昨日のYASさんのコメントに返事してたら、そのコメント自体が長くなったので、そのコメントをそのまま、ここにコピーしました。論理進行がちょっとタイトではないのですが、お許しを。

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実は昨日、お医者さんに行きまして(病気ではありませんが)、ちょっといやな思いがしました。壁にかかっている卒業証書を見ると私と同じときに、大学を卒業している先生でした。それには、リベラルアートが専門と書いてありました。これは、まあ日本語で無理に訳すと、、、うーん訳せないです、、、。でその横には、医学大学院の卒業証書が、、、

この人は、リベラルアートをやったあとに医者になっているわけです。リベラルアートというのは訳しにくいんだけど、まあ読んだり書いたり考えたりというのをしっかりやることですが、そのあとに、理系である医学に進んでいるわけです。リベラルアートだと理系じゃないというわけではないんですが。

一方で私は、高校のときに英語ができた、いや数学ができなかった、、、ということで文学部に進んだと。英文科だから、大学院は文系?じゃないといけないと思い込み、社会学を選んだ、、、と。

ところが同年代のアメリカ人は、大学で何を勉強していようと、自由に進路を選び、医者になっている、、、と。

私はPHDに5年半かかりましたが、今思えば、5年半の人生をついやすならば、医者とかそういう仕事を選べばよかったな、、、と。

何が好きか?というイデオロギーにとらわれすぎたのだけど、何が好きかという質問自体も、「自分は文系だ」というカテゴリーにとらわれすぎていたのです。アメリカにきたら文系とか理系とかいう枠は無かった。

結局、文系、理系が日本の大学に枠としてあるのは(学生が自由に変えられないということ)、大学の学部経営がそっちのほうが楽だからじゃないかな。

高校教師時代、主に文系志望の生徒を担当していたんですが、なんで、君達、大学では文系を目指しているの?と問うと、当時、2クラスの生徒、約100人の99,999%が

数学ができなかったから、、、と

言った。

というか、文系コースは学内の試験で振り分けられたのだけど、算数の点が悪いと、文系になるというカラクリもあったんだが。

わしと同じじゃねーかよーと思った(個人・自分のコントロール内にありそうで、微妙にない点など)。

昨日のお医者さんの話だけど、同じ年代なのに、片方は自由に選択してお医者さんになっている。私のほうは、文系だと思い込み、社会学をやり一応、タイトルはお医者さんと同じDOCTORだけど、社会の役に立つ度合いが非常に低いように思われることがある。お医者さんに比べると。

これがあれーと思ったわけです。

話は変わるけど、同じ年代のアメリカ人って、結構、歯に治療の跡がないんです。虫歯経験がゼロって言う人がものすごいたくさんいる。これマジな話ですよ。

で、日本で治療を受けた私は結構ある。

え、なんなんこの違い?と疑問に思う。

そういう違和感を昨日、感じたわけです。

水道水にフッ素が入っているとかどうかとか、そういうことでしょうか????

つまり、個人・自分にコントロールがありそうで、微妙にない現象ですね。実は、制度とか国家レベルの特徴の影響が強いと。

だから個人が選択しているように見えながら実は微妙だということではないか、、、。

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One thought on “仕事の選択に関する私的考察

  1. Oh!Mah!Ah! says:

    カズさん、今日は。Oh!Mah!Ah!です。MCATというのを学部生の間で受けインタビューを受けてMedical Schoolに研究室でアルバイトしていた女子学生が進学したのを思い出しました。ただ進学後、医師としての適性を欠くと周囲の学生から判断されると退学させられるとも聞きました。合理的なシステムですが、「医師不足」の日本では医師養成が遅れるという理由ですぐには実現しないでしょうね。

    私どもにとっては、かずさんが医師にならなかったのは僥倖だったかもしれません。

    勧誘のため、授業の前に息を吸いながら、「おはようございます」と言ってみようかと思います。

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