2000年にシカゴの高校を研究でまわったとき、突然、ランチルームで二人の高校生が殴り合いを始めた。その後、警察がやってきて、二人を連行した。

さて、一番、びっくりしたのは、上に書いたことじゃなくて、殴り合いが始まった時に他の生徒がそれを取り囲んで、ワイワイと応援?なのか知らんが、楽しそうに見物していたこと。

最近では、けんかが始まったら、周りを生徒がとりかこんで携帯でその様子を録画してソーシャルメディアにUPするということらしい。

日本でもそういう光景があるのかよくわからんのだけど、自分の経験にはない。そういう観客動員型のけんかは見たことがない。

アメリカの映画では、たまに出てくるシーンのように思える。

一方で(昔)日本でよく見た風景は、強そうな生徒が弱そうな生徒をにらみつけて、説教をたれているような風景。自分も弱い生徒の役で参加したこともある(中学の時)。

京都に住んでいるときに、地下鉄のホームでも見た。

ただ、やすし、きよしの漫才コンビで、やすしさんが亡くなった後だったか、きよしさんが、昔、やすしさんとなぐりあいの大喧嘩をして、「誰もとめてくれへんかったなあ~」と回顧しているインタビューを見たことがある。これは、観客動員型のケンカだったのだろうか。

日本でも観客動員型でケンカするんでしょうか?

やっぱりアメリカの映画にはよく出てくるシーンですよね。

ブログの人気投票にもご協力を。以下をぽちっとお願いします。
人気ブログ投票にぽちっとお願いします。

英語喉オンラインコースへ飛ぶ(ニュースレター登録をお願いします)

Follow me!

One thought on “けんかの風景

  1. lister says:

    日本だと、誰かが止めようとしたり、止められる人を呼びに行ったりして、オロオロしながら見守る感じになると思いますが、確かに、アメリカのドラマや映画だと、そんな感じでした。直接止めようとする人は誰もいなくて、みんなで遠くから囲んで、のんびりと成り行きを見物する人がいたり、それぞれを応援したり罵倒したりするヤジを飛ばしたり。なんか「突然、格闘技の試合が始まったから、みんなで見て楽しもう」みたいな雰囲気ですよね。本当にああいう感じなんですかね。
    なぜそういう違いが生まれるのか、文化的な理由が興味深いです。『和を乱す事はあってはならないこと』として、なんとかして止めさせようとするのが全体主義、集団主義の日本で、一方、『基本的に争いは本人同士で解決するもの』として、周りは余計な干渉をしないのが個人主義のアメリカ、という意味なんでしょうか。ケンカも自己責任で解決させる、みたいな。

Leave a Reply

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.