大津先生が、小学校の英語教育の活動の会に出られての感想をネットに出してらっしゃった(三羽さんのところから行けた)。

http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/files/i/2010-2/otsu-syoei.pdf

最初のほうをよんで、もしかして、日本には英語を喋れる人がいないのではないか、、、という気になった。YES I CANという人が皆無なのではないだろうか?

私は、これからも英語が喋れる立場から発言していきたい。そうしているうちに、私と同じレベルで英語が使える人が増えてくるに違いない。傲慢ではない。アメリカで大学院に行った中国人やギリシャ人は、あたりまえのように英語を使っている。英語で教育を受けても、英語で苦労しているのは、日本人と韓国人だけである。

あと先生の「言葉への気づき」だが、その気づきが、本当に、生徒の能力を伸ばすのであろうか????それを極めたら、英語ができるようになるのだろうか。例えば、その言葉への気づきを教えようとしている先生たち自体の英語能力は、「気づき」を極めることで、向上しただろうか?その答えがYESであれば、生徒達のためになるであろう。

英語ができる、、、ことが英語教育の目的であるということを前提として考えているので、何か英語以外に大切なものがあるとか、そういうことであれば話は違ってくるとは思う。ただ、その「大切なもの」が本当に生徒にとって大切なのかどうかは、ぜひ、その大切なものを極めたら、教える側自身もこんなに伸びました、、、というようなものがほしい。例えば大津先生のエッセイの中に、直山さんというかたの実践例があるのだが、「四」が日本語では、「よん」とも「し」とも読めるということに気づくと、教師にとって、そして生徒にとってどんな良いことがあるのだろうか。

他にはどんな例があるのかなど、興味ぶかいが、英語喉の喉発音やシラブルに関する発見は、言語の気づきにならないのかな?なんとなく、なりそうにない。パラダイムが違う感じがする。たとえば、このMIXI動画は、私が、アメリカ人の声が根本的に違うということを示そうとしてとったものだ。外国人の声が根本的に違うということなど、小学生に見せたら、ものすごく盛り上がりそうだ。英語と日本語の根本的な違いを体感することができるものだけど、これは「言葉への気づき」になるのかな?

http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=4672939&video_id=8677075

なぜ、これが「言葉への気づき」にならないかというと、私が英語を100%聞けて、使えて、読めて、書けるという点で、言語学とか音声学とかいったコミュニティーから除籍されるような気がするというか、雰囲気があると思うからだ(逆に、終身雇用的な立場で英語を教えている、、、という条件がいるような気がする、、、。非常勤で実践したら、クレームが付きそうな気がする、、、)。

思うのだが、例えば、多くの学者さんが、ネイティブの真似をする必要はない、、というような会話を、ものすごく楽しそうにされていると思う。ところが、そんなところに私が出てきて、

え?それは、英語ができたら、そうは思いませんよ、、、

と言ってしまったら、ものすごくしらけてしまうだろう。

いや、やはり、思うのだけど、英語力に上、中、下とあるとする。下の場合、まだがんばろうという気があるから、ネイティブをしっかりモデルとして勉強したいはずだ。私は英語が日本語のように使えるので、当然、ネイティブをモデルとして英語をマスターしている。

ところが、中レベルになると、上に向かっているわけだと思うが、英語が分かるようで分からないだろうから(聞き取りなど)、ネイティブを目標とすることに嫌気がさしてくるはずだ。

嫌気がさしているところへ、私がでてきて、え、それは英語力の問題でしょ、などと言おうものなら、それば、軽蔑をされるだろう。おまえは引っ込んどけとなるであろう。

上に書いたこと消そうかと思ったけど、まあ、ええわ。たまにはヘンなのがおってもええじゃろう。

 これもとってみたんじゃが(以下のURL)、こういうのも指摘して、ちゃんと客観的に教えてあげたら、小学生がうーん、面白いと思うのではなかろうか。英語ネイティブの先生が喉発音と3ビートで日本語を喋っているYOUTUBE動画に私が音声をかぶせたものだ。ただし、子供に教えるならば、馬鹿にしたりとかしないようにしないと。

結局、ナマリの生じる構造は非常にシンプルであるということです。そういう構造を知ると、たかが英語、たかがナマリという感じになります。

http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=4672939&video_id=8677393

「英語ができる日本人」を育ているというのが、文部科学省の目標だし、多くの英語の先生の目標だと思うのだが、なぜ英語ができる「私」が、そういうコミュニティーから完全無視を食らっているのが、非常に、はがゆいのだ。

悟りの世界というのは、一人でも悟りましたと言ってはいけない、、、ということを社会学者のかたが言っていたが、英語もそうかもしれない。

英語が分かります。100%聞けますということを発言するのはタブーなのではなかろうか。

大津先生はエッセイの最後のほうで、ALT丸投げ(ネイティブの先生に全面的にまかせてしまうこと)と、英会話もどきになってしまうことに危惧を感じておられるが、思うに、世界で最も、効果があると思われている言語の習得法は、IMMERSIONである。これは、言語が喋られている環境に入ってしまうということだ。とすると、丸投げしたほうが、良いということになると思うのだが。人数が多すぎたらだめだと思うけど。

私が小学生だったら、丸投げしてくれたほうが面白いと思う。 厳密なメソッドで、実験をしてみて、丸投げIMMERSIONの効果を調べてみたらどうだろう。

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