論理的なことが大切かどうか?

英語を勉強する人は、英語で論理的に喋れるのが大切だという感覚があると思う。しかし、私の経験では、意外とそうでもないと感じる。

日常会話では感覚的に喋るのがネイティブ流だ。

仕事では、もう何年もやってきたことをするので、論理的であろうとする意識がない。それより、正しいかどうか、ということが気になるところだ。同僚と仕事のディスカッションをするにしても、それはディベートで勝つためではなくて、一緒に、やっていることが正しいのかどうかを確かめるということが主だ。

私のやっているのは評価研究で、例えば、何々州でこんな教育の試みをしていて、それが効果を出しているかどうか調べてほしいという要請に応じて、評価研究計画みたいなのをだす。効果を調べるためには、その試みをしている学校もいるが、していない学校と比べないといけない。これをTREATMENT GROUPとCOMPARISON GROUPと呼んでいるけど、それが科学的に、厳密に、どうやったら、正しく作れるか、、、これが大切になる。

論理的であることは前提であり、論理的なことは、小学校、中学校、高校など教育の過程で育ち、鍛えられているのが前提。

だから、大人になって、論理的であるトレーニングがそれほどいるだろうかというのが私の考えだ。実際、教育を受けていれば、ある程度、論理力はあると思うので、それを英語学習とともに、鍛える必要があるとあまり思わないのです。

逆に、論理が大切だと感じるのは、聞き取りや発音が弱く、相手に英語が伝わりにくい、あるいは、理解しにくいときに、感じることじゃないのかなと思う。聞き取りが100%でなければ、どうしても相手と平等のレベルに立てない。だから、やや戦闘的な気持ちになる。ディベートが大切じゃないかという気持ちになる。

しかし、聞き取りができるとあんまりそう思わなくなるように思う。

あるとき、会社の同僚に、今年の目標は、ASSERTIVEになることだと言ったら、「え?なんで?」とか言われた。ASSERTIVEになる必要は全然ないと思う。大切なのは、やっていること(コンサルティング)が正しいかどうか。同僚やクライアントが気にするのはそれ。

(科学的にみて)正しいかどうかは、専門分野のトレーニングと経験が決めてで、英語学習自体とは関連が薄いように思う。私も場合は、評価リサーチや統計学が専門だけど、誰にだって、強い分野があり、その分野で正しいことが分かればよいのじゃないかという気分。

これが私の感想です。これはもう7年ぐらい同じことを書いてきています。

もちろん、論理的に話をするのは楽しいことだし、日本でに来ている外国人は文化の違いなどについて論理的に話をするのが好きだと思う。

 

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One thought on “論理的なことが大切かどうか?”

  1. もう一つ俗説と思うのは、西洋人にはYES、NOをはっきり言えばいいという説です。もう20年くらい前になるかも知れませんが、アメリカでThe Art of Saying Noとか言う本がベストセラーリストに載った事がありました。矢張り時と場合によって西洋でもNoをただはっきり言えばいいというものではないのだ、と思いましたが、今実生活でもそう感じる事が多いです。これは大前研一さんなんかも良く仰ってますが・・・。

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