トンネルを抜けると暗記問題だった

従来の英語発音の練習は暗記問題だとは思われていない。どちらかというと体育会系のトレーニングだと考えられてきた。   従来のトレーニングは実は姿形を変えた暗記科目であったということを指摘したい。   従来のトレーニングは、逆説的ではあるが、誰でもできること、、、が教えられている。   音の強弱               人類であれば誰でもできる 音程の上がり下がり     人類であれば誰でもできる 音を伸ばす             人類であれば誰でもできる 唇を丸める              人類であれば誰でもできる 舌を口の屋根のある部分につける 人類であれば誰でもできる やたら強く読む         人類であれば誰でもできる 激しく摩擦を起こす   人類であれば誰でもできる 毎日続ける              人類であれば誰でもできる   ただし、これらの誰でもできることをやっても、決して正しい英語の発音ができなかった。 それは英語音の核となる喉のことを忘れていたからだ。それから英語のリズムの基本となるシラブル、そしてシラブルの仕組みを事実上無視していたからだ。(例外的にシラブルが教えられている場合でも、それは発音に関することのようで、特定のシラブルの組み合わせをとにかく繰りかえす、、というセットアップである。)   上に列挙した数々の項目は、我々を出口のない勉強へと導いた。そしてその勉強とは、実は暗記問題だったのである。何億もの組み合わせが可能な文章、そしていろんな読み方が可能なのに、上に列挙した項目で説明を加え、主語だったら強く読むとか、意味的に大切だったら強く読むとか、そういう風に、矛盾しているルールをむりやり押し付けて、何億もある文を練習する、、、という、とてつもな巨大プロジェクトに、国民が借り出されたのである。   これは英語だけのことだろうか。我々はさまざまな分野で姿形を変えた「暗記問題」という怪物に自由を奪われていないだろうか。   憲法の保障する「学問選択の自由」、「職業選択の自由」がこの暗記問題という怪物によってないがしろにされていないだろうか。   医者になって人を救いたいと思ったことのあるあなた。あなたの職業選択は保障されているだろうか・いただろうか。   法律を勉強して世のためになりたいと思ったことのあるあなた、あなたの職業選択の権利は保障されていただろうか、いるだろうか。   我々はあらゆる知識を暗記問題に変換することで、憲法が保障しているはずの学問、職業選択の自由を、制限していないだろうか。制限されている、、、とは分かりにくいかたちで。   「自分で選んだんだろう。始めたことは最後まで、がんばりぬけ。」という言い方をよく聞く。「初心を忘れるな」という言い方もよく聞く。   本当に、最初に自由な選択があったのだろうか、あるのだろうか。  

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長崎の雨さん 喉パラダイムの地平に突然出現

 長崎の雨さんが先週だったか、喉パラダイムの地平に突然出現された。もちろん、これまでも多くのうまい人、とくにもともと喉を使っていたという人が出現していたが、なぜか長崎の雨さんの出現は、衝撃的だった。最初の直感は、「この人は実はネイティブに頼んで録音したものを送ってきたのではないか」ということだった。ところが、そうではない、、ということが分かった。 氏の許可を得たので、以下のメッセージを紹介したい。「前からうまかったのですか」という私の質問に答えていただきたものである。喉の感想文としてNIPPONDREAMのほうに紹介したいが、とりあえずはここで紹介させていただきたい。 現在、あまりにも新しい喉パラダイムが必要なのは、このメソッドをやりきればできるんだ、、、という確信のようなものだ。長崎の雨さんの感想は、その当たりの応援してくれている。 *** 私も以前からある程度は喉でできていたのかも知れません。よく人から「英語を話す時は声の感じが変わりますね」と言われていましたから。特に3ビートに関しては自然にできていたんじゃないかと思います。(私の現在の理解が全てだとするとですが) それでも次のような点でご著書が大変参考になり感謝しております。 1.総じて言えばこれまで何となくそうではないかと思っていた  事を確認させてくれた。言い換えれば「何か違うなー」と  思っていた従来のやり方が矢張り間違っていたと気づかせて  くれた事。 2.子音を発音する際、特にT,Pなどの破裂音で、喉で発音する  為には極力舌や唇の力を抜く事。これは上述の1.に関係する  のですが、従来はこれらの音を発音する際に力を入れ緊張しす  ぎている為、ごつごつして引っかかる様な感じでした。例えば  Particularly,entertainment,Popularなど。まだまだともすれ  ば力んでしまうのですが、大分直ってきました。気づいてみる  とネイティブスピーカーは本当にそれ程力を入れている訳じゃ  ないんですよねー。以前は力感がある方が何となく英語らしい  と勘違いしてました。 3.ルート音や音のライフサイクルなどの新しいコンセプト。(本当  の事言って、私もこれらの考え方を理解しているか未だやや心もと  ないんですが・・・・)

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喉をいためないように

長崎の雨さんもおっしゃっているのだが、喉を痛めないことはとても大切だと、、、改めて思った。 私の場合、息を吸いながら喋る練習で、ちょっと喉がひりひりした。それは、きっと無理をしたからだと思う。ネイティブは、誰でも、当たり前のように息をすいながら喋れるし、なんと声質もそんなに変わらない(私の場合、恐竜の声のようになってしまっているかも)。 逆にいうと、痛むようでは、力をいれすぎている、、、ということだ、、、ということができるだろう。 痛めているうちにできるようになる、、、というような考えが日本的な学習文化にはあるのではないかと思うことがある。高校の運動会での応援団の練習はそんな感じだった。ひじを痛めたピッチャーが、投げ込んで直せ、、、と言われた、、、というような逸話を聞いたことがある。 思うに、我々の文化DNAは、がまんとか、力を入れることが練習だ、、、という風に考えがちではないだろうか。逆にリラックスするとか、そういうことも大切だと思う。ゴルフのスウィングとかそうなのではないかなあ、、と思う。 リラックスしていると、気がたるんでいるとか、やる気がない、、、とか解釈しがちだ。これは文化の意味の体系だろう。 どこかで読んだのだが、日本に来た外国人のビジネスマンの振る舞いを見て、「わがまま外人」と解釈している人がいた。 それは、その外国人が、日本の会社側が予約したホテルを、その場でなんらかの理由でドタキャンしようとしている様子を見て、そう呼んだのだが、その「わがまま」と見える振る舞いは、キャンセルしようとしたこと自体が問題ではなくて、そうしているときの、西洋人の姿勢とか話し方の雰囲気がそう思わせたのではないだろうか。具体的には西洋人がリラックスしている様子だったのではないだろうか。 日本の文化コードでは、横着とか、横柄とか、わがまま、、に見えたのではないか。 ある振る舞いが、異文化において違うメッセージを送っている例である。異文化と書いたが、実は日本 対 西洋、、、というかんじが多いように思う。 まとめると、喉を痛めないようにしてください、、、ということです。喉が痛くなることは、決して、よいこと、練習がうまく進んでいることの結果ではありません。逆に、喉が痛くなるようでは、リラックス度がたりないのだな、、、と解釈してください。

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