高校のときに、授業に来ない先生がいた。理由は分からない。

だが、クラスに50人近く生徒がいて、誰も*ちくら*なかった。親にも、他の先生にも報告せず、私達の世界史の授業はほとんどが、自習となった。自習が一番楽しい授業だった。なぜ、だれもちくらなかったんだろうか。

色々理由があるけど、結局、先生がいてもいなくても、授業ってそんなに変わらないということがあったと思う。よく分からんことには変わりがない。それから、試験にもあんまり関係しなかったと思う。試験ってやっぱりあんまり早くから勉強しても忘れてしまう。

で、その世界史だけど、試験は勉強せずに受けても60点はとれた。選択問題だったからだ。

一体なんだったんだろう。

数学の先生は担任の先生だったのだが、なぜか、授業崩壊していたので、誰も聞いていなかったのだが、事実上、これも先生がいてもいなくても関係ない感じだった。

一度、むちゃくちゃまじめに先生の講義を聴いてみたが、さっぱりわからんかった。で質問もがんがんしたが、さっぱりわからなかったのであきらめた。まあ、そのときまでには、「数学は積み重ねが大切だ」という教える側に都合のよい思想に洗脳されていたので、分からないのは自分のせいだと思い込んでいたが、、、。

でも授業崩壊していなくても、結局のところ、そんなに学びには関係しなかった。物理の授業は、聞いても分からないということがあったが、私は文系だったので、先生との暗黙の了解で、私は内職をして英単語を覚えていた。さすがにテストの点は悪かったので、教科書を丸写しすることで単位をもらった。教科書の丸写しは剣道部の後輩に7000円でやってもらった。

国語の授業でも内職で英単語を覚えたのだが、これは捕まってしまった。先生が内職する生徒は大学に通らんと言ったのだが、その学校で私だけが関関同立のうちの3校に受かり、私だけなのに、3人、関関同立も受かったということになって、そのあとで母校が同志社大学の推薦指定校になった。

文系の科目は先生の話を聞かなくても、教科書に書いてあるということがある。だからなぜ眠くなる先生の話を聞かないといけないのかが分からなかったが、そのときは、「人の話は聞く」という、教える側に非常に都合のよい思想に洗脳されていたので、あまり疑問も持たなかった。

理系の科目は先生の話を聞いても聞かなくても分からないという破壊的な状況にあった。だが、家でがんばるとか、勉強はこつこつと自分がやるものだ、、、という、これまた教師の側に都合のよい危険思想にそまっていたために、自分が頭が悪いのだろうと納得していた。

ちょっと時間が切れたのでまた書くが、このあとは、大学に言ってもわけがわからんことばかりだったということ、それから高校教師時代に何かを悟ったという展開になる。

 

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