英語喋れるの?という観点
は、傲慢だととられがちだと思う。しかし、他の分野を考えてほしい。 私がやっている統計とかメソッドとかの分野で言うと、統計ができない人が統計について語ることは不可能だ。しかし、英語の分野では英語ができない人が英語を語る。しかし、それが目に余るほどだと私は感じる。 語彙を覚えないから英語が理解できないという考えを即刻やめてほしい。 気持ちは分かる。しかし、少なくとも喋るという観点から行くと、語彙は中学、高校レベルで充分だ。実際、そうだ。ネイティブは語彙の少ない子供でも英語を喋るが、平易な単語でも複雑な思想を表現できるからだ。 実際問題として、難易度の高い単語は、会話というより、あれは書くときのためにあるのではないだろうか? では聞くという立場からはどうだろうか?日本人は英語が聞けないのは、単語を知らないからだと思っている。発想を変えてほしい。まず、そもそも音が聞けていないのだ。音が聞けていないのだから、語彙の問題ではない。 ここで、ちょっと発想の転換をしてほしい。先日、ある人に、pharmaceuticalという単語をどう発音するか?と質問された。 さて、日本人で語彙が大切だと思っているならば、この単語を知らないから聞き取れないんだと思い込んでいるはずである。 しかし、細かく見て欲しい。pharmaceuticalは以下のようにシラブルに発音される。 FARM MIS SUT TIK KL 厳密には F-A-rM / M-i_-S / S-U-T / d-i_-K/KL あるいは F-A-rM / M-i_-S / S-U-T / T-i_-K/KL 一つ一つの単語は単純はものとして存在する点に注目。 FARMは農場と一緒だ MISはI MISS YOUのMISSと同じだ SUTはSUITと同じだ。 TIKはTICKETの最初の部分と同じだ。TICKという動詞と同じだ。 KLは、まあ、ありふれた形容詞の終わりの部分だ。 つまり、分割していくと、シラブルが、普通に知っているはずの単語に還元されるのである(TICKという動詞は知らない人がいるかもしれないが、TICK TACKという表現は知っているかな?)。 つまり、難しい言葉も単純で、日本人が知っている単語なのだ。 日本人が単語が難しいから英語が聞こえないと思っていることが、これで完全に崩れてしまうのではないだろうか?単語を知らないから聞き取れないというが、分割すると、知っている単語なはずだ。すると、知っていても聞き取れないということになる。 難しく見える単語も、実は、非常に単純で、誰もがすでに知っている単語に還元されるのだ。 つまり日本人の問題は、その単語を知らないから聞き取れないのではないのだ。 そもそも、音として聞こえていないのである。 <他の外国人は最初から音としては聞けている。ジーナが言っていたが、日本留学中、何か分からないことを言われて?分かりませんというと、同じ表現をゆっくりと日本人が繰り返したという。これは意味が分からなかったらしい。音としては、聞き取れていて、その意味が分からないから、聞いているのに、同じ表現を繰り返してくることにびっくりしたそうだ。日本人が外国人が日本語が分からないとすると、それは日本人がそうであるように、音として聞きそこねたのだろうと勘違いするのだろう。「空耳」があるのは、日本人だけなのかもしれない。空耳の原因は、3ビートの言語を2ビートの言語話者が聞いているから起こるのだ。> さて、どうするか? 英語喉を実践することで、英語の本当の音を体感、体得するのである。そして、シラブルごとに聞けるようになると、もっとすんなりと英語が聞けるようになる。 語彙を覚えてリスニングをマスターしようというアプローチに対して私が異議があるのは、そういうやり方で指導している人自体がリスニングができていないのではないかと思うからだ。 <もっと簡単に言うと、で、英語喋れるの?となるのだ> このインターネットが超発達し、誰もがブログで音声を出したりできる現在、なぜ、音声を公開せず、英語が実際喋れるのか、あきらかにせず、国民を総動員して、アクセントの位置がどうのこうの、語彙の語源がどうのこうのと言えるのだろうか???????? しかし、もちろん、音声を公開する人もいるかもしれないが、英語がうまい人は、全員、声が違うのである。声が深い。 あっちゃんというかたが英語発音を教えてらしゃって、USTREAMなどで指導されているが(http://www.ustream.tv/channel/a-atchan )、このかたも、英語喉的に喉をきしませながら英語を公開されている。このかたは、独特な指導をされていて、アクセントの位置なども信じてらっしゃるようなので、英語喉の指導とは違うのだが、実際、ご本人が喋られている英語は喉からきしむような音がでている。 英語喉的でなく、西洋言語の音声を公開しているのは、スペイン語のたこ焼き村先生だが、これは歴史的意義のある事件だと思っている。というのは、従来のIPAパラダイムの先生が、正々堂々と、ネット上で、ご自分の発音を、単語レベルだけではあるが公開されているからだ。そして、その根本のところの発声法は、日本語と同じ発声法でスペイン語を発音してらっしゃる(と私は思う)。つまり英語喉的でない。これは、単語レベルだけの公開で限定的であるにしろ、大きな出来事だ。 やはり従来のパラダイムの人が音声を公開したのは、今世紀の一大事件である。パラダイムに異変が起きている。 伝統的な音声学では、発音指導はしても、自分の発音は公開しないのが、暗黙の約束ごとであったのだ。 しかし、ついに言っていることと、実践を、少なくとも、統一してらっしゃるのである。 […]
で、英語喋れるの?
と聞きたいと思うことがある。 ある英語指導者のかたが、たらたら、英語勉強論を述べているのを聞いていたのだが、で?それやって、あなたは英語が喋れるのですか?と問いたくなる。 これを言ったらおしまいだと思う。でも、アンフェアである。勉強の仕方は、その先生の本を買うということに直結しているからだ。 なぜ私の逆鱗に触れたかというと、英語の発音は色々あるので、気にするな。発音の重要さをあまりに強調しすぎると、間違いを恐れて日本人はますます英語ができなくなる。 しかし、間違いが恐いから日本人が英語ができないのだろうか?皆さんは、そんなこと信じる?日本人が英語ができないのは、純粋に英語ができないのだ。間違いが恐いからとか、そういうのは言い訳であり、誰も、こわい、こわいと思いながら英語を勉強していない。恐いからできないのではなく、単にできないのである。 このことで分かるのは、この人自身も英語があまりできないだろうということ。さらに、ちょこっと英語の例文も読まれていたが、本当に、ちょこっとしか披露されない。本当に英語が好きだとは思えない。 結局、何を言おうと、その人を英語をただ、ただ勉強さすというだけだと思う。結果を出すことなしに。 ラジオ体操があれだけ普及したのも、簡単に全国の国民を総動員できるからだと思う。だからラジオ体操が難しかったらだめ。 英語教材はラジオ体操に似ている。著者がそばについていなくても、何かを作業できる形でしか、知識を提供できない。 そういう意味で本当にできるようになる英語喉は不利だ。というのは、できない人もやはりいるだろうからだ。できているかどうか分からないのがもどかしいわけだが、しかし、そう悩むかたは、ぜひこう考えてほしい。できているかどうか分からなかったら、できていない、、と。喉が立体的な音を出し始めるとやはり、分かる。分かる。 出来ていない場合、出来ている人を探してほしい。例えば、できるだけ、勉強がきらいなロック青年などがよい。きっと喉がゆるいだろう。その人にやってもらって、それから今度は自分に教えてもらう。1,2歳の子供さんがおられるなら、その幼児に教えてもらえるだろう。子供は喉発音をしているのだから。犬のマネをするのも手だ。30分ぐらい犬と犬になったつもりで遊んでみよう。泣き声をまねてみよう。 英語の勉強の仕方を国家総動員法的にしてしまっているのが、現在の英語教育言説だと思う、、、というと、総すかんを食うだろうが、一人ぐらいは言っても良いと思う。 だから、まあシンプルに、で?英語喋れるんですか?と聞きたくなる。 例えば、語彙が大切だということで、それはリスニングに効くのだというある企画が人気だと思うが、じゃあ、その企画者さんに聞きたい。 で、そういうあなたは、英語きけるん?英語喋れるん?語彙増えたら、本当に英語聞ける???? それを信じて、国民総動員して、やっているんですけど。 そこが学習者としては知りたいのではないだろうか??? 80年代に英語を勉強していた我々の世代?がラッキーだったのは、それ以前の世代の先生達も根性論に見えながらも、実にリーズナブルなことを言っていたと思う。 松本道弘先生の影響で英字新聞やら、タイムやら、ニュースウィークを、分かる分からんは別問題で読みまくったのは私だけだろうか? 英語で考えろ!というようなことを、その当時よりちょっと前ぐらいの大家の人達は言っていた。 外国人に話しかけるというのは、当たり前のことだったと思う。松本先生も、学生時代に、外人ハントと称して挑戦されていたということを書いていた。 いつから、英語が机についてする勉強だけになったのか?受験英語は別として。 我々が80年代に英語を勉強していたときの、先生方は、英語をアメリカ軍?から直接学んだ人達ではないだろうか?あるいは、アメリカから当時入ってきた音楽などを通じて、比較的、理屈なしに、直接的に学んだ人たちではないだろうか? 私の場合、中高生のとき、テレビをつければ、英語が喋れて、なんと外タレと、インタビューをしていた小林克也氏がいた。いや、今YOUTUBEで見ても、本格的だ。 ごまかしではない。今見ても、本物だ。今みたら、あれ?思ったより下手糞だったなんて思うひとはいない。マドンナのとインタビューなんて、今にも、お互いに抱きつきそうなコミュニケーションの密度ではないか。 ところが、今の時代、英語が議論ができれば充分とか、発音はほどほどでよいとか、なんというかわけのわからんことばかりだ。おまけに、英語を喋りたくなくてたまらないような先生が多い。日本語ばかりでしゃべっていて、聞くのが面倒くさい。 80年代の小林克也氏などの逆方向に向かっている。 先日、アドリブスペイン語を音声UPしたが、これは日本の歴史で初めてのことだと思うが、 たかが、スペイン語である。 たかが外国語である。 恥ずかしいことなどない。 英語喉で 聞けて言えれば、 ただ単に、聞いたままを言えばよいのだ。 そう思いません? どうしても、口発音が残ったとしても、まあ、ええやん。聞こえるんなら。 日本人として誇りをもって英語でもスペイン語でも喋ればよいのだ。 YUMIさんが、英語を喋っているところを動画UPでデビューされていて、もう最初の挨拶の数秒で、こりゃ、本物だと思った。喉がネイティブと全く同じ感じでなっていて、納得した(3ビートは言うまでもなく完璧だ)。 YUMIさんの自己紹介動画、up http://ameblo.jp/englishbootcamp/ 本日のテーマについてアドリブ英語で喋りました。 www.estat.us/blog/why_cannot_speak.mp3
沖縄琉球学園さん、IHAさん、ありがとう
沖縄琉球学園さんで、英語喉が紹介されていました。IHAさんが、ご紹介くださったとのこと。どうもありがとう! http://crm.ti-da.net/e3059622.html IHAさんはその前の週にラジオ出演されたのですね。新聞にも出ているではないですか。え?全国区でですか?広島でいうと、中国新聞にのったぐらいか?と思ったんですが、え?全国区?おめでとうございます。 環境がご専門とのこと。私の勤めている会社も環境分野が大きくて、日本人の人がお一人、モデリングの仕事をされています。このまま石油を消費しつづけると、何年後に空気がどうなるか?みたいな計算をされていると聞きました。 さて、スペイン語のダブルRの話で、たこ焼き村先生が、ダブルRは、そり音?だと説明されていて、私のやっているのと違うなあと思っています。先生は、日本人でもRRRRRと舌でできる人は幸運で、それを応用できるとおっしゃっている。できない人は、何ヶ月か練習したらよいとされている。 でもですね、私は実はそのRRRRってのができないんですが、それでもスペイン語のダブルRはできるんです。 誰だってあれできるんです。 ただし、喉発音にしないと、空間的に狭すぎてうまくいきません。口をだらーんとして、喉もだらんと開けたままでRを発音するとうまくいきます。 スペイン語も喉発音だからです。 私が日本語でRRRR(るるるるる)ってできないのに、ダブルRができるってのが味噌ですね。 私はダブルRという概念自体がいらないと思っています。 はやいうちにダブルRの終了式をこのBLOG上でしたいと思います。実際、いらないですから。そういう概念。 それでは、アディオス! なんと、今日の後半で述べたことをアドリブスペイン語で喋ってみました。 www.estat.us/blog/doubleR.mp3