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キンドル本出版で一番あせったのは

キンドル本出版で一番あせったのは、出版してみたら、PCで見れない状態だったということで、これがなぜなのか分かりませんでした
(すでに解決ずみで、PCでも見れるようになっています)。
 
PCで読めないというのは、他の携帯とかキンドルリーダーだとOKだけどPCではアプリを入れてもダメだ、、ということだったんです(すでに解消しました)。
 
著作権を強力に守ってくれるとかいうオプションを選ぶかどうかで悩んだんですが(DRM)、それをYESにしたんです。そのせいでPCでは見れないのかと、しばらく勘違いしたのです(そのオプションは一度選ぶと変更できない)。キンドルのコミュニティー(英語のもの)も相談すると、そのせいだというような意見でした。今思うと、あてになりませんね。
 
全然あてにならないのは、PCは画面をスクショできるから、そのDRMを選ぶとPCでは見れなくなるんだ、、みたいな、まことしやかな、いい加減なことを言う人がいるんです。
 
その相談のコミュニティーで誰かが、FORMATがRESTRICTIVEすぎているんじゃないかと言ったことで、あっ、と思い当たることがありました。自分は、KINDLE VIEWER3というソフトでオリジナルのWord文書をUP可能な違う形式にしていたんです。WORD文書のままでもUPできるはずなんですが、最初にUPLOADしようとしたときに、エラーメッセージばかりでていたんです。
 
たぶん、その形式が悪いのかもと思いまして、今一度、ワード文書をそのままUPしてみますと、これが良かったようで、PCで見れるということがアマゾンでも明記され始めました。
 
コミュニティーに頼るのも良いのですが、ボランティア的にアドバイスをしているので、鵜呑みにできませんね。
 
だからPCで見れないというような表示が出たのは、UPした文書のFORMATが単純化され過ぎていたからなんだと思います。

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リアルであることの大切さ

これを言いたかった。今日は、とりあえず、手っ取り早く書くが、また何回も同じテーマで書くであろう。それはリアルであることの大切さだ。 英語でいうとそのままREALでもよいが、AUTHENTICということができるかもしれない。 ローティーさんのBLOGなどを読んでいると、リアルだと思う。実際に目の前で見た現実を語ってらっしゃる。ある日、ローティーさんは、いかに株が現実には予測できないのかということを書いてらっしゃった(逆に、短期的な視野で厳密なアルゴリズムで投資している人達は、儲けているとかいてらっしゃった)。 先日、あるお医者さんが、「いや、私のやっているのは(手術)手先の勝負だ、技術の勝負だ」と私には解釈できることを教えてくれた(極端にいうと、知的な作業というより、、、これはちょっと解釈のしすぎですか?)。これは非常にリアルだと思った。 これをつきつめていくと、医大の試験に数学だ理科だと、学生に課すほど、狭き門となり、本来ならものすごく勘がよく、手先が器用な人なのに、お医者さんになれないかもしれないということにならないだろうか。 入学試験というのはリアルではないと思う。だって、例えばセンター試験。あれって、作っている人達だって問題が解けないのではないだろうか?先生達だって受験の問題が解けないことは普通じゃないだろうか?リスニングを例にすると分かりやすい。 世の中には、語彙を猛烈に覚えて聞き取りをというアプローチがあったりするし、またその語彙だって、語源がどうのこうの、、、という具合に、覚えることが億単位で増えていく。 これはリアルではないと思う。 アメリカでは3歳児でも英語を喋っているし、聞き取っている。なのに、なぜ語彙を固める必要があるのだろうか???? 音楽だってそうだ。SUPERFLYの2枚目をゲットしたが、SUPERFLYは結構リアルな作詩をしていると思う。   http://www.superfly-web.com/ (CDの名前はBOX EMOTIONなのだが、あれってBOXED EMOTIONってことでしょうか?箱に囲われてしまっている感情、、みたいな。BOX EMOTIONだと箱感情という意味になって、アメリカによくある中華料理屋の名前でCHINA KINGみたいな突然な、あれ?みたいなニュアンスがあるような気がします、、、でも日本語的にはかっこいいタイトルである。) リアルな歌づくりのコツは、アメリカのTAYLOR SWIFTの詩を勉強するとよいと感じる。 TAYLORさんが、テレビで聞かれていた。どうやったらそんな歌が作れるの?と。彼女は当然、暗記せよとか、勉強せよとか言わない。なんて言ったと思う?彼女の言葉は 「高校に行きなおしてみれば?」 だった。 つまりティーンエージの時代の学校で起こる色々なドラマ、、、それらに対してリアルであれば、多くの人の心をとらえる歌ができるということだと思う。 最近NITOROさんのBLOGがリアルであるのでチェックを入れておいてほしい。 http://englishthroat.blogspot.com/ 小学校のときまでは先生の言っていることがリアルだった。質問をしなさいと先生が言うなら、それは本当に質問をしなさいという意味だった。中学あたりからアンリアルになっていった。ただ、黒板の文字を書き写すだけになっていった。質問は?といわれても何を質問してよいのかさえ分からない。…

方言話者は、理屈抜きで外国語の「アクセントの位置」が正しくなる?

スペイン語の本を読んでいたら、例えばLUNESという単語では、なんらかのルールで最初のところにアクセントがあると書いてあった。自分は、たぶん、広島弁が母国語だからかじゃないかと思うのだけど、理屈抜きで、おもわず、言われなくてもそういう感じで言ってしまう。ネを音程を高くいうのが面倒くさいから。 標準語では、単語ごと、そしてそれを構成する平仮名ごとに、音程がきっちり規定されているから、どこまで言っても、単語自体が音程をコントロールしている感じがする。 一方で、広島弁、そして多くの(たぶん西日本の)方言では、肺に息がすくなくなると、音程を上げるが面倒くさくなる。 だからLUNESの後半を上に上げるのが面倒くさい。 標準語を話す人が、なぜアクセントの位置を覚えるのか、、、。 それは、たぶん、本当に覚えないと、正しい感じにならないのだろう。 田舎の方言話者の場合、アクセントを覚えなくても、なんとなく正しくなる。だいたい、後半のほうが、音程が低い感じになる、、、ほっておいても。そのほうが楽だから。 ネットで読んだのだが、児童英語を教えておられる大阪の先生が、子供たちにTHIS ISという言い方を教えるのに、ISを弱くと教えておられた。THISは強くと教えられていた。 でもそういう教え方だと、何億もある英語の表現の一つ一つの強弱パターンを全部暗記するのだろうか?????? 大阪は西日本だが、声が硬い人がだんだん増えてくるあたりの場所だ。都会だからかもしれない。 しかし、田舎の方言話者の場合、そういう風に意識しなくても、自然とISが低いかんじになる。ISで強く、音程を上げるのが面倒くさいからだ。 でも、口発音傾向の強い人にとっては、勝手にそうなってくれないのだから、意識的に「アクセントの位置」だとか、「強弱アクセント」だとか理屈をつけて暗記するしかない。 しかし、そのアクセントのパターンは単語の数だけ存在するのだから、ものすごい、苦しい語学学習となる。 自分はスペイン語を全然話せずにメキシコに行った。20歳のとき。で、それなりに話せるようになった。 それは、アクセントの位置とか覚えなくても、喉がゆるいので、なんとなく楽に発音できるように言っていれば、正しい風になるのだと思う。 英語喉でリラックスして発想を転換すると語学の学習が楽になる。 自分は、スペイン語を必死こいて勉強しているわけではないのに、なんとなく話せてしまう。それはたぶん、広島の田舎もんだからだと思う。父方、母方両方の祖父母は全員、農業をやっていたし、自分自身、田んぼで田植えの経験も普通にある。大学で京都に出るまで米を買って食べたことはない(自分の家の米を食って育った)。 実はもう一つ心当たりがあることがある。自分は両親が共働きなので、帰宅すると祖父母が面倒を多くみてくれた。祖父母は大正生まれだったから、自分は大正、明治、たぶん江戸時代ぐらいの広島弁を聞いて育った。そのあたりも関係しているのではないかと思う。 スペイン語は必死に勉強していないのに、なんとなく喋れる。

見えるものと見えないもの

自分の身体(口、喉、姿勢)を知ることが英語喉である。簡単な問答から始めてほしい。 なぜ外国人(例 英語ネイティブ)の声は違うのか。 体つきが違う、、、とかそういうことではなく。日系人でも渋く、深い声を出している。女性でも、喉で除夜の鐘がなるような音を出している。 普通にまねしても、まねできない声である。 自分は、一体、どんな口、喉の使い方をしているから、あのような声を出していないのか、、、。 喉ブレーキの存在にきづき、認識し、それを操ってみる。無意識に操れるだろうか?喉ブレーキを使うより、実は使わないほうが、無意識状態だ、、、ということが分かってくる。リラックスしておればよいのだから。 ではなぜリラックスできないのか。 英語喉のマスターは頭のゲームである。 さて、読者からのメッセージで、こういうのがよくある。「私も、前からネイティブの声が違うと思っていたんですよ。」 意外に思われるかもしれないが、私自身は、一度も、外国人の声が違うと思ったことはなかった。喉革命が自分の喉に起こってから、はじめて認知した。今では、例えば、テレビで未開の地の原住民の言語を聞いても、すぐ、「あ、この言語は喉言語だ、、、」と瞬時に分かる。響きでわかる。 私にとって、とても面白いのは、私自身が一度も、西洋人の声が違うと思ったことがないことだ。喉革命以前でも、それなりに、英語をうまく喋っていたがために、通じたし、100%理解できた。 だからこそ、見えなかったのだろうか。 見えるもの 見えないもの 普通、知識が多いと、見えるものが多い、、、と考えるのが普通だろう。ところが、この場合は、知っていれば知っているほど見えなくものが大きかったということだ。 私は英文科だったし、英語を教えていた。だからこそ、見えなくなっていた。 西洋人の声が違うことさえ、一度も考えたことがなかったのだ。 今思うと、絶対に、信じられない。今は、右を向いても左を向いても、英語話者の英語が喉発音以外の何[者]にも聞こえない。 「裸の王様」という表現がある。見えないのに、見えると思い込んでいる状態だ。喉革命前は、英語の本当の音を知らないのに、知っていると思っていた。しかし、この状態以上に悪い状態に私はあったということだ。 英語を勉強していない人にとっては、当たり前のこと(外国人の声が違うこと)が、英語をよく知っていると思っていた自分には分からなかったのだから。 どのような表現、ことわざが当てはまるだろうか。 プラトンの洞窟の比喩だろうか? (わざと、プラトンの洞窟の比喩を説明しないことで、知っている人が「俺知ってる、、、」とちょっといい気分になりますよね。その修辞的効果を狙うために、ここで突然終わります。)

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