ギターでのアドリブの考え方

アドリブはおそらくネック上のどこからでもドレミが弾けると良いのではないかと思います。一番有名なのは解放弦を含むドレミですが、3パターンか4パターンあります。解放弦を含まないもののほうが応用がしやすく、ドレミを2フレットブリッジ側にずらして引けば、レから始めるドレミになりますね。

練習しているうちに、ある音を出したとき、それがドレミのどの音なのかが感覚的に分かってきます。あ、ドだ!という風に絶対音感的にではなくて、その地点から、上下のどちらの方向でもいいですが、半音上げたらスケールとして正しい音が出るのか、全音あげたらいいのかが感覚的に分かると良いかと思います。例えば今出した音がミだとすると上方向には半音(ファになります)、下方向には全音(レになります)が「正しい音」、「理にかなった音」です。もちろん、「正しくない」音でもブルースっぽい感じがしたり、ジャズっぽかったりで、正しい、正しくないという問題ではありませんが、とりあえず、この言葉は便宜的に使っています。

プラス、ペンタトニックスケールを最初は手癖で覚えておいて、組み合わせるといいと思います(ドレミで考えるとミがフラットになるとかいうシステムになっています)。

さて、今勉強しているのが、それ以上のことで、モードとか、ペンタトニックでも3種類ぐらい使うとかです。でもモードは基本的にドレミが分かればよいのかなと昨日思いました。ドから始めるけど、ドをファのふりをして運指すれば、リディアンとか。

今後の予感としては、たぶん、キーに対してスケールとかモードを選ぶだけでなく、個々のコードによって変えるとかを教えてもらうのではないかと想像しています。次はその展開しかないかなと。

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英語喉パラダイムでは英語は「たかが英語」です

数えていないのだけど、これまで二百人ぐらいは英語喉指導をしただろうか? http://blog.with2.net/link.php?709532:1932 同じ単語、文章で教えているので弱点のパターンが見えてくる。 まずは、大阪より東の地域(東日本)と、西の地域(西日本)で違うのは、a_ i_ u_が、すぐできるかどうかだが、西日本の場合、音を聞いて喉をリラックスさせるだけで、できるようだ。東日本の場合は、喉の奥の広げ具合を説明している。 口の動きに連動しているとおもうので、例えば、map のa_だと、喉がリラックスできない人は、口を横に広げたくなる衝動にかられるだろうが、それは、首の底の筋肉が似たような方向に動いていて、首が口が硬いので、それに連動して口も横に開くのだとおもう。 ある友人に、教えたのだが、大阪出身の彼女もかなり硬く、口を広げないでと数回言っても、広げて発音されていた。 これは、コミュニケーション不可能状態だと感じた。なぜかというと、口を広げないでと言っても、口が広がっていたからだ。 あと、コミュニケーション不可能状態だと感じたのは、アメリカ英語以外の発音を覚えているかたに、とりあえず、英語喉で頼んでも、その例えばイギリス英語的な発音を維持して、変えてくれないことが、これまで2回あった。 やっぱりそれもコミュニケーション不可能状態かもしれない。 英語喉は、おもうに、従来のパラダイムを超えてしまっていて、コミュニケーションが不可能になるのかもしれない。 英語喉パラダイム的には、 口を広げずにMAPと言ってくださいと、いっても、広がる場合は、コミュニケーション不可能状態。 でもきっと、従来の考えから見ると、口を広げても、同じような音が出ているので、それを変える必要がない??ということなのかな? 英語喉的には、とりあえず、いままでやっていることを、やめてください、、、というお願いがある。じゃないと、色々、矛盾が起こるのだ。 さらに、英語喉はアメリカ英語のこだわっているのではなくて、ま、とりあえず、物理的なモデル音として、真似してくださいといっているわけで、極端な話、例えば、あ、い、う、え、おを英語風に練習するときに、あえてスペイン語をつかってもいいのです。犬や狼のほえ声でもよい。 今は、COPY KEEP COOL KEPT COAL と英語を使っていますが、スペイン語をもってきてもいい。 英語喉=アメリカ英語とおもわれてしまうが、実際のところ、英語喉のパラダイムでは、「たかが英語」なのです。 i_ が最初できない人にi_ができるようになるテクニックを用意してあるが、これは、効果が個人によって異なる。 このあいだは、i_を言おうとすると、…

私の持っている日本社会のイメージ 準備の文化

「準備の文化」で、ラッキーな人達が、ラッキーじゃない人たちに、「準備」という試練を課しているようなイメージを持っている。 例えば、大学受験だが、ラッキーにも大学で終身雇用のステータスで生活をしている人が、アンラッキーにも、その立場にない人(生徒)に試験を課すことで、試験料を徴収する。 もちろん、ラッキーな人達は悪い人たちではない。養う家族がいるので、家族のために、一生懸命働いている。 アンラッキーな人達も、生活がある。 ラッキーな人達は、「準備」を課すことで、その準備に必要なお金を徴収する。 しかし、その準備をしても、本当のスキルとか知識が、個人につくかどうかというのは分からない。 受験英語に関する言説はこの私のイメージにぴったりあっている。 大学受験準備を課す人達自身が英語が聞けず、英語ができず、、なのに、アンラッキーな人達を、ますます準備へ、受験英語の勉強へと導く。 就職活動も似ている。大学3年生ぐらいから準備を始める。 <本エッセイはTOEIC準備の批判ではないことを強調しておく。TOEICの先生たちは、いかにTOEICの試験を利用することで、英語力をUPできるか、、、ということを色々と研究、工夫されている。> しかし、これは搾取とはいいがたい。というのは、ラッキーな人達にも、生活があるからだ。ラッキーな人達は、家族を持てて、子供を持てるだろう。そうしたら、そうしたで、生活のために、がんばらないといけない。 実は私自身、社会学者として、社会統計学の本の執筆に参加したことがある。目的は、社会学も生き残るために、社会調査の資格をつくるということで、そのための勉強材料としての教科書である。 しかし、私自身は、そういう本を読んでリサーチスキルをつけたのではなくて、実際に、リサーチアシスタントとして、働きながら、統計学を使いながら、データをみながら、統計のスキルを身につけた。 SASという統計プログラミングにしても、本を読んでできるようなものではなくて、資格制度などあると逆に、習得の邪魔になるように思える。 しかし、私は、もちろん、本を書くことに参加することで、自分自身の経歴を強化することができる、、、つまり就職できる確立を高めることができるので、資格制度に反対するわけがない。 したがって、私も、社会統計学を勉強する人々の準備に一役買っているわけだ。 これは、必ずしも、良いことではない。 この準備の文化に対抗して、現在、世界で進行中なのは、YOUTUBE文化だ。 なんでもかんでもYOUTUBEに説明がある。例えば、私がもっている音楽用のMIXERの使い方など、中学生と思えるようなアメリカ人が、使い方を動画でもって示している。 全部、無料だ。 試験の準備とかとは無関係の世界である。 ただし、英語ができないと参加しずらい。 もちろん、日本語の説明もあって、私は、剣道の防具の洗い方など、まだ試していないが、参考になっている。 それにしても、英語ができれば、世界のいろんな国のYOUTUBE文化から吸収することができるだろう。 見て学ぶということになるが、そもそも知識というものはそういうものだ。字というのは、他にコミュニケーションの手段がないから、字になっているのだろう。…

学ぶことのコツを剣道で学ぶ+いっこく堂VSカズ対決

昨晩は、待ちに待った剣道の稽古だった。GW大学の剣道クラブに入門したのだけど、それにしても、入門した?という大げさな感覚がない。ぐぐったら、たまたま近所でやっていた。GW大学の体育用施設(ジョージタウン)に愛車をのりつけて、校門のとこにとめる。用務員さんが、そこ止めていいよとか言ってくれる。夜なので無料だ。 半分以上が初心者なので、基礎的なことを教えている段階だ。なんと、私も、おもわず簡単なことだが教えてしまっているのでした。25年ぶりでまだ2回しかやっていないので、遠慮しながらだが。 筋のよいの若者がいる。打つタイミングと体重の移動が絶妙で、面の瞬間に、最大のインパクトを加えているのをみて感心したので、ほめた。うまくできているときに、それを理由とともに伝えると非常に喜んでいた。 最大のインパクトというと、打撃の強さととられてしまうので言い直す。大切なのは、いかに、次のステップにスムーズにつながるかということじゃないかと思う。面の瞬間、そして次の瞬間に、スムーズにつながっている。まるで体重の移動と竹刀の移動が完全に一致しているかのように。 そうでないと、面をとれなかったときの次の瞬間の対応に支障がでてくるのじゃないかと思う。 これは英語喉のライフサイクルとか、ギターにおけるアドリブにも通じるものがある。 ただ、メ~ンと言って、かけぬけていった最後で振り向くときに、彼は気合が抜けていたので、それを指摘したら、すぐに直った。気合が抜けていると、剣道っぽくないのだ。礼儀のようでもあるし、また、実際、うしろから切られてしまう可能性もあるのだから、気合を保つのは理にかなっている。 体が非常にかたい若者もいる。しかし、よく見てみると原因がある。それを探してやろうと、私はやつを懸命に見ていたのだが、問題点は、右足(前足ともいえる)のかかとがういたままになっていたことだ。左足のほうは、かかとを浮かしておくものだが、右足のほうは、平らにしておかないと、非常に動きにくいし、体全体が力む。面をするときの一連の動きのライフサイクルがスムーズでなくなる、、、という言い方もできる。 それを指摘したら、まあまあ、よくなった。 さて、私には一番楽しいと思われる「じげいこ」で、日本人の強者と練習することができた。本当にありがたい。私の頭のなかでは、スパンと面をとるのは、物理的、距離的に不可能であるという結論がでているはずだ。しかし、彼は、スパンと私から面をとってしまう。 え~、ありえない。 そこで一体、なぜそんなのが可能なのか? 思い切って練習のあとに聞いてみた。この、聞くというのが大切なのではないかと思う。聞かずに相手から見て学ぶというのは、不可能だ。というのは、体の表面の視覚的情報からは、精神のもちかた、考え方、体のリラックス度などが、分からないからだ。 ちょうど音声学者が、外から見た口の形に頼って音を分類したのはよいが、日本人が英語を勉強するうえで、機能的な知識を提供できていないのに似ている。 相手の考えていることを読んでいるそうだ。 う~ん、これは私はやっていなかった。今度はこれをやってみるぞ、、、と考えると、試したくて試したくてたまらなくなる。 今度の練習は日曜日だ。 相手の考えていることを読む、、、、一体どうやって読むのか分かりにくいが、とにかくやってみよう。 今回の練習でためしたのは、とりあえず、相手をぶったおすぞ~という精神で向かうこと(3箇所を狙うというより)、プラス、疲労のコントロールだ。思ったのだが、自分でエネルギーをセーブするというのもあるが、相手に疲れさせるというのもあるのだけど、これは気迫のように思える。 相手の気迫が強いと、思わず、とにかく、出ないといけないとあせり、出てしまうが、とんで火にいる夏の虫状態だ。 相手をぶったおすぞ~と思って戦うと、自然と視線が相手の目線と一致した。大学生のリーダーはものすごい目で俺をにらみつけていることに気づいた。なるほど、これは、意識しなくても、相手の目を見る、心を読む、相手の体全体の総合的な動きに対応できる、、、ということにつながるかもしれない、、、、と今、書いていて思う(中学高校のとき、私は一体相手の何を見て、剣道をしていたのだろうか、、、???相手を見ているようで見ていなかったのかもしれない。) 強い相手、自分よりもできる相手に、聞いてみるというのは、やはり学びの王道じゃないかと思う。 小学校のときに、とにかく手をあげて質問をせよ、、、というスタイルの先生だった。しかし、中学、高校となると、何を聞いていいか分からないという状態で、大学となると、なにがなんだか分からない状態だった(何を聞いていいか分からないし、また聞いたらいけないような雰囲気)。 日本の英語教育においては、英語喉をやっていない人が多いので、実際には英語が聞けない、発音できない、喋れない人たちが、英語の学習法を発信している。これは、非常に、理にかなっていない。 日本人独自の学習法、、、というのではなく、箱の外に出て(THINK…

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