化で可能なものばかり。 訳読とか。 少子化で子供が少なくなっているのに、クラス人数は、まだ多い感じがするが、そこには、担任制度という文化の影響があるのではなかろうか??? という想像でした。

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自分の目で見て判断しよう、、という話

英語でMの発音は両唇音と呼ばれています。それはMを発音するときに、上唇と下唇を合わせる、、と信じられているのでそう呼ばれています。日本人は、普通、Mの発音の練習をするのに、両唇音だから、唇をしっかり合わせて力強く発音すると教えます。 が、洗脳を解きましょう。 そう信じているのは、そう本に書いてあったからですよね。インターネット上で読むものの全てが正しいわけではないのと同じで、本に書いてあるから正しいとは言えません。 以下の動画はSKYPEに通訳機能がついたことの宣伝動画です。 1:26のところから始まるようにURLを設定しました。 https://www.youtube.com/watch?v=G87pHe6mP0I&t=1m26s まずアメリカ人の女の子が以下を言いますが、最後のSOMETIMESのMのところを唇を見てください。上唇と下唇を合わせていません。 I would really like to visit you sometime それに続いて、メキシコ人の女の子がスペイン語で以下のように言いますが、またしても2回出てくるMのところで、上唇と下唇を合わせていません。 A mi tambien Mは唇を合わせても、合わせなくてもどっちでもいいということです。 皆さんの中でも田舎に住まれているかたは、Mはおそらくどちらで発音しても可能なはずです。 言い方を変えれば、Mが必ず両唇音なのは日本語の標準語、あるいは都会の日本語でしょう。 YOUTUBE動画などで普通の外人が話しているところをみると、発音に関する思い込みを克服することができると思います。 英語のMを正しくには、口から力を抜いて、喉のほうで豊に音を響かせることです。唇がつくかどうかは、意外と重要なことではありません。

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