プレゼンテーション

(昨日のBLOGに誤りがありましたので削除しました。情報を訂正してまたUPします。 ) 久しぶりに、論文のプレゼンテーションをした。20人ぐらいの人の前で30分ぐらいしゃべって、30分ぐらい質問を受ける。 ものすごく自分にびっくりしたことがある。私自身は喉革命後2年ほどたっているから、やはりネイティブメソッドに慣れ切ってしまった、、、ということのお陰だと思うが、質問を受け付けているときに、全然、緊張しなくなった。緊張しなくなったどころが、喋っていて、喋りがとまらない、、、というような感覚に見舞われた、、、よく考えると、これはアメリカ人がプレゼンテーションをするときにやっていることと同じだ。 質問自体は10秒ぐらいなのに、2分も3分もとまることなく喋りつづけるアメリカ人を見て、「どうやったらあんなに量を喋れるんだ?」とか、逆に卑屈っぽくなって、「アメリカ人はただ喋るだけで内容はたいしたことない」みたいなことを考えたこともある(ちなみに、多くの日本人留学生がこういうことを考えるようだ。アメリカ人と一緒に授業をとったときに。) これは、思うに、考えながら、同時に喋れるということのお陰だと思う。 喉革命以前から、英語はできたほうだが、なぜかQ&Aとなると、緊張してしまい、思うように答えが返せなかったりした思いがある。 ところが喉で喋っていると、考える=喋るが同時にできるのである。 それでどころか、喋りながら、その次に言うことをなんとなく考えていることに気がついた。ちょっと難しい質問が来るとすると、とりあえずは、手続き的な説明、考えなくても言えるような説明をしゃべりながら(喉任せ、、、見たいな感じ)、その説明が終わったら、もっと理論的に豊かなことを言ってやろうと頭脳が考えている。 喉任せ、、、と書いたが、これは日本語では当然できることだろう。考えずに、適当に喋る、、、という芸当。私はギターでアドリブするときに、考えなくても手癖で適当に弾くことができるが、、、それと同一のプロセスだ。 手癖とは何か?デモしてみました。 http://www.nippondream.com/blog/teguse.wav で、適当に喉任せで喋っておきながら、次にいうことを頭でしっかり考える、、、と。 もちろん、この芸当は英語初心者には無理だとは思うが、ある程度、英語が喋れて英語喉に挑戦する人には、私が経験していることと同じことが経験できるのかもしれない。喉革命を経験して、英会話の場を踏み、ある程度の時間が経過すれば。 上に書いたことは、母国語では当然できることなのだと思うが、英語となると、異常に緊張してしまい、これまでできなかった。それはきっと、口の動かし方を気にしながら喋っていたからだと思う。特にLとR、TH、あるいはリガチャーAなど。 これは生物学とか脳医学をやっているかたに教えてもらいたいが、口や舌を動かす筋肉というのは、ものすごいエネルギーとか集中力を伴うのではないだろうか。だから、口の動かし方にフォーカスした方法では、短い単語や文は個別に発音できても、実践では、緊張して使うことができないのではないだろうか。 Rの時は舌を動かして、、、というたった一つのことを覚えておきながら、会話をする、、、ことでさえ、非常に難しい芸当なのではないかと思うのだ。 あ、これは日本語でも実験ができますね。例えば、「ま」のときは唇を丸めてください、、、という簡単なルールを作っておいて、それを守りながら喋ってください、、、といわれると*超*緊張するし、内容を考えながら喋るのは不可能でしょう。 逆に喉で喋っていれば、前に書いたが、脳が意味を解釈、確認しながら発音を助ける、、、、まだこの説明のしかたがよく分からないのだが、前に書いたことを引用して終わりにしたい。 **** 次に、、、喉発音って、無意識にできるようになるんです。で、それも、慣れるからと言ってしまうと簡単ですが、意味的な意味でできるようになる。説明が難しいんだけど、例えば、慣れるとHUTやKISSの時の母音の部分で、無意識のうちにゲップエリアを使ってしまいますが、これは、そうしないと意味的に違うものになってしまうから、、、という気がします。 例えばHUTをアクビエリアでいうと、意味的にHUTじゃなくなってしまう。どちらかというとHOTみたいな音か、HOTそのものになっていしまう。自分の言っていることを聞いている脳がいて、それが拒否反応を示してしまう(HUTのUをゲップでいってくれないと意味が合わないですよ。言い直してください、、、って感じ)。 ITでも同じ。ITのIをアクビエリアで言うと、EATみたいな発音になってしまう。すると脳が「それは違う意味の言葉ですよ」と言ってくれる、、、感じです。 このことをどう読んだらいいか分からないんで、とりあえずは、呼ばずに、「上で書いたこと」として扱います。

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はぜ走るのか

世界というのを考えたとき、色んな文化があり、色んな国家があるわけだから、日本は、色んな国のうちの一つだという感覚があるが、たまに、日本 対 世界、、、じゃないかと思うことがある。もちろん、多くは単に私が日本人なので、単なる勘違いだったりするんだろうが、微妙で分かりにくいことがある。 例えば、漫画の世界を見ると、やはり日本 対 世界、、、って感じで、ダントツに日本が強いと思う。アメリカの本屋には、漫画コーナーがあるが、全部が日本発の漫画である。一冊として、ドイツの漫画とか、ルーマニアの漫画は置いていない。 アメリカのスーパーにいくと、(これは勘違いなのだろうか)、日本の野菜 対 世界って感じがする。だって、菜っ葉がNAPPA(これは中国語である可能性があるかもしれないが)、しいたけがSHIITAKE MASHROOMとか、柿がFUYUだったりする。大根がDAIKONとしておいてある。そしてその他の野菜はなんか普遍的なものばかりで、単にTOMATOだったりPOTATOだったり。外国語っぽい野菜があったとしたら、その殆どが上にあげたような日本名だ(勘違いだろうか、、、)。 口発音 対 喉発音にしても、日本(とあと東アジア諸国) 対 世界ってかんじだ。 このエッセイのタイトルは「なぜ走るのか」だが、これも日本 対 世界かなあ、、、と思う事項だ。例えばだが、私が横断歩道を渡っているとする。そのとき、自動車が待ってくれているとすると、思わず小走りに走ってしまう。 なんか、人が待っていると小走りに走ってしまうのだ。でも、アメリカ人とか、他の文化圏の人々は走らないような気がする。私がわかるかぎりでは。 野球を見に行ったとき、片方のチームのセカンドを日本人の選手が守っていた。守備に回るときに、他の選手は歩いて守備につくんだけど、彼だけが、ものすごい元気でもって、守備の位置まで走っていっていた。 走るというのは、我々の特徴なのだろうか。人を待たせたくないという思いやりのようなものを走ることで、視覚的に示す、、、ということかもしれない。 小学校、中学校のとき、体育や遠足などで、集まるときに、よく先生が嫌ったのは、遅れているのに、のろのろと歩くことだった。遅れているから走って間に合わす、、、という意味以上に、遅れていることを反省しているから、走って誠意を示す、、、という要素が大きかったような気がする。 当時、「10分遅れて、走って集合場所にいく」よりも、「3分おくれて、のろのろと集合場所にいく」ほうが、ビンタの数が多かったように思う。後者は、単に遅れただけじゃなくて、指導者の権威に対する挑戦、、、と捉えられがちだからだろう。ちなみにビンタは決まって公開制で、みんなの前で受けるというのが70年代の地方のスタンダードだった。6人ならんで、集団ビンタというすごい光景もあった。個室で1対1でビンタというのはテレビドラマとか、吉本新喜劇ぐらいでしかないだろう。 話しが全然違う方法に行ってしまったが、「視覚情報」という点で何かが似通っている。 アメリカで火事があると、消防士がかけつけてくるが、消防車から降りて、家屋に突入する間での間に、ゆうゆうと歩いている、、、、そんな場面をよく見るのだが、これはなんとなく 日本 対 世界 の違いのような気がする。勘違いだろうか。 外国に住んでおられるかた、ぜひ情報をお寄せください。 警察官や消防士さんには、せめて小走りで走ってほしい、、、と感じるが、どうだろう。

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信じることの大切さ

Kさんが言っているように、ネイティブメソッドを信じることは大切だ。 喉革命がおきるまで、つまり喉発音が実際にできてみるまで、すこし試行錯誤は必要だが、それまでは、「エー、出来てるのかなあ、、、できてないのかなあ、、」と迷うことになる(、、、とKさんが言うとおりだと思った)。その迷うときに、信じることをやめてしまうと、困る。 目の前で指導させてもらえるならば、このような悩みは起こらない。「あ、まだまだ浅いですよ。あ、そうそう、それ」ってかんじで、できるから、その場で喉革命が起こったかどうかを教えてあげられる。最初のころ、教えさせていただいたかたは、その場でできていたし、翌日あたりから、すでに音ががんがん耳にはいってくるとおっしゃった。 信じることがとても大切だが、皆さんは以下のことを信じられるだろうか?英語喉で紹介している事項である。 1.西洋人の姿勢が違う。 2.西洋人は息を吸いながらでも喋れる。 3.西洋人は口を開けたままでも、コミュニケーション可能なレベルな会話ができる。 1に関していえば、西洋人の「標準姿勢」を学ぶと(英語喉参照)、猫背が直る。信じられるだろうか?絶対信じないとおっしゃるだろう。誰もが。猫背は骨が曲がってるんでしょ?と。 1億人以上、日本人がいるなかで、現在のところ、私しか知らない事項である。 とにかくやってみてほしい。

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