Skip to toolbar

見えないものと見えるもの 物まねのうまい声優さんがNHKのバラエティーに出ていたが、、、

アメリカでも20ドル余計にはらってNHKが見れるようにしているのだが、毎日やっているNHKのバラエティーショーで(インタビューの女性はとても話が上手です)、物まねの人が登場した。彼は声優さんみたいで、色んな声とか音が出せる。

彼が色んな声をやっているあいだ、私に見えたもの(VISIBLE)がある。前は見れなかった(INVISIBLE)。

それは、彼の喉というか首がごくんごくんという感じで大きく動くことだ。多様な音を出すために、彼は喉を駆使しているのである。それも、リラックスさせることで、うまく音を響かせいる。

口発音時代には、INVISIBLEであったことだ。今見ると、どう考えても首が気になる。

LとRの発音が英語喉やキカンジュウエイゴをやると、瞬間的に聞けるようになるのも、それまでINVISIBLEというか、気にしていなかった首のほうのごろごろ音に、注意するようになるからである。

さて、そのNHKの番組の最後のお葉書コーナーで、「国語の授業での朗読がどうやったらうまくなりますか」という質問が出た。

その声優の人はこういった。

1.声を大きくすること

2.感情を込めること

彼は本気でそういっているだろうか?なぜ

喉をうまく使うことですよ

とアドバイスしないのだろうか?????????????

自分が喉をうまく使っていることを意識していないからだろうか?

いやそれは不可能に思える。

やはり、それを言ってしまうと、仕事上での競争が激しくなりすぎるからではないだろうか?だって、誰でも多様な音を出せるようになると困るではないか。

そういうことはたくさんあると思う。例えば私でさえ、HLMという統計学のモデルを使っているのだが、普通の人々がHLMを知らないからこそ、私が仕事ができている、、、と感じることがたまにあるからだ。

いやまじで。

しかし、これからの時代、お互い分かっていること、知っていることを分かちあいながら、協力しあいながら、社会全体をよくしている可能性をさぐるべきではないだろうか?

そのためには、個人個人が自分を知る、自分が得意なものを知るというのが大切なのではないかと思う。

そういう意味でもやたら練習しろとか、こつこつととかいうアドバイスはそろそろやめたほうがいい。こつこつやって、で、できたんかい?と自問自答してみるべきだ。で、自分ができていないなら、そういう考えはやめたほうがよい。自分ができているならば、「無理して努力したか?」あるいは「なんらかの簡単な要領をつかんでいて、楽しいから続けたのか?」を問うべきだろう。

 ***

NHKニュースのアナウンサーの声を聞いていて思うことがある。それは、日本語でアクビエリア発音をしているということだ(口発音+アクビエリア発音)。つまり日本語のプロであるはずのアナウンサーが、日本語特有のしゃべり方ではなくて、ちょっと違った発声法でしゃべっているということだ。

これははげしくアイロニックである。

日本語を正しく発音しない人が、日本語を読むプロであるという点が非常にアイロニックなのだ。

アナウンサーは特に語尾が喉発音になり、びびびというかんじの音になる。

そんなことを無意識のうちに実践できるものだろうか??????

 

 

Related Articles

文法は大切かどうかという議論のクリティーク

このブログでは、できるだけ、思っていることをずばり言ったほうが面白いと思うので、ずばりと書きます。カウンターによると1日300人ぐらい?のクリックです。これが、1000人を超えるようになったら、もっと社交辞令で書きますね。 さて、文法が大切かどうかとう議論が時々あるけど、結局のところ、文法が大切だという人も、そうでないと思っている人(会話が大切と思っている人?)も、両方とも、英語力に限界がある。どっちみち、英語が聞こえないし、英語が通じないことが多いからだ。英語喉をやっていない場合は、そういうものだ。いや、それでも通じるとか思っている人は、たまたま喉に重心をおいて話しているか(それはそれで素晴らしい)、あるいは、日本にいるネイティブが日本人英語になれているかのどちらかだと思う。 <ビジターが一日千人以上になったらもっと社交辞令度を高くしますね。> 全然、自慢ということではない。私のまわりのノンネイティブは皆そうだが、私は、英語を日本語と同じレベルか、あるいはそれ以上で喋ることができる。日本語と同じかそれ以上で書けるし、読むのも、できる。そして、繰り返すが、私の周りのノンネイティブは、それが当たり前で、何度も書くけど、中国人は若手でも、それが当たり前である。それは、英語喉状態(少なくともシラブルを知っている)で英語を中1のときぐらいからノンネイティブは勉強しているということと、あと、英語がとても簡単な言語であるということだ。 さて、この立場から発言する。 日本人が文法だと思っている事項の99%は語彙の事項である。本当の文法は1%ぐらいだ。それほど本当の文法事項は少ない。 99%は語彙といったが、言い直す。そのうちの20%は喉発音の問題だ。例えば、英語喉では、動詞の最後につけるEDをトみたいに無声音で言うか、ドみたいに有声音で言うかを説明しているが、これは、日本では、文法問題と思われているが、実は喉発音の問題だ。正しく、喉発音をしており、3ビートをしていると、自然にトとドの違いがついてしまう。それは、そうしたら楽だというほうに音がなるからだ。 例えばLIKEDのDはトのように発音する。日本人は、文法項目と思い込んでいるので、単語の最後がKのときは、トだみたいかことを言って、生徒をテストするだろう。しかし、喉発音と3ビートを実践していると、自然にトに落ち着く。K(アクビエリア発音)のあとにD(ゲップエリア発音)を言うのは面倒だからである。 AとANの違いは、日本ではまたしても、文法事項である。しかし、実際は、母音の前でAを言うのはしんどい。Aで急ブレーキをかけて、それから次のAを言うのがしんどいからだ。ネイティブは、喉の奥でスムーズに音をつなげるからである。だから自然と楽なANになる。 A APPLEと喉発音と3ビートをちゃんとしながら言うと、しんどい。しかし、AN APPLEだとしんどくない。 もちろん、これらの例を口発音、日本語発音でいうと、どちらが言いやすいということにはならない。だから、ドライな暗記問題としてしか処理できない。  さて、これらは日本人が文法と思っているものが、実は喉発音の問題だということだ。 もっと大切なのは、実は日本人が文法だと思い込んでいるものが、語彙の問題だということだ。これは悲劇的な結果をもたらす。だって、語彙の問題なのに、文法だと思い込むと、覚えることが、数倍に膨らむのである。 たとえばだが、TOということを教えるのに、日本人は、TOの用法としょうして、下手をすると7つも8つもあるという。TOの副詞的用法がどうの、TOの空手馬鹿一代的用法がどうの、と色々である。 しかしTOはTOなのである。言い換えたい。大切なのは、英語を実際に使うなかで、中学校1年2年ぐらいの知識を手がかりに+聞いたことを手がかりに、自分のなかで、TOの使いかたを体験的にマスターすることである。 というと、よく、他人の英語を聞いて、「この人は耳でまなんだ英語だな」とクリティークする人がいるが、そういうことではない。現在の状況では、英語喉なしでは、英語をどう学ぼうと、英語は難しい言語だ。 日本の言語の専門家の悪い癖は、何々は、こういうときはこういう意味、あのときはああいう意味と、永久に分類?し続けてしまうことだと思う。 例えばである。「私」はIだ。しかし、言語学者の真似をするなら、こうなるだろう。英語のIには複数の用法がある、、、と。 日本語で「わたくし」にあたるときのI 日本語で「俺」にあたるときのI 日本語で「拙者」にあたるときのI というふうに。 これを実際に日本の文法ではやっていると思うが、以下のITの例だ。 それをさすIT 天気をさすIT…

口発音、口を閉じたら音が出ない。喉発音だと音自体は出る!

あることに気づいた!!!!!!! 喉発音は、口を閉じていても、音を鳴らすことができる!!!! 口発音は、口を閉じた段階で、音すら鳴らない!!!!!!!! じゃ、口をわざと閉じて音がなったら喉発音になっているというテストじゃろ、これ! さて、説明しよう。 喉発音に苦労している人は、喉発音が当たり前の私とかが珍しく感じるかもしれない。しかし、できるようになると、なぜ喉発音に移行できないのかが非常に不思議に思える。 しかし、私はこの数日で、もしかして、これを口発音の人がやっているのではないかということと思い出したことがある。 それは、口発音=フグ・ポンプ発声?じゃないか?ということだ。 口発音をしながら、わざと口を閉じると、空気がじゃんじゃん、口の内部に入ってきて、空気圧がたかまり、顔がふぐのようになる。 しかし、喉発音で同じことをすると、空気が簡単に鼻のほうに抜ける。 ここで勘違いしてほしくないのは、喉発音だと鼻に空気を抜けさすのかということではない。口を閉じていると、喉発音の場合はすんなり鼻に抜けるとういことだ。 ここで、気がついたことがある。昔、テレビのコマーシャルで、「(口の前に設置した)ろうそくの火を揺らさずに、歌うことのできる、、、金沢あきこ、、、」というのがあった。 しかし、これは私には矛盾に思えた。歌がうまい人=喉発音=息を鼻と口の両方からたくさん吸う、、、。そしたら、逆に、ろうそくの火がゆれないといけない。 このことが気になってはいたが、今日に至って、解答がでたような気がするのだ。 口発音の場合、歌を歌うときに、必ず口から息が出る。口発音の場合、鼻のほうに空気を回せないからではないか。 それは、口発音は、フグポンプ発音だからではないか?発声をするときに、喉を緊張させ、ぽこん、ぽこんと空気を口のほうに送る。そのさい、鼻への息はあまり抜けないように弁が閉じるか何かするのではないか? 一方で、喉発音は、鼻と口の両方に、まんべんなく息が行くわけだけど、喉が全開であり、リラックスした状態で、弁がとじるとか、とじないとかいうことが無関係であるので、口を閉めた状態だと、するっと息が鼻のほうに抜けるだろう。 つまり、ろうそくの火を揺らさずに歌えるのは、息をあえて、鼻のほうに向けて流しても、声がでる===それは喉発音で歌っているからじゃないか。 口発音だと口を閉じるとそもそも、音自体が出ないぞ。喉発音だと口を閉じてしゃべっても一応、音は出る。強盗に口にガムテープを張られても、喉発声だと、叫ぶことができるから、助けを求めることができるが、口発音だと、声自体が出ない!!!! つまり口発音=口のほうに空気をポンプで流さないと発声できない発声法??? さて、さっき、実は、TADAさんの音声UPにコメントをしているときに、気がついた。 www.estat.us/blog/tada_04_26_2011.mp3.mp3 TADAさんは、ご自分でも気づいているように、まだ喉発音ができておらず、声を上から下に押し殺すように出してらっしゃる(これは、ローティーさんが喉発音に挑戦したときと全く同じ発声法である)。 私がそれを真似てみた。なんとなく、口を閉じたままで、それをやると、顔がフグ顔になったのだ!しかし、正しい、喉発音でやると、空気がすっと鼻に抜けていき、フグ顔にならなかった。 フグ顔になるか、ならないか、、、のテストではないか????…

問題提起 日米間の懸案の背後にあるもの ヘーグ条約の件

人気ブログ投票にぽちっとお願いします。 この日曜日、10月30日の英語喉ライブですが、日本時間の夜8時から9時まで、英語喉初心者クリニックを行います(米国東部時間、朝7時から8時まで)。参加希望のかたは、まず、このサイトに登録の上、サイト内のフォーラムよりお知らせください(登録していただくと、連絡しやすいため)。3人ぐらい募集したいと考えています。SKYPEと英語喉の本を使うので準備しておいてください。 さて、 特に日米間で問題となっていることのひとつに、日本人元妻による子供連れ去りの問題がある。アメリカ人と結婚していた日本人女性が、子供を日本に連れ帰ってしまうということが問題となっている。日本はヘーグ条約に加盟していなくて、アメリカに残る元夫が非常に困っているという件だ。 アメリカでは共同親権といって、離婚後も元夫と元妻が子供に会う権利を保有できるのだけど(事情によっては奪われることがある)、日本では、片方がとることになっている、、、ということだ。 この問題が今後も解決しないだろうと思われる理由が二つある。 一つ目は、日本人の英語力の問題である。日本に住んでいて、「アメリカで外国人として言葉に苦労している日本人元妻は、やむにやまれず、子供を日本に連れ帰った」と聞くと、日本人は、当然、同情する。その気持ちが分かるようである。これは、ひとつには、日本人は外国に何十年住んでも、その土地の言語が音として聞こえないということがある。だから、日本人の感情として、「外国人としてアメリカに暮らす」人達に圧倒的なる同情がある。 だから、結果として、英語が普通にできるガイジンである元夫のほうには、同情がいきにくい。 昨日、アフリカの同僚、ヨーロッパの同僚、アメリカ人の同僚と、ランチをした。私も含め、アメリカ人を除いては、みな、ノンネイティブなのだ。しかし、だからと言って、ノンネイティブの英語が、アメリカ人の英語よりも劣っているとは全く感じられない。 英語は聞こえてしまえば、非常に簡単なので、ノンネイティブでも比較的簡単にマスターできてしまう。 中国人などは、中国生まれでも確実にアメリカのビジネスや、政府機関に就職できている。郵便局などに行くと、どう考えても中国ナマリの中国人が普通に仕事をしている。 日本人だけが、アメリカにおいて、日本の企業、日本の政府機関、あるいは、アメリカ会社の日本関係の支部にだけ働いている(のが普通)。 他のノンネイティブは普通にアメリカの会社でアメリカ人と同じレベルで英語をしゃべり、普通に暮らしている。 もちろん、貧困と隣り合わせで、英語を勉強する時間のない人たち、不法に入国してきたヒスパニックの人たちは、そうはいかないかもしれない(とはいえ、私のアパートを掃除している人達でさえ、普通に英語を喋っている)。 だから、ノンネイティブであって、離婚とか、子供の関係の調停となったとき、別に、ガイジンだから不利だという感覚はない。弁護士自体はアメリカ人であることが普通だからというのもあるので、ノンネイティブだから、不利になるということがない。そもそも、裁判所自体が、相手がアメリカ人だ、ガイジンだという区別をしていない。これは、警察が、スピード違反をした自動車を止めたときに、その運転手がアメリカ国籍を持っているか、外人かに関知していないのと同じであろう。 アメリカにも日本人専用の掲示板があり、ワシントンDCにもあるけど、人が、「日本語の分かる歯医者さん」とか、「日本語の分かるお医者さん」を猛烈に探している。また、日本人から日本車を買う、、、というのも普通に思える。 しかし、日本人以外のノンネイティブのワシントン地域住民が、「ギリシャ語の分かる歯医者さん」などを探しているとは思えない(もう一度、確認しておくが、不法入国のひすぱにっくの人達には経済的な事情などもあるので、ここでは例外とする)。 日本に英語が伝わって300年たつというけど、この300年間、英語が難しいとなっている。1980年ぐらいから留学なども盛んになったが、英語が不自由なまま、日本に帰国し、その人達の言論も、英語は難しい、、、ということで一致団結している。 英語が簡単だと思っているのは、私、MASAさん、KAZY、NITROさんとか、日本ではまだまだ数えるほどではないだろうか? 私自身には、アメリカの会社で働いていて、ノンネイティブが全然英語で苦労していないという観察がある。 剣道部員で1ヶ月前にアメリカにきた中国人の大学1年生でさえ、授業の英語は分かると言っている。 それほど、英語は簡単なのだ。 英語が難しいのは、それは、日本人が日本語を通じて英語を勉強しているからだ。また英文法というのも、非常に、重箱の隅をつつくようなことが占めているために、勉強すれば、するほど難しくなる。本当はシンプルに表現できるのに、英文法というのは、非常に総合的に英語で発話可能なものすべてを扱っているので、非常に難しくなる。 英語ができれば、現地のことは現地の法律で、解決するということが可能になるのではないだろうか? 二つ目の問題は、いくらアメリカ人の元夫が、子供に会いたいと訴えたとしても、そのジェスチャー、喉発音などのせいで、「ガイジン」として写ってしまい、わがまま、おうへい、などというイメージを避けられない。だから、日本人の心に訴えることができない。同じ人間として写りにくいからだ。…