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言語は深いのか、簡単なのか?

言語学者の先生たちは、言語が限りなく深い存在であるとする。

しかし、英語喉をやっていて思うのは、発音とか聞き取りに関して言えば、一番、首の底で楽にして発音していれば、もっとも正しい英語になるということだ。しかし、言語学の先生達は、言語は深い、色々ある、多様だ、、、などという方向に持っていきがちだ。

しかし、例えば、子供であれば、海外に来て、1年もたたなくても、ぺらぺらになる。

その現象をみて、英語喉パラダイムだと、ね、外国語習得って簡単でしょ、、、となるが、言語学者が同じ現象を見ると、言語習得の臨界期以前に外国に行くと、習得が早い、、、となる。臨海期などという概念を持ち出すから、また脳というものを神秘化してしまう。

<実際は、例えば、日本人の小学生が亜米利加の学校に行きだして、英語を聞くときに、シラブルを正しく聞いているから、英語を覚えるのが楽なのだ。4歳だった私の姪にSPRING ROLLって言ってみてとみたら、SUPURINGU RORUと絶対に言わない。そのまま、シラブルを正しくSPRING-ROLL(2拍)で繰り返す。逆に、5歳でSUPURINGU RORUと言ったら気持ち悪いだろう。子供は聞いたとおり言い、覚える。しかし大人だって、シラブルや喉発音を覚えれば、英語を英語のまま覚えるだろう。>

私は、この言語学者のパラダイムは、その言語学者さんたちが、英語をはじめとする、外国語ができないからそういう発想にいたるのだろうと考える。

実際できてしまうと、非常に発音にしろ、聞き取りにしろ簡単であることに気づく。

これはギター演奏でも同じだ。指を一定の規則のもと+センス・フィーリングで動かすのだが、非常に単純な音楽の仕組み(相対音感による)がある。

ギターが弾けない人にとっては、これは分かりにくいだろうし、できないから、ギタリストが生み出した結果としての演奏の細かいところを見て、色々なルールをつくるかもしれない。

しかし、メロディーを生み出す側、ギタリストの側から見ると、実は、結構、シンプルなものにもとづいて生み出しているのである。

運転と同じだろう。どんなに自動車の動きが複雑に見えようと、結局のところ、ハンドル+アクセル+ブレーキだけで全てが説明できてしまう。運転している立場から見ると。しかし、運転の出来ない人には、そう見えないかもしれない。

天動説の時代、宇宙の星の動きが過激なほど複雑に見えたのだろう。しかし、地動説となり、一挙に、星の動きはシンプルに理解されるようになった。

英語の発音や聞き取りも同じものだ。一旦、出来始めると非常にシンプルで、口や喉が一番楽なように使うと、例えばだが、BETーTERのTTのところが自然とBETーDERのようになる。これは英語喉で解説している。だらんと口や喉をしておくと、二番目のTのところだろが、舌を口の屋根からはずすだけになるので、日本人が普通期待する威勢のよいTの音にならず、アメリカの発音と同じで、だらけたようなDのような発音になる。

英語には、というか、言語にはシラブルがある。そのリズムにのって聞けば、つかみ所のある音声が聞こえ出す。何が最小の音の塊かを教えてくれるのがシラブルだ。英語をテレビなどで聞くとき、音量をあげて、テレビ機に手をあてれば、シラブルの響きを、びりっ、びりっ、びりっ、と感じることができる。

NHKの英語番組などでは、あまりにナレーターが、おおげさなので、音程のほうに、集中力がいきがちだ。それでも、シラブルのリズムを消すことはできない。こちらで20ドル払ってテレビジャパンというのを見ているが、英語番組のCHAROと、日本人の子供向けのショーのノリが同じだ(ものすごいはしゃいだような人がでてきて、音程を上下させて喋る)。

上で書いたように、テレビをつけておいて、テレビ機に指を触れると、感じれるほどシンプルなもの、それがシラブルであり、日本人が200年無視し続けたものである(いや、明治時代の日本人が英語ができなかったと私は決め付けているが、そのあたりはどうだったのだろう?)。

当然、シラブルを知らなければ、英語の音が変化したり脱落したりしているように聞こえるだろう。しかし、シラブルを知り、その読み方である3ビートをマスターすれば、え?リエゾンって何?となる。全て聞こえるので、変化だとか、脱落だと言われてもわからんのだ。

脱落とか、音の変化とは、英語が分からない、聞こえない日本人が、英語が分からないことの理由として編み出した概念であろう。実際、英語が本当に聞こえていたら、そういう感覚を持つとは思えない。

ところが、英語ができてみると、日本人以外の外国人は、韓国人も含め、結構、普通に英語を喋っていることに気づく。いつまで、言語習得には臨界期があるというような説を、データ検証なしに、サポートするのだろうか???

と一般人は思うかもしれないが、よーく検証してみると、言語学者は、別に臨界期というコンセプトをまじめにサポートしているわけではない。そもそも、そういう研究をされていないと思う。

ただ意見を求められるから、そういうコンセプトを紹介しているだけではないだろうか。思うに、英語教育において発言している言語学者さんたちは、英語教育が専門などと思っていないと思う。ただ、人から意見を求められるから、参考にという感じで発言しておられるだけではないだろうか???

皆さんに、言いたいことは、発音ができて、聞ければ、言語はそれほど難しくないということだ。だから、きっとできるようになる。それを信じて、楽しみながら英語を勉強してほしい。

意味が分からなかったとしても、音として聞こえていれば、勉強していても楽しいと思う。そのうち、分かるようになります。

私もフランス語のニュース放送を聴いているのだが、今朝、MERCIE、、、 エクテみたいな表現が聞こえてきた。正確には聞こえなかったけど、あ、聞いてくれてありがとうみたいな表現だろうと予想がついて。今度聞こえたら、きっと覚えるだろう、、、などと思って納得した。 ちょっとずつ理解できる表現があると楽しい。

フランスに3ヶ月ぐらいいれば、かなり上達するだろうなあ、、、みたいな気がする。

よくNHKを見ていると、夢がどうのこうのという言い方が出てくるが、英語ができれば、開けてくる道があると思う。

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