こういうユーモア、どう?

FBより転載

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在米25年にして、アメリカ人を笑わせることは関西人を笑わせるのと同じぐらい容易になりました。そもそも、くだらんことでも、努力さえすれば、笑ってあげようという優しい気持、、思いやり、、が相手にあります。アメリカ人の関西人度は低く見積もって75%ぐらいですので、そんなに難しくはありません。

今日は、歯医者さんに行って、たまに担当になってくれるランディーさんという女性の助手のかたが、

久しぶりですね~

というので、

あれ、ワシこないだ来たばっかりけど、ランディーさん、毎日来てないの?

と聞くと、毎日来ているけど、診察室が何個もあるから、たまたま会わなかったんでしょうね~

というので、

じゃ、今度来た時は、帰る前に、全部の診察室をチェックするけんねえ~~

と言ったら、大爆笑してくれました。

これは、関西では、「ぼけ」と呼びます。

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感情を込めるとは?まだ言説的に安定しないが、とりあえず書いてみる

日本の音声学者の勘違いは、 破裂音を、破裂を強くして発音する音 と言う風に理解してしまったことだろう。実際には、口で音を調整するときに、プロセスとして、「破裂」と称すると、まあうまく描写できるものがありますよということだ。決して、破裂を強くするということではない。 破裂という漢字につられてしまったということもあるだろうが、日本語で破裂音は英語でも破裂音なので、破裂音と読んだところで、英語発音指導上、全く意味をもたない、、、という難題がある。 全く意味がないものを分類しているということは、それを分類するものをむなしくさせるだろう。意味がないからである。だから、英語のほうが、破裂が大きいと言ってしまうことで、意味を作り出す、、、人間は意味をつくる存在である、、、ということだろう。 破裂が大きいと言った時点で、データ分析をし、仮説を証明すればよいのだが、そうしてしまったらしまったで、その仮説がサポートされない。だって、強く発音する弱く発音する、破裂的な要素を強める、弱めるは、音の弁別的要素ではないからである。 さて、昨日のエントリーで感情を喉で表してみようと言った。これは、感情的になれということではない。そう理解すると、うえで説明した音声学者のおかした間違いを我々もおかしてしまうだろう。 そうではない。感情というのは、人間は誰でも持っている。いつもそれは存在する。その感情は、静けさだったり、悲しさだったり、楽しさだったり。そのときどきに、感じているものを喉の音色に託すということである。 私は昨日あたりからそれを実践しはじめた。 最初に敏感に反応したのは、うちの犬だ。うちの犬は、来いと言っても来ない犬だ。しかし、来て欲しいという気持ちを、心にうかんだとおりに、喉発音の音色に託すと、なんと愛犬が、面白いように来るのだ。 次にジーナも私の話をよく聞いているように感じた。話がはずむ。いや、それ以上に、私が彼女の声に、感情の流れを読めるようになったと言っても良い。 今朝、味噌汁とご飯を食ったのだが、それに魚肉のふりかけみたいなのをかけた。すると、その匂いが「くさい」と言っていたのだが、その喉撥音にこめられた気持ちが私には読み取れて、いやみに思えなかった。全然。 英語では、命令形をPLEASEなしによく使う。日本語に訳していると、軍隊で命令されたように思えるかもしれない。しかし、喉声で伝わってくる言葉、そしてそれを運ぶ音色を聴いていると、全然、命令に聞こえない。 これは私にとっては英語喉の2次革命である。 そして、仕事場に行く。すると、同僚の言葉に、喉発音を伝わって、感情が伝わってくる。だからこちらも、喉発音に感情を乗せて喋る(感情的になるというかんじではない、、、そのときの気分を大切にしながら、言葉をゆっくりゆっくり語る)。 すると、同僚が、去らない、、、。話が長くなる。 え?これって偶然???? 電話がかかってくる。すると相手の喉発音の音色を聞いていると相手の感情、思いやり、などがびんびんと伝わってくる。どういうことかというと、何かエラーがあったとする。すると、アメリカ人は話相手のせいだと聞こえないように、それはそれは、丁寧に、喉発音の音に思いやりを乗せて喋ってくる。 これだ!日本人が、日本人にしか以心伝心がないとか、日本人しか気を使わない、外人はざっくばらんで、おおざっぱだ、、、と思い込んで何百年。 私は、今、喉発音に、感情、思いやり、気持ちが聞けるようになったように思う。それをまず察知したのが、うちの愛犬だった。 色んなことを思い出す。今は忙しいので集中してかけないが、同じテーマを繰り返すことだろう。言説的に安定するまで。 そういえば、小学校のとき、妹を泣かしたとき、低学年だった妹(二人)は、「おか~ちゃ~ん」とか、「おば~ちゃ~ん」と言いながら同時に泣いていた。おばあちゃんが、「かもうな」と注意していたのを思い出す。 大人となると、泣くとき、全然喋れない。口発音が完成しているからだろうか? DCにはヒスパニックの人が多い。スペイン語の放送を聴いていると、番組の最初から最後まで泣きながら、視聴者のお便りを紹介している番組が少なくとも3年ぐらい前にあった。スペイン語は喉発音なので、泣きながらでも喋れるのだ! さて、感情を喉声に込めるといったが、これは、決して音程を上下させることではない。日本人が、感情を込めてセリフを読むとすると、全て音程と音の強さに還元してしまう(これ大切なところ。何回か繰り返して読んで、考えてみてほしい)。…

中国語国産ネイティブへの道 中国も喉だな~

さて、いわゆる英語喉原理主義で中国語を勉強しはじめてまだ1週間がたっていない。 あ、ところで、ちょっと話はずれるが、文部科学省の新しい英語に関するレポート、あるいは、文部科学省の考えかたで、グローバルに通じる英語みたいなのがある。つまりアメリカ語にとらわれずに、英語をやっていこうという考えだ。 ちょっと聞きたいのだが、単語のアクセントの位置って、アメリカ語、イギリス語、あるいは、オーストラリア語、ニュージーランド語、スコットランド語、などなど全部同じなのですか? 同じでないと、アクセントの位置を問う試験問題は論理的に破綻することになります。 と思ったのは、先週から見始めた番組で、BIG FAT GYPSY WEDDINGという番組があります。それには、イギリスに住んでいるジプシー達の結婚式のリアリティーショーです。 彼らの英語を聞いていて思ったのだが、アクセントの位置が全く同じなのか? そもそも、そんな研究がないのでは?色々ある英語で、アクセントの位置がどの英語でも全く同じだとの仮定があるから、アクセントの位置問題があるのだろう。 しかしここまで国際的なる英語などと文部科学省も言い出しているのであれば、科学的裏づけがいるだろう。 実際は、単語のアクセントの位置など暗記する必要はなく、ゲップエリアとアクビエリアの音を使い分けていれば、自然と音程の浮き沈みが生まれるのだ。日本人がアクセントの位置の暗記にこだわるのは、それだけが、誰でもできることだからだ。音程だけは誰でも上げたり下げたりできる。 さて、中国語学習のことだが、昨日も、二人のネイティブと中国語を喋った。とにかく、中国人の同僚は多い。駅でも、50メートル歩いただけで5人ぐらいの中国人とすれ違うぐらいワシントンDC地域には中国人が多い。ということは、将来的に、中国人と会って中国語で喋ることもありえるな。 さて、まず朝、中国系アメリカ人の同僚(お父さんが中国人)に「中国語勉強している」と言ったら、色々喋れた。発音矯正になった。 その人はこないだ上海に行っていたのだけど、中国語は地方によって発音が違うんですよ~~なんて話をしてくれた。 午後ごろ、こないだちょこっと教えてくれた中国人がドアをノック。勉強の調子はどう? とくる。 点っていうのがSOMEって言う意味なのか?と私は質問。点茶でSOME TEAという意味になるらしい。 日本ではテストの点数を点っていうんだ、、、と言ったら、中国でもそうだよという。 中国語って中文でもいいんだよと教えてくれる。文の発音が聞き取りにくい。文はWENと読むらしい。あ、そうだ。昔、WENさんという人がいたけど、彼女の名前は文だったような、、、 で覚えられた。 やっぱり中国語も喉の音を聞くとよくわかる。微妙だなと思ったら、喉の音だと思えばクリアに聞こえてくる。例えば、Dの発音が、全然、舌が活躍していないかんじで、喉のほうから聞こえてくる(ゲップエリアとまでは言わないが、、喉が開いたままで発音されているので当然、喉の音が前面に出ている)。 さて、我想要~で、I’d like…

FBより転載 一番見て欲しい動画はこれ

私のFBフレンドには、英語教育関係のかたや、海外に住まれた経験があるかたが多いので、以下を書きました。 しばらく、欝な描写が続きますが、必ずやハッピーエンディングがあることを約束しますので、緊張しないで読んでくださいね。長文プラス、さらに動画をみてください、、ということですので、負荷がかかりますことをお許しください。 今まで自分が作成したYOUTUBE動画の中で一番人に見てもらいたい私の体験談があります。この文の最後にURLを載せましたので、ぜひご覧ください。 私は20年アメリカにおりますが、最初の10年は、そもそも、アメリカ人に話しかけられなかったし、レセプションや会議で同じテーブルに座っても、顔さえ見てもらえませんでした(ちょこっと話しても、すぐに、飲み物を~と消えてしまいます)。10年前に全てが変わり、今は、普通にアメリカ人と働いており、平等な立場で話しています。皆さんの中で英語がまずまずできる方でも、西洋人との議論になると、疎外感を感じるかたがおられるのではないでしょうか? どんなに英語の語彙を増やしても、文法を勉強しても、歴史の勉強をしても、この点を、この点をクリアしないと、日本人のグローバル化は無理だと考えます。 なぜ、アメリカ人が会議などで、私のほうを全然みないのか、話をしてくれないのか。最初のころは、自分のことを知らないからだろうと思いました。ところが、10年ほど前にサンフランシスコの米国社会学会で100人以上の聴衆を前にプレゼンをした後でのレセプション、、無残にも、誰も話してくれず、隣の席に座ってくれたのは、英語ができない中国人のかたと、韓国のかたでした。 就職の面接でサンフランシスコに飛びました。そこでハッピーアワーに連れて行ってもらいました。どう考えても、自分が主役なはずです。ところが、アメリカ人が話し出すと、私のほうは、全然みてくれないし、話しだすタイミングがつかめず、またしても、「静かな日本人」に徹してしまい、、。もしかして人種差別?などと思ったこともありました。 私は英語ができたほうなので、米国のコンサルタント会社で就職しました。そして、10人ぐらいの同僚たちとランチに行ったときのことです。私の左と右で、すぱっと話をするグループが二つできて、私のほうは誰も見ていません。その時思ったのは、「もし今自分がいなくなっても、誰も気がつかないだろうか」ということでした。 そのころ、会社で廊下を通過中のあるアメリカ人のかたが、声をかけてくれたことがあります。その方は、日本に行ったことのある人で、私が飾っていた浮世絵に興味を持ってくれたのです。その時が、道を聞かれる以外でアメリカ人に話かけられた初めての経験でした(すでにその段階でアメリカには10年ぐらい住んでいた)。 ちなみに、日本にいるとき(大学生の時など)は、留学生の友達がたくさんおりました。ですから、アメリカでのこの経験は全く理解できませんでした。 さて、10年ほど前にあることを知り、それ以来、アメリカ人が急にフレンドリーになり、社交に全然困らなくなりました。バースデーのパーティーに呼ばれたり、仕事のあとのハッピーアワーにも普通に招待されます。会議でも、人が良く話を聞いてくれます。会社のキッチンでも、普通に話しかけてきます。 私がこのことを日本の人に知ってもらいたい理由があります。それは、おそらく多くの人が英語の語彙を増やせば、文法を学べば、積極性をつければ、コミュニケーションがうまくいくと思われていることだと思います。しかし、それらのことをするよりも、簡単なことがあるということを知っていただきたいと思うのです。 海外で英語を試されたかたは、英語が通じる、通じない以前に、アメリカ人や他の外国人が、そもそも、こちらを見ていないということに気づいたかたがおられるのではないかと思い、この場で紹介してたいと思いました。 もちろん、日本に住んでいる外国人は、日本人をそのようには扱わないと思います。ですが、外国人が複数で、日本人が一人だけの場合の議論とかは、突然、外国人が日本人を無視し始める現象は経験されたことがあるのではないでしょうか? 以下、自分の体験談を述べているところです。

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