文法が大切だという言説について

直接指導喉セミナーをご希望のかたは、

http://nippondream.com/eigonodo/semina

さて、大津由紀夫先生のサイトに、慶應義塾大学英語教育/言語教育シンポジウム

http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/

という企画の告知があって、実際にプレゼンテーションされるかたが紹介されている、だけでなく、PDF形式で簡単に内容も読める。

江利川先生は、歴史的に英文法がどのように教えられてきたかということのレビューをされている。

http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/files/i/2011/2011-09-10%20Erikawa.pdf

ただ4ページで、日本がコミュニケーション重視になったから、文法を軽んじているという主張は、いきすぎではないかと思う。実際に、データに基づいていないように思われる。それを主張するのであれば、インタビューであるとか実際の授業観察をし、データをコーディングしてからにするべきであろう。ただ、以下の引用がある。

斉田智里(2010)によれば、高校入学時での英語学力は 1995 年から 14 年連続で低下し続け、下落幅は偏差値換算で 7.4 にも達する。

私は教育研究の専門家であり、仕事で、教育の研究を評価している。またこのかたが使われているラッシュモデルというのもやっている(GOOGLEでRasch modelと打てば私の説明がWIKIに続いてランク2位として発見できる、、、これ。)。

このようなCLAIMができるデータが日本に存在するとは思えない。昔と今の全国のランダムサンプルなんてありえないと思うが。また、項目反応理論的にも、EQUATINGなど無理じゃない?そんなデータあるの?

実際にこの論文を読むのにはどうしたらよいのだろうか?

<後日談 英語喉実践者のかたのご協力でこの博士論文がゲットできました。読んでみると、日本全体のデータではなく、茨城県のデータでした。また、リサーチの目的も、心理統計モデルを使って、こんなことできるかな、過去のデータを使えるかな?という実験的、メソッド的な試みに私には読めました。さらに、方法論の描写を読んだのですが、過去のデータの個人レベル+テストアイテムレベルでのデータ(つまり心理統計学をするのに必要なデータ)を使ったのかどうか分かりませんでした。

この論文を使って、日本人全体の英語力が下がっていると主張している先生への感謝の言葉などがありましたので、お知り合いのようです。>

斎藤兆史氏は、以下のPDFファイルで

http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/files/i/2011/2011-09-10%20Saito.pdf

ジャズの即興演奏は、ジャズの理論を頭で覚えるところからはじまるのであり、理論も知らずに「シャワーのように」ジャズを聴き、ジャズっぽく楽器をかき鳴らしたところで、即
興演奏などできるようになるものではない

とおっしゃっている。文法が大切だということの比喩だ。私はギタリストであり、即興演奏が中心なのだけど、理論というのは、後で納得するものだと思う。もちろん、スケールというのは覚えているが、それにしてもドレミと、あとブルーススケールぐらいだ。

私はジャズはしないけど、もしジャズを引きたければ、シャワーのようにジャズを聴けば、もちろん、ジャズが弾けるようになるだろう。

ジャズギタリストのMASAさんならどういうだろうか?MASAは、なんとBLOGを始められている。これまでMIXI日記だと、MIXI会員じゃないと読みにくかったのだ。こちらをクリック

<さて、マイケルシェンカーがとても参考になり、また私も「そのとおり」と膝をうってしまったギターの弾き方、覚え方の説明をしている。とにかく、ギターをさわって、いいなと思うコードとかを発見していくと彼は言っている。まさにそれだ!

http://www.youtube.com/watch?v=ntQe0C2Wqss&feature=related >

これ(以下)は私がアドリブでギター演奏を録音したものです。理論から始めてはいません。繰り返しになりますが、ドレミとかブルーススケールぐらいは知っていえるが、さわぐことのほどではない(そういう意味でも英語を喋るときの文法に似ている)。

http://www.youtube.com/watch?v=3pEA2qEGuDE

鳥飼玖美子先生のPDFはこれ。

http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/files/i/2011/2011-09-1-%20Torikai.pdf

3)教育程度
教育程度が低ければ文法の理解は困難
教育程度が高ければ文法を理解し誤用の修正を望む
4)「書く」ことの指導には文法が必要
5)会話でもフォーマル度が上がるにつれ文法的正確さが求められる5
6)仕事に使うなら文法的正確さは必要

私の感じでは、文法というのは非常に簡単なものばかりだ。動詞にSをつけるとかですよね。どういう文法をとって、これが大切だとか思われているのだろうかというのが知りたい。ちなみに仕事に使うレベルの英語は、すでに文法など考えていないレベルで、いかにフローを大切にするかがPRIORITYとなる。

英語に、それほど、難しい文法は存在しないように思える。コミュニケーションに力をいれたらおろそかになる文法というのはどういうものなのだろうか?

大津先生はこちら。

http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/files/i/2011/11-09-10-otsu.pdf

突然ですが、日本語でちょっとことばが出てこなかったりすると、「えー」って言うでしょ。英語では Uh(あまり口を大きく開かないで「アー」という)と言います。この Uh も日本語の「ね」と同じように、文の途中で入れることができるところとできないところがあります。(8)だと、
(9) My name ∧ is Jun.
(10) My name is ∧ Jun.
と言うことはありますが、
(11) ?My ∧ name is Jun.
とは言いません。

う~ん、My ∧ name is Jun
は言えると思いました。言えないとしたら、こんな簡単なことを忘れて、あ~~とか言うアホはおらんからであって、文法的に、あそこにア~と言ったらいけないということではないのではないでしょう。

年取ってくると、何か探し物をしていて、WHERE IS MY ア~と考えこんでしまうこともあるでしょう。またMYのあとに難しい概念を説明しようとして、単語を探そうとしてア~~とかいいそうです。私はよくNIECEとNEPHEWがどっちだったか忘れるので、MYア~NIECEとか言っています。

聞くまでもないと思いましたが、ジーナにも確認しました。ア~はどこに入れてもいいそうです。

で、じゃ、どうなるんでしょうね?結論的には。先生は、おそらく生成文法の専門なので、表層構造とか深層構造の存在を仮定、ツリー的な構造の存在を仮定しておられるので、上のことをおっしゃったのだとおもいますが、MYのあとにア~が入ることができるならば、その前提が転覆してしまうと思うのですが、、、。少なくとも、そういう構造の存在のサポートはしないですね。

英語って文法が極端なほど簡単なのですよ。なのに、上のように、構造モデルをIMPOSEしようとすると、喋れるものも喋れなくなるって感じではないですかね?

複雑に見えるのは、たぶん、規則動詞と不規則動詞があるからじゃないかな?

それから大津先生の「言葉への気づき」の例ですが、

ひらがなだけでかくとよむのがむずかしいですね

という例をだして、漢字がありがたいと生徒に気づかせるとか

IFYOUWRITELIKETHIS

と書くと読めにくい、、、ということに気づかせて、

どうです、日本語と比べながら、英語を学んでいくっておもしろくありませ
んか? そうすることによって、英語も学びやすくなるし、これまで気がつか
なかった日本語の特徴やありがたみもわかるようになるのです。

と結論づけてらっしゃいますが、この例は、あまり面白いとは思いませんでした。そもそも国語の授業とか英語の授業自体がすでに言葉への気づきじゃないのかな~~。英語では複数形があるとか、過去形でも規則と不規則があるとか。国語の授業のか行変格活用とか。

あと、この例で、英語が学びやすくはならないと感じました。THISISAPENと書くと読むのが難しいと知ったら、英語が学びやすくなるとは思えません。ひらがなだけだとわかりにくいから、日本語のありがたみが分かるというのはちょっと私はそう感じません。

ただし、今回の例に限ってということです。

このあたりは実験をやったらいいのではないかと思います。ランダムに二つのグループをつくる。片方は、普通の従来の授業。もうかたほうは、工夫したものを入れる。

私は仕事でやっていますよ。

てか、日本語は2ビート、英語は3ビート、日本語は口発音、英語は喉発音ではだめなのですかね?

だって、上のア~の例だって見事に説明してしまいますからね。

英語は喉をリラックスしていて、深いところで発音しているので、文の途中でとまりにくいので、ア~~とか言ってしまうわけです。だからMYでその次に言うことを躊躇するときに、急に止まれませんからア~と言ってしまうわけです。

生成文法的な説明がうまくはまらなかったところを英語喉パラダイムでは説明できますね。

APPLEとかの前で冠詞がANとなるのも、Nを入れて始めて、A(母音)とAPPELのAがシラブルの数を少なくぜずにつなげることができます。入れないと、A~APPLEですが、英語では音を伸ばしても意味が変わりませんから、下手をすると、A~APPLEとAPPLEの違いが出せません(ガイジンさんが、日本語を勉強するときに、オバサンとおば~さんと違いがよく分からないといいますが、まさしく同じメカニズムです)。

だからNをはさんで、AN-NAP-PLと発音する。すると、シラブル数が正しくなります。

なぜNかですが、一番、楽なのでしょう。

MY APPLEだったら、MY-YAP-PLだし、HIS APPLEだったらHIZ-ZAP-PLE。同じことですから、ANのときだけ騒ぐのはよくない。だからテストでANの問題を出すのは、あまりに重箱の隅をつつくようなものですね。

文法じゃなくて、英語喉ですね。

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5 thoughts on “文法が大切だという言説について”

  1. 斎藤兆史氏はJazzは理論を頭で覚えることから始まり、そうでないとインプロヴィゼイションなど出来ないと言われてますが、それは間違いです。
    理論から入って即興を演った人などいません。まず「スィング」することから入るのです。Jazz特有の、リズムというよりも「ノリ」ですね。
    そして聴きまくって、それを真似て弾きまくってこそ理論がわかってくるのです。
    だからJazzの理論書はいわば後出しじゃんけんです。

    1. そしてそのスィング感の体得こそ、英語に置き換えると、喉発音でありシラブルのスリービートの体得なのだと確信します。
      あとは使って学ぶのが理想なのも全く同じです。

  2. マイケル・シェンカーの若き日のインタビュー、貴重ですね。
    彼が英語で話しているところを見たのは、はじめてのような気がします。
    この人、ドイツ人ですよね?
    ブリッツなしゃべり方するんですね。
    ブログの記事内容となんら関係のないコメントですいません(^_^;)

    1. Dがドイツ人的なのかなという印象です。アメリカ人がやるDは深い感じですが、彼のは浅いような感じがします。

      YUMIさん、マイケルシェンカーのコンサートに私は行ったことがあるのですよ。広島公園でした。

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