今日はコンピュータプログラミングをやっていたのだが、論理的な思考が要求される問題で、脳がひねられそうになった。だが、プログラミングの文化というのは、まあ、とにかく適当に論理を考えたら、やってみて、結果がどうなるか、、、というのを見て、うまくできていたら、よくて、前に進む、、、という感じだ。
 

数学をやっている人はきっと論理が切れるのだろう。どうやってプログラムをしたらよいかが、すぐ分かるのかもしれない。
 

とはいえ、結局のところ、論理力があろうがなかろうが、まあやってみて、確認しながら作業を進めるわけだから、一発ですべてを見通す能力がなくても良いのではないかと思う。
 

どんな風にプログラムするのか、計画のメモを書いてくれといわれたのだが、いやだなあ、、、と思いながら書いた。プログラミングというのは、わりと、いきあたりばったりでやるものだ。というのは、全体があまりに複雑すぎて、最初からはよくわからんのだ。だから、ちょこちょこ、ちょこちょこ、小さな問題を解決しながら、いつのまにか解決にたどり着くというかんじだ。
 

今日取り組んだ課題は、ものすごい難しいものだったんだけど、まあうまくいきそうだ。
 

で、メモを書いて、それを同僚に送ったんだけど、それを書いたよ、、、とメッセンジャーに書いたとき、思わずI sent you a memo と書いて、はっとした。これはAじゃだめだTHEだと。だからそれを消してI sent you the memo と書き直した。
 

ATHEの使い方、早くまとめたいと思う。
 

あ、上の話の結論だけど、論理力がどうのこうのというけど、実践においては、適当でよいのではないか、、、ということだ。学校教育のなかで、色々な能力が求められるけど、実際には、適当でよいのではないだろうか。
 

弁護士さんが、司法試験にも大切なことがある、、、とおっしゃっていたんだけど、法律の細かい部分などGOOGLEでいけるんじゃないのかなあ。覚えこむ必要があるのだろうか。適当に分かっておけばよいのじゃなかろうか。
 

我々が必要なのは厳しい試験ではなくて、経験、機会じゃないかと思う。実際にやってみる機会。
 

特許申請全部自分でやったんだけど、アメリカの特許局に電話したとき、こういっていた。形式はそんなにこだわらんでも、必要な要素さえ書いてあれば、大丈夫だ、、と。それでふっきれた気持ちになった。
 

あと、特許申請には、CLIAMというのがあるんだけど、書き方がむちゃくちゃ難しいんだけど、明らかに下手糞の場合、特許審査官さんがあとで書くのを助けてくれるんだって。それ聞いて、ほっとした。なーんだって。
 

知識などは適当でよいのじゃなかろうか。大切なのは経験をつむことじゃなかろうか。
 

GOOGLEすりゃいいじゃん、、と思うのだ。

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