箱の外に出て考えよというような言い方があるが、決まりきった見方ではなく、新しいものの見方をしてみようということだ。

喉革命以来、新しいパラダイムのお陰で、何か、新しい考え方がしやすくなったような気がする。特に、教育実践の言説において色々考えることがあるが、なぜか喉パラダイム以降は、比較的だが、新しい見方ができるように思う。少なくとも、いや、違った見方があるのではないかと思うことができる。

この数年で色々ないちゃもんをつけられてきたが、一番、腹がたったのは、発音とか聞き取りの分野のことではなくギター演奏のことであった。

私は、自分自身のギタープレーと、他のアマチュアとのギタープレイを比べて、とても、違うと思うことがある。

それは、他のアマチュアの人達は、ソロをひくときに、ギターのネック一生懸命みながら演奏しているということ。それに比べて、私は、ほとんど見ない。見る必要がなぜあるのか、全然分からない。昨日も、明日も、もちろん今日も、ドの位置はかわらないのに、なぜいちいち、人はネックを見ながら弾くのか。これがよくわからなかった。

ところがあることがきっかけで、なぜ殆どのギタリストが見ながら弾くのかが分かった。

それは、ソロ演奏のとき、普通の人は左手の指を3本しか使わないからだ。これは愕然とした。どう考えても、ソロを引くのに、使える指は、4本だ。なのに、普通のアマチュアは3本しか使わない。

3本しか使わないとフレットのところ(左手で押さえるとこ)が非合理的なシステムに見えてしまう。普通のソロには、だいたいだが、一弦につき4箇所押さえることが普通だが、私は4本使っているので、単に指を、そのまま「おろすだけ」だ。例えば、5、6,7,8フレットめを弾きたければ(注 これは左手です。弦を押さえるほうです)、

5=人指し指

6=中指

7=薬指

8=小指

だ。ところが3本しか使わない人たちは、この関係が成り立たない。その場、その場で決定しているのであろう。だから、鍵盤?いや、ギターのふれっとを熱心に見ないと演奏できないのだと思われる。

3本しか使わないのは、きっとギターソロの練習をやり始めたときに、小指の力がなく、そのままで練習しつづけてかたまったしまったということではないだろうか。

4本使っている私にとってギターのフレットはコンピュータのキーボードと同じだ。ブラインドタッチで、いちいち見る必要はない。そりゃ、大きく、弾く位置を変えるときは、ちょっと見るよ。ちょこっとね。

ジミヘンが、ギターを背負って弾くとか、歯で弾くとかいうことをしていたが、それは私だって当たり前のように出来る。それは、4本の指を合理的に使っているので、見なくても弾けるからだ。

さて、何が腹がたったかというと(ずいぶん前の話だ)、自分はなぜギターソロが結構、速く、そしてスムーズに弾けるのかと自分を観察したところ、その理由は、ある音を弾くときに、次の音へ行くのを予期しておいて、遊んでいる指をすでにそこにおいておく感じにするのだ。おくというより、手はべったりとギターのネックの上にあるのだから、そんなに大変なことではない。あ、それから、例えば、ある音を弾いても、それに使った指をいちいち離さないで、ちょっと浮かせた感じで、その場においておく。そうすると、指が自由自在に音をとらえることができる。(以前、いとこが遊びに来たとき、ギターソロをCHOPPYに弾いていたので、このアドバイスをするととたんに、流動性が増したように思った。)

まあこれは、英語発音で言えば、3ビートである。音を個々に切りながらしゃべるのではなく、流動性を大切にしながらしゃべるのと似ている。

そこで私は、ギター学習者に、この奏法を説明したのである。MIXIにおいて(http://c.mixi.jp/kazguitar)。

すると、えらそうな人が、「そんな奏法は役に立たない」と馬鹿にしきったのだ。なんと、えらそうなと思って、その人の演奏を見ると、3本の指しか使っていないのだ。

そりゃそうだ。私が薦める奏法は3本指ではできない。4本使ってはじめて使える奏法なのである。3本指で、次の音を意識しながら弾くのは難しい。地獄のようなトレーニングなしには上達しないだろう(私は、中学3年ぐらいで今のレベルに達していた。4本指を合理的に使っていたからだと思う、、、キサダ楽器の先生にならったのだ。)。

3本指しか使っていないから、私の勧める奏法ができないのに、それに気づかないで、人を馬鹿にする。

これこそが、箱の中にこもったままでの思考だ。やっかいなことに、その人は3本指でも、それなりに演奏がうまい人だった。だからこそ、4本でギターソロを弾くなんて考えたこともないだろうし、また自分が3本しか使っていないなんて、意識にもないだろう(3本で弾くより、4本で弾いたほうが楽に、また合理的に弾けるのだが。音がスムーズにつながるのでエコーなどをかけてごまかす必要もなくなる。)。

見ること、観察すること、やってみること、オープンマインドを保つこと、、、などなどが大切だと思った。

殆どのアマチュアが3本指奏法なのだから(コードのときは違うと思うが、ソロのときね)、え?4本使えるの?なんて、天動説から地動説的なのかもしれない。え、見なくても弾けるの?ってのも地動説的かもしれない。

箱の外に出て考えたいものだ。

さて、皆さん、人は色々と特技があると思うのだが、なぜできるのか?というのを観察とオープンマインドによって解明し、それをともに分かちあうということをしてはどうだろうか、、、つまり技能社会主義というのがよいのではないか?

脳がどうのこうの、天才がどうのこうのというのは全くこれと逆の流れだ。また、とにかく「がんばれ」とか毎日練習せよというのも、あまりに精神論的すぎる。やたらと資格制度をつくったりするのも、試験問題を作る人の仕事・ポジションを作るだけのように思える。

誰でも何かができるはずである。 そして、その「なにか」を人は、楽にやっているはずだ。そして、なぜ楽にできているかを考えると、それが誰でもできるようになる方法も考えられるはずである。

英語喉オンラインコースへ飛ぶ(ニュースレター登録をお願いします)

Follow me!