茂木健一郎氏の英語

さて、今朝、ジーナに、ハイチでコレラが発生したんだってと言ったら、どうも、ハイチはアルプスの少女ハイジに聞こえる。コレラのほうは、トヨタ車カローラに聞こえると指摘を受けた。

コレラは、シャツの襟に当たりするカラー+ラだそうだ。英語喉発音記号で書くとK-A-l/l-E_r_/r_-u_

ハイチはH-eI-T/d-I だそうです。

発音ができないということではなく、違う音で読んでいたということですね。自分としては、綴りをそれなりに読んだだけなのだけど、、、。難しげな発音のなかに、知っている単語が音として含まれているのを発見するのは楽しいです(襟に値するタンゴがコレラの中にあるとか)。

ちなみに、昨日、中華料理屋に行ったら、アメリカ人のウェイターが、ビールの名前で、カリンがあるという?ジーナが、カリンにしたら?というのだが、なんのことやらわからない。

実は日本のビールのキリンがカリンと発音されている。正確にはK-E_r_/r_-i_-Nだろうか。

さて、本日のテーマの茂木氏だが、以下の場所で英語の達人として紹介されていた。

http://ee.asahipress.com/interview/index.html

そこで、どんな英語を喋られるのかなあと思ってYOUTUBEを見たら、以下があった。

http://www.youtube.com/watch?v=7HU05V9HDHo&feature=channel

ありゃ、全然、努力していない日本語英語だなあと思った。カタカナをそのまま読んでいるようだなあと思ったのだが、非常に不思議なことがある。英語の達人とされている茂木氏なのに、なぜ全く努力をしていない、完全なるひらなが英語で喋ってらっしゃるのだろうか?

これは、外国人の英語に慣れていないネイティブは、茂木氏の英語を理解するのに苦労するだろう。 

これだけ長く喋れば、例えば、1秒ぐらいは、ちょっとネイティブ英語に近いところがあってもよいだろう。あるいは、長い間、英語を勉強されていれば、1秒ぐらいは、そういう部分があってもよいのではないかと私は思った。

しかし、もしかして、ご本人としては、それなりに努力をされているところがあるのかもしれないが、それらは、全く弁別的要素ではないのである。

例えばREALLYと言うとき、おそらく口の中を詳しくみていけば、舌の形が違っているのかもしれないが、喉が緊張していて、口発音になっている場合、舌を曲げようが、まっすぐしようが、音に弁別的要素として現れないのだ。

もしかしたら、アクセントの位置だけ見ると100%といってぐらい正しいのかもしれない。しかし、アクセントの位置は、ネイティブが英語を理解する上で、全然、弁別的要素でないのである。

だから、聞いていて、全然、全く、ネイティブの英語を真似る努力をしていない英語だという感想を私は得た。

これは決して、馬鹿にしているわけではない。日本人には2種類の英語がある。

一つは英語喉英語だ。これはネイティブに近い。世界の人達が理解できる。

二つめは日本語英語で、これは少なくとも、日本人と日本に住んでいる外国人には通じるだろう。

ある意味で、両方とも、意味体系であり、片方が、より片方よりも優れているとは言えないかもしれない。

<ただし三つめの英語がある。それは従来のアプローチを本気にして、口をくちゃくちゃやりすぎて、日本人にもネイティブにも通じくなってしまった英語だろう。ただし、それも喋るのが難しすぎて使っている人は皆無だと思うが。>

ただ、私は思ったのだが、茂木氏は、おそらく英語の音が聞き取れていないだろうということだ。語彙の力とか文法の力を駆使して英語を理解しようとしてらっしゃるのではないかと思う。

これは主観の世界の話なので本当だとは思うのだが、どうなのだろう。ボンボンボンという感じの英語をダダダダと喋っている人には、ボンボンボンという感じの英語が聞き取れないと思うのだ。

私は5年ほど前に英語喉に出会い、これで日本は変わると思った。3年前に出版されて、変わると思った。しかし忘れていたことがある。

それは80年代のころから勉強をしていて、英語があまりうまくならないなりにも、近似値的アプローチで、それなりに、英語が達人だと思われるレベルに達した人が日本には、何千人もいる。

その何千人の人達の英語勉強に関する考えが、今、日本中を席巻しているし、今後50年ぐらいは根強く残るだろう。

私自身、英語喉以前、アメリカ英語ならば、100%理解できるほどに達し、そして英語喉でもって、どんな英語でも聞けるようになり、また発音のほうもできるようになったわけだが、私と、そして、英語喉の実践者の数をもってしたとき、上に述べた、それなりに英語ができるようになった人達の人口と比べたときに、映画300のスパルタ軍(=喉派)に近いものがあるのかもしれないと思った。

しかし、私は思う。英語の達人と思われている人達は、自分たちでは達人と思っていないのではないだろうか?ただ、自分たちが今までやってきた勉強方法を紹介したいと思ってらっしゃるだけではないだろうか。

例えば、上のURLに達人として紹介されているぐーグルのかたなどは、きっとご自分では英語ができると思っていないのではないか?というようなことを強く思った。インタビューを読んでいて。

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6 thoughts on “茂木健一郎氏の英語”

  1. 茂木氏は英語ブログを毎日つけていたと思うので、作文能力はかなりあると思うのです(北米のどこかのPhDだった気もするし)。ちょっと聴いてみましたが、頭の回転が早い方に共通するように早口ですね(勝間氏もそう)。

    ゆっくり話すって大事ですね(自戒の意もこめて)。英語はのろい。

    茂木氏の声は悪くないと思います。上鳴りする声の部分が既にあるので、吸気発声が直ぐにできる可能性があると思います。英語喉の練習で効果が直ぐ上がるタイプだと思うのですが、どうでしょう?

  2. あしゅらさん

    茂木さんの喋るスピードが速いのは2ビートだからじゃないかな?あと、これは茂木さんがそうだというわけではないのですが、暗記したものを言っている人の場合、早くなるかもしれません。

    なんか、日本で練習するときって、まずゆっくり発音し、その後で、ナチュラルスピードでってパターンが多いですよね。だから英語は速いほうがよいんだみたいな感覚があるのでしょう。あと、早く言うとごまかせるということもありかも。

    茂木さんの英語BLOGを読んだら、なんか目がくらっとしてしまいました。日本語を英語に訳している感じで。ネイティブの同僚のメールや文を読んだらすいすい読めるのに。で、おそるオそる自分のメールを読んでみたら、またすいすい読めた。

    日本人の英語って、こういうのが多いような(茂木さんが多用しているかは、チェックしていないのですが)、、、

    Singing A SONG, I WALKED ALONG THE RIVER、、、

    みたいな、、、独立分詞構文とか呼ぶのかな???なんか、読みにくいんです。英語の感覚だと。

    日本人がこの文を書くときって、主語の一致を激しく意識しますよね。でも、ネイティブの文って、それがフォーカスじゃないような。

    何か違うプリンしパルが働いているように思います。

  3. SATOさん

    ずばりその通りですね。わらっちゃいますね。たぶん、この人、あの調子で英語喋ればうまくいくでしょう。

    英語喉やった後で、タモリさんの外国語の真似を見たら、全然、外国語に似ていない、、、ということに気づいて唖然というのは、前も書きました。

    日本人が似ていると思っているだけですね。

    あと、落語家みたいな人が動物の鳴きまねとかをしていてテレビで見たのだけど、英語喉のあとで見たら、自分のほうがうまそうだと思ってしまった。でも、その芸人さんは、いかに毎日の積み重ねが大切かとか、精神論を述べてらっしゃった、、、。

    喉でやると練習なしに、動物の鳴きまねができるような気がしてならない。

    なんか、生意気だけど、テレビで日本人の歌手が歌っているのをみて、ありゃ、わしのほうがたぶんうまいかも、、、と思うことがしばしばです。演歌勢は別として。でも、喉でやると、喉が全然痛くならないので、きっと、ちょっと下手っぽい歌手の人達もきっと、英語喉は有益だと思う。

    生意気と思われるだろうなあ、、。 

    でも生意気だけど、どうせ、読まれないですしね。50年後ぐらいに発掘されるかもしれないけど。

  4. 上川先生、

    あー、確かにクオリアブログの英語は読みにくい!思わず10月25日分を「あしゅら英語」訳してみました。こんなことが言いたいのかなあ。。。

    Monday, October 25, 2010

    Living with a “masked out” language (which is my mother tongue, by the way)

    I’ve been living in a shadow of Japan’s language policy. I love and appreciate the Japanese language – my mother tongue. I’m proud of myself as a good writer and speaker of Japanese. This being said, I’ve been decidedly improving my language skills in English. These days, the English language is in use by my unconscious self to float his inner voices. Yet, this inner-conversation of mine, in English, is far from natural. And never will be. I feel envious to those native English speakers for they can do it just naturally.

    When I found myself feel envious, I thought I could make an academic inquiry on the issue. The Japanese language is being “masked out” (or “lost in translation”) by the lingua franca status quo – the world is revolving and evolving around English. Where my mother tongue has gone? Where it will be going to? Can the evolution and revolution of Japanese itself, as a language, be seen from the “outside” world? My inquiry about “the mask” may be a significant scientific contribution.

    My mother may be just an unnoticeable being under an American cultural domination. She can speak English only a little. Nevertheless, she is a great woman with all her valuable capacity, cleverness, kindness and love.

    Many languages are on the verge of rapid extinctions. How can those languages and attached heritages be saved when this arrogant “universal language” sales executive of Hollywood is at the door? After all, our case with the Japanese language is not that bad.

    I would like to propose to strategize a set of language policies along with evolution theory, game theory and ethical worldview. I have already initiated a model building and probably I would invite Yoshihide Tamori to join this effort.

  5. うん、アシュラさんの書いた英語は頭から読んですーと入ってくる。私のアメリカ人の同僚や、中国人や、ギリシャ人が書いている英語と同じです。私も、そう書けていると思う。

    でも茂木さんのは、なんか目がうろうろします。ちょっと一文だけ例にとると。あ、引用先はここです。

    http://qualiajournal.blogspot.com/
    Language policy is really serious here in this country, and has grave implications for my own life, too.

    HERE IN THIS COUNTRYのとこで、あれ?なんのことやったっけ?と思わず、最初に返っていって、もう一度最初から読んでしまいます。そしてAND HASのところまで行って、あれ?何のことやったっけ(主語なに?)と思って、また最初の最初まで戻ってしまう。

    これ、たぶん、最初の日本語のときは、すっと読めるけど、なんか翻訳の途中で、ごちゃごちゃするのでしょうね。

    一方、アシュラさんのほう
    I’ve been living in a shadow of Japan’s language policy. I love and appreciate the Japanese language – my mother tongue.

    全然、返り読みせずに最初から最後まで読める。

    ところで、私は、「学振がんばれ」という文書を書いていて、返り読みしなくていい文の書き方を解説しているのです。ここにおいています。

    http://www.estat.us/kaz/id28.html

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