第60回紅白歌合戦を見て
アメリカでもNHKをテレビJAPANというパッケージを通じて見れるようにしてあるので、昨年の暮れの紅白を見ることができた。生ではなく録画で、こちらの大晦日で見た。 歌手の名前のリストをつくっておいて、どの歌手のCDをとりよせようかとジーナとチェックした結果、以下の歌手のCDを買うことにした。 細川たかしと天童さん あと私としては、アンジェラ アキさんのCDも買ってみようと思う。15歳の君へ?というようなタイトルの歌は、内容が私には、あまりにイデオロジカルであるので、ちょっとうなされてしまう。15歳の君、夢をみればかなうよという内容だが、今日(きょうび)、15歳どころか、25歳、35歳、45歳、55歳だって、処世術に迷う時代なので、15歳に対して、堂々と夢をみろといいにくい。15歳が歌って涙したところで、所詮、当面の受験がんばれということに収束していくだけで、現在の日常生活にも、将来の職業生活にも、まったく関連しないものを暗記せよ、、、という方向に行くだけではないか? なぜ我が国の15歳は、文章を書いて添削してもらったり、議論をして結論にたどり着いたり、歌をつくってみたり、実施に何かができるようになる教育を受けられないのだろうか?なぜ英語ができるようになったりしないのだろうか?最近、歌を作ってみたいと思っているけど、なぜ学校で、「おい、歌作っているか、こうやったらいいぞ」とかそういう指導を受けないのだろうか?と思った。 話はもとにもどるが、歌唱力抜群で、オリジナルの曲を書いているあんじぇらさんに一票、となった。あんじぇらさんはお母さんが、西洋人なので、おそらくこの曲、このテーマの詩は一歩距離をおいて書かれたのではないかな?などと想像するが、真相はわからない。 今回の紅白のもっとも大きな見所は、スーザンさんの歌った歌の歌詞の内容である。あの歌は、夢をみたけど、だめだったという悲しい歌である。 そもそも日本の歌というのは、長調だったら楽しい歌、単調だったら悲しい歌ということに決まっている(ような気がする)。この歌のように長調なのに、悲しい歌というのはありえない(昔、SUZANNE VEGAのLUCAというような曲があったが、それは長調でポップでありながら、虐待の歌であった)。 多くの人があの歌の歌詞を字幕で見ても、気づかないかもしれないが、あの歌のテーマは、紅白、そして日本文化のパラダイムでもっとも大切な、夢を見よう、がんばろう、、ということの逆なのだ。 あまりにも逆の場合、思考が停止してしまう。 61回紅白は、名前を口喉歌合戦としたらどうだろう?口組 対 喉組で。 YELLという歌を歌ったグループがあったが、エールというのはYELLから来ているなんて、想像もしなかった。非常に歌がうまい人でびっくりした。 その他、和田あきこさんや、小林さちこさんとか、すばらしいエンターテーナーの演出を満喫した。
皆さん、よいお年を
2009年ももうすぐ終わりますが、喉実践者の皆さん、よいお年をお迎えください。 英語喉パラダイムも、デビュー以来、これで2年半ぐらいになるのでしょう。いろいろな成果を聞かせてもらい、非常にうれしいです。人間関係的な効果みたいなのを感じられているかたもいらっしゃるのでしょうか。ぜひ教えてください。 私自身も英語喉を使っていて、アメリカ人とのかかわり方が変わってきたことは何度も言っています。たとえば、このホリデーシーズンですが、オフィスにいったら、机の上に、3人分のホリデーカードとギフトが置いてありました。 恥ずかしい限りですが、口発音で暮らして10年以上のアメリカ滞在でアメリカ人からホリデーにものをもらったのは、1度だけです。フロリダにいた時に、ワインを1本もらったことがあるだけです。 ところが、喉発音に変えてから、ほっておいても、ホリデーパーティーに来ないか、結婚式に来ないか?ほら、ギフトだカードだといろいろと社会の一部として、そして対等なる人としての扱いを受けるようになりました。 英語だけではありません。うちから職場に行く間に、よく私は掃除をしているヒスパニックの人たちに喉挨拶をしているのですが(スペイン語)、あちらからがんがん声がかかります。クリスマスの翌日は、二人ぐらいからクリスマスはどうだったか?などと声がかかりました。 レストランでウェイターさんがヒスパニック系の場合、スペイン語で注文するのだけど、なんでそんなにナマリのないスペイン語がしゃべれるんだ、、、とものすごい感動をしてくれます。 前は、アメリカ人のサービスは悪いと思っていましたが、ぜんぜん違います。引越したので、住所を変えるのに、電話をしなければなりませんでした。水道の料金のこととかで。住所変更で電話すると、電話の受付の人が、「あ、私、DCにクリスマスに行くんですよ」とか、私語を交わしてくるんです。そのあとは、ケーブル会社に電話したら、また、なにか冗談を言ってくるんです。 クリスマスの買い物で、たとえば店員に質問したら、「そんなこと聞かれても、知りませんよ、、、なーんちゃって」みたいにおどけてきます。 新しいアパートの管理人さんが、「ほかに質問は?」と言ってきたので、質問しようとしたら、「あれ、本気にとった?質問なんて答えないよ」、、、みたいな(意訳)冗談を言って大笑いをしてきます。 これはすべてが喉発音と3ビートの威力です。 私のほうも、冗談をいいながら会話をしていますが、喉でやると、相手の人と、本当に、いい感じの雰囲気が保てます。 日本人の読む新聞みたいなのが、アメリカの日本料理屋においてあるんですが、体験談として、日本人として馬鹿にされたとか、サービスが悪いみたいなエッセイや漫画がたくさん載っています。ずはり、それは、口発音しているから、なんらかの勘違いが起こっているのだと思います。相手は差別しようとしているわけではないのではないでしょうか。私は体験として分かるけど、日本人でもアメリカ人でも、差別してやるぞと構えて暮らしている人はあまりいないと思います。 よく日本人留学生の留学の感想として、アメリカでさまざまな国の友人と交わり、多様な文化を学んだという感想が多い。あれは結局、アメリカに交換留学できたけれど、同じ口発音の韓国からの留学生と交流を深めたということではないか(おそらく韓国人も国に帰ったら同じことを言っているのかもしれない)。中国人も口発音ではありますが、シラブルを理解するために、アメリカ社会への適応度が高いように思います。 喉発音をやれば、世界が一挙に広まるのです。 この20年の後悔、、、今思えば、特に白人男性で、私の感覚ではドライ、、冷たい、、、フレンドリーでない、、と感じられるアメリカ人が級友にたくさんいました。あの人たちは、私たちアジア系に興味がない、、、みたいな感じで決め付けていました。でも、あれって、そういうことではないんだ、、、と今は分かります。ただ単なる表情なのだと。よい例が浮かばないけど、たとえば、英語でLOST IN TRANSLATIONのなかで、アメリカ人の主人公の男性がぼーっとした顔をしていますよね。 あの感じを、フレンドリーではない、、、みたいに私が勝ってに想像していた。口発音だったから、コミュニケーションもすすまなかった。知らない間に、よい友達をつくる機会を失っていたのです。 さて、今年は、ケーブルにNHKを入れているので、紅白歌合戦を見ながら元旦を過ごそうと思います。SUPERFLYさんは出ないんですね。そのかわりイギリスのスーザンボイルさんが出ると。スーザンさん出すぐらいなら、外国人と同じ歌い方を日本の音楽史において初めて(???じゃないかもしれないが???)始めたSUPERFLYさんに歌ってもらったほうがよいような、気がしますが、、、。 クリスマスイブにジーナの友人の家に招かれたのですが、やはりネイティブの会話は単純は単語しか使わないということを確信します。教材で勉強したりテレビで勉強するといろいろ単語が出てきますが、日常会話って、本当に、日本でいえば、中学高校レベルの単語しかつかいません。これ、本当です(NITROさんも言っていますね)。 私は、英語教材のコンサルタントをしていたことがあるので、どの英単語が中学レベルか、高校レベルかということが分かります(英語の教科書に出る単語のリストを何千回と見たためです)。 簡単な単語しか使わないというのは、必然です。難しい単語を使うと脳に負担がかかるからでしょうね。言うほうも、聞くほうも。 だから、語彙を強化しても、日常会話が聞けるということには関係ないのだと思います。 あと、ネイティブとの会話で思うのは、声が大きいほうがよいということです。相手の声が大きいので、それに圧倒されて、だまりこんでいたら、えらい静かな人だと烙印をおされてしまいます。 皆さん、2010年も大きな声で喉発音、がんばりましょう! ********************************* 今日のテーマ 興味深かったら以下のURLをクリックで応援お願いします。人気BLOGランキングの人気投票です。 http://blog.with2.net/rank1931-0.html *********************************