放屁(ヒールッペ)と英語喉がどう関係しているのか

放屁というと、「屁をひる」ということだ(「ひる」は広島弁、、、標準語においても「へっぴりごし」という表現の中で生きている。)。イメージが汚いので、フランス語で表現することにする。「ヒールッペ」である。私が勝手に作ったフランス語だが、フランス語風に、ゲップエリアで全て発音してほしい。ヒはフランス語では非常に弱いので、イーという感じに聞こえる。ルは、喉を震わせて発音する。あえていえば、ぺにアクセントを置いたような感じになる。

フランス語でクレープを発音するときの、かわいい感じ、、、そういう感じで発音してほしい。

なぜヒールッペを語るのか。それは、人間が作りだす第2の音声活動であるからだ。音声学者でさえ、このテーマは扱っていない。音声であるにもかかわらず。

発音に関しては、日本語 VS 西洋言語において、口 VS 喉という対決がある。ところが、ヒールッペに関しては、それがないのである。ヒールッペに関しては、文明社会に生きる全人類が肛門発音である。腸発音ではなくて。

なぜだろうか。

文明社会に生きる我々はヒールッペをすることを「失礼」と捕らえるのである。生まれたときから、そう教えられるので、部屋に誰もいなくても、ヒールッペを恥と捕らえてしまうため、ヒールッペの瞬間、緊張してしまうのだ。日本語を発音するときに、短い音を出すために喉や口が緊張してしまうのと同じ原理である。

ところが、動物はどうだろう。例えば犬の社会には、ヒールッペが失礼だ、恥だという概念が存在しない。したがって、人間独特の緊張感がないため、腸発音になるのだ。腸はゆるやかな音を出すことができる。リラックスしているからである。いわゆる「すかしヒールッペ」に非常に近い。仮説になるが、動物のヒールッペはほとんどがすかしである。恥だ、、、という感覚がないから、そうなるのではないだろうか。

英語喉をマスターすることは、自分自身の身体を理解することである。むやみやたらに練習することではない。自分の体の原理を知ることだ。

英語喉をマスターできた人は、自分の喉、体をマスターできた人だ。自分自身の体を真の意味でコントロールすることに成功したのである。イメージ的には、昔、ヤッターマンという漫画があったが、それにボスロボットというキャラクターが存在した(と思う)。ボスロボットは、頭のところにコックピットがあって、そこに、悪役たちが座り、ボスロボットを操縦するのだ。

そういうイメージだ。自分で自分の体を操るのである。意識していなかったことを意識するのである。

昔に書いたことの繰り返しになるが、、、

なぜ喉発音が難しいのか?それは、日本語のくせで、音を出す=喉を緊張させる、、、という方程式を思わず使ってしまうからだ。この方程式をいじってしまおう。喉を緊張させなくても、大きな声は出せるのだ。喉をゆったりさせて、音のライフサイクルを大切にしながら(音の最初と最後を切らないこと)、発声するのだ。そのときに戦うのは喉ブレーキだ。思わず、喉にブレーキをかけてしまっているはずだ。それに気づくことが大切だ。

このことを実践できていなければ、いくら音を繰り返してもだめだ。どうしても、実感できなければ、少し本から離れて、風呂に入ってみてほしい。風呂に入り、ゆったりした状態で、声を出してみよう。声優さんのような声がでないだろうか?え、これって私の声?みたいな瞬間があったら、それが本物の英語喉である。

ヒールッペについて最後に一言。文明社会に生きる我々はもはやヒールッペをもっとも原始的な、動物的なフォームにおいて実践することができない。犬がやっている腸発音をまねしようとしても、どうしても意識してしまい(恥の概念が体をのっとってしまう)、すかしヒールッペでさえ、近似値的なものになってしまう。

できるとするならば、それこそが、自分自身の体を本当の意味でマスターしたということになるであろう。

文明が我々の身体をコントロールしているのである。そのことに気づくこと、、、これは非常に難しい。

 

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