喉同士よ、発想の転換をせよ!声の大きさに関して(重要)

先日、私がハッピーアワーで今後は精進する、、、という宣言をして、すでに数日が立つ。あれ以来、ハッピーアワーがまだない。はやく、こーいーこーい、ハッピーアワーアー。

本日は落合信彦師匠風の筆のすすめかたをしてみよう。

俺がアメリカ人を3人相手に、得意の空手でぶちのめしたことはすでに述べた、、、。おまえら、意識改革が必要だ。納豆を食うな。

いや、落合風の書き方はやめとく。話が大きくなってしょうがない。

ま、とにかく、バーでの会話は、非常にでかい声、喉声だ。リラックスして喉から大きな声を出すと、とてもでかい声がでる。正しい喉発音をやっておれば、喉は痛くならない。

なぜか、あれ以後、ピタッと、喉発音のゲップエリア化が安定しているような気がする。

さて、KENJI Y氏をして、この例の記事は私を師匠とまで呼ばせしめたのであるが、KENJI氏に、まだ喉の同志に言いたい。

声が小さいのを大きくしろといっている、、、のだけど、そうであって、そうでないのだ。

天才バカボン風、いやバカボンパパ風にいうと、

賛成の反対なのだ。

どういうことだろう。

日本人の感覚では、声を大きくするぞ!という感覚だが、そこが間違っている。ちょっと落合信之(ありゃ、漢字なんだったかなあ、、)、、、ノビーでええわ。ノビー風にいうと、

間違った豚であるより、正しい狼であれ、、、

と言いたい。

人類のDEFALTは声が大きいということなのだ。

もともと人類は声が大きい。そして、たまに、事情で声を小さくしなければならないのである。

以前、天満さんが、犬の鳴きまねを喉発音で試みられたときに、音量がめちゃ大きくなって録音しにくかったというようなエピソードを書かれていた。

つまり、犬にしろ、人類にせよ(日本人以外)、声がでかいのが普通であり、声を小さくするほうが特別なのである。

アメリカ人は声がでかい。それはそうだ。喉を開きぱなしで喋るのだから。だから、廊下などで小さい声で喋っているアメリカ人を見ると、逆に目出つ。なんか人の話しているのかと。

うちの小型犬でもほえ声がでかい(22パウンド、、、減量中)。

ものすごいでかい声で家でも喋るのがネイティブ風というか、人類が普通やっていることである。

だから、喉発音を極めるには、この普通である状態に我々日本人が戻る必要があるのだ。

以前、大家さんがヒスパニックだったことがあって、よく母屋に遊びに言っていたのだが、そもそも、2階から1階で喋っている光景をよく目にした。相手が二階の目の見えないところにいるのに、平気で1階から喋っているのである。

むちゃくちゃ大きい声で喋っているのである。

あとこんな経験もある。ひそひそ話をネイティブとしていたのだが、それを聞かれたくない相手が10メートル先にいた。

全然ひそひそ話じゃないやないかい、、、と

指摘して説教したくなるほど、声がでかいのである。あたかも、ひそひそ話がくるしいんじゃないか?というような、音が喉から響いてくる。

喉を閉めて喋らないから、音がなんか漏れるのだ。

喉同士よ、英語喉をマスターするのは、人類の元の姿に戻ることである。

そういえば、赤ちゃんの泣き声、むちゃ大きい。

そうなのだ。体の大きさは関係ないのだ。

要は、喉がリラックスして開いているかどうかだ!

 

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2 thoughts on “喉同士よ、発想の転換をせよ!声の大きさに関して(重要)”

  1. カズ先生、いつもお世話に成ります。
    今回のお話は、ミキシイからのメールとも関係しますね。

    私も昔は、日本語は高低のアクセントの言語であり、英語は強弱のアクセントの言語である、と習ったことがあります。英語喉を練習しつつも、それは本当だと思っていましたが、一種の迷信だったのですね。
    日本における英語教材の英文を吹き込んでいるネイティブの連中は、最初から日本人の教材開発者から指示された通りに、不自然なアクセントのしゃべり方をさせられていたのですね。実際に普通にネイティブが喋るのと、日本の英語教材の喋り方は結構違うのですが、日本の教材のように喋るのがきちんとした正しい喋り方だと思っている人が多いです。日常の普通の英語ネイティブの喋り方は、フランクで崩れすぎた発音だから良くないと説明した英語教師もいましたが、あれも迷信だったのでしょうね。

    日本の英語教育におけるアクセントの迷信は、日本人が喉で英語を喋らないことから発生したものではないでしょうか?
    口発音だと、英語の各母音による音の聞こえ方の違いがありません。母音によって、聞こえやすいものと聞こえにくいものとがあると思います。たとえば、いわゆる曖昧母音・シュワと言われた u_ は、確かに他の母音より聞こえにくい、前後の子音などの関係によって聞こえ方が違うように感じることが私もあります。単語でも一般にアクセント・ストレス記号が英和辞典で付けられている部分の母音の大半は、その前後の母音がゲップエリアの場合の、アクビエリアの母音ですね。一般にアクビエリア母音の方がゲップエリア母音よりも聞こえやすいために、相対的にはっきり聞こえる。そのために日本の英語研究者は、はっきり聞こえるアクビエリア母音の部分を、強く言うべきアクセント部分だと誤解し続けてきたのではないでしょうか?
    ところで、英語ネイティブの人達は、単語や英文のアクセントなどについて、意識したり学校の授業で習ったり注意されたりすることはあるのですか?

    英語喉でいう u_ および i_ は、従来は曖昧母音と言われてますが、これは確かに曖昧に聞こえる(ゲップエリアの最深部で言うので聞こえにくいだけだと思いますが)ことも多いようなので、あまり間違った命名ではないと思います。しかし、IPA方式の発音記号では、アクセントがある場合とそうでない場合とで、記号が違う・違う音に分類されていることがありました。現在の英和辞書などでは、違うのが普通だそうです。たとえば u_ は、アクセントの無い場合は e を反転させた記号で、アクセントの有る場合は V を反転させた記号で示されています。私が昔習った英語教師は、あれは元は同じだが、アクセントが有るか無いかで別の母音として分類されている(強く言うか弱く言うかの違い)のである、と説明していました。この話、少しおかしく感じていたのですが、英語喉の立場で言うと、完全に間違いでしょうか?

    また長くなってすみません。よろしければ、ご教示ください。

  2. >日本における英語教材の英文を吹き込んでいるネイティブの連中は、最初から日本人の教材開発者から指示された通りに、不自然なアクセントのしゃべり方をさせられていたのですね。

    「指示されたとおりに」の部分ですが、これは、その録音の場所で、横から指示を受けるのではなく、本のゲラ(というんでしょうか、完成品だが、普通の紙に印刷されているもの)を見ながら、録音するわけですが、その本にすでに、当然、強く読む位置について印が売ってあるので、それを強く読むわけです。ただし、ネイティブのほうも、そうするものだと思い込んでいる場合もあるでしょう。日本で生まれて、日本で育った英語ネイティブのかたがたもいますから、そんなもんだと思っているのかもしれません。

    強弱アクセントの神話は、信じられないほど強いようですね。でも、これは教える側が思い込んでいるだけで、実際の学習者が喋る番になるなると、そんなことかまってられませんから、まあ、実際には、使われないというかんじでしょう。

    >日本の英語教育におけるアクセントの迷信は、日本人が喉で英語を喋らないことから発生したものではないでしょうか?

    まったくそのとおりでしょう。さらに、これまで英語が聞ける人があまりいなかったということがいえるでしょう。あと、昔ながらの感覚で、まずは基礎をつけろ、、、おおげさにうごかせ、、おおげさに言ってみようというような感じの精神論によるメンタリティーがまだ強いのだと思います。

    >ところで、英語ネイティブの人達は、単語や英文のアクセントなどについて、意識したり学校の授業で習ったり注意されたりすることはあるのですか?

    学校では、新しい単語を小学生が習うときに、音節を重要視するそうです。ジーナがよく言っています。アクセントなどは意識にないと思います。

    >たとえば u_ は、アクセントの無い場合は e を反転させた記号で、アクセントの有る場合は V を反転させた記号で示されています。私が昔習った英語教師は、あれは元は同じだが、アクセントが有るか無いかで別の母音として分類されている(強く言うか弱く言うかの違い)のである、と説明していました。この話、少しおかしく感じていたのですが、英語喉の立場で言うと、完全に間違いでしょうか?

    完全に間違いです。そもそも強く読むどうかで発音記号を変えているというのは、きっと、言説的構築物のつじつまを表すためでしょう。なんらかの理由で二つの記号が存在してしまっています。多分イギリスでは、二つの音が区別されているとか、そういうような理由がある可能性はありますが、アメリカにおいては、同じ音です。

    学問の領域といのは、部門によっては、それを専門的に勉強している人達が、就職をするために存在するというところがあります。師匠さんのような方がいて(普通、お酒が大好きな)、その下に先輩後輩のハイラーキーがありまして、そのなかで、一緒に集まって飲んだりとか、就職を世話してもらったりして、組織として機能していますから、突然、上の世代の築き上げた知識を変えたりできません。これは大学への就職だけではなくて、私立高校とかの教師としての就職なども紹介してもらえたりします。これはこれで大切なシステムでしょう。もちろん、分野によって、絶対にそうだというわけではありませんが、これを見分ける方法は、査読つきの論文による競争のようなものが欠けている分野は、たいていそうではないでしょうか。たぶん。

     

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