January 6, 2009

天動説にさようなら 地動説よ、こんに
運転のパラダイムシフト 喉革命ににとるよ

最近、引越しをしているのだが、トラックを借りた。借りるときに、ネットでサイズ10を頼んだのだが(単位に関してはよく意味がわからないので、世界単位認定協会に今度聞いてみる)、言ってみたら、「うちには10が1台しかないんじゃ。もう貸してしもうたけん、16にしてくれ」と、レンタルカー屋の兄ちゃんが、「得したじゃん、10の値段で16のサイズが借りれるんじゃけん」と言った。   私はそのサイズ16のトラックを見たときに、その兄ちゃんにばれないかとひやひやしたが、実は、体がすくむような気がした。   これ、ダンプじゃんか。わしや、ダンプのウンちゃんじゃないじゃけど、、、。   体から全ての血が引くようじゃった。   え、、、これでアメリカの首都圏のフリーウェイをはしれーゆうんか。恐い。   まさに、断壁会尺泉水の思いであった。   *    注 時々、エッセイ派知識人(例 国家の品格の藤原氏や、博学の王者、渡部昇一氏)に対抗するために、勝手に熟語を捏造します。   とはいえ、出発進行。   実は以前の自分ではない。すでに書いたことがあるが、運転の仕方を変えていたのだ。その変化は英語でいうなら喉革命に値するものだった。   ダンプがなんだ、、、。   その新しい運転法とは(すでに述べたが)、道路にとらわれず、周りの車に当たらんように、運転することだ。   えー、どういうことか?と声が上がったのが、今聞こえたので、解説する。以前は、道路を見て運転していた。これは教習所で習ったやりかただ。さらに試験でもやった。   例 線からはみでんように、まんなかを運転する。 例 車線を変えるときは、まずミラーを確認、そして実際に見て確認、スピードを落とさずにさくっと、となりのレーンに進行。   新しいやりかたは、そういうことを考えず、他の自動車にあたらんぞ、ということだけを考えて運転すること。   これってでも実は、歩くとき、走るときにやってることと全く同じ。   これやっていると本当にうまく運転ができる。ありゃ、やばーと思う瞬間があっても、あたかも、相手の車も同じ原理を使っている感じで、すーと、問題が回避できる。   ツーカーの仲って感じで、危機が回避できるのだ。   前のやり方は試験とか自動車学校の庭での練習で学んだ機械的、線的、テスト的なやりかたで融通が利かないどころが危なかった。   道路上の表面的な情報ばかりに気をとられるもんだから、信号を無視してしまったり、とまれのサインを無視したり。ちょっと上のほうについてるからね。   でも、歩くときと同じ、走るときと同じ原理で、自動車を運転すると、すーいすーいと運転できる。   面白いのはね、前は、車線を変えるとき、こわくてスピードがゆるくなっとたんよ。無意識のうちに。そしたら逆に恐いんじゃ。後続の車がびっくりするけんね。   でも、新しいやりかただったら、自然とスピードがいいぐあいになるんじゃ。   結局、原理を学んだら、複雑だと思われていた現象が、いとも簡単にパズルのように解けたということじゃろうねえ。   またしても喉のパラダイムと同じじゃね。昔、リエゾンと言われとったものなんかは、喉でやってたら練習せんでも自然に、音がつながる、、、   それと同じじゃね。   あとねえ、おもしろいんじゃけど、最近、道にまよわんのよ。前は道路の表面的情報だけみとったというのと、あとどっかに行くときに、看板(サイン)にとらわれとった。道の名前とかね。字にとらわれとったんじゃ。そしたら、景色とかをみとらんから、よー迷う。   最近は、景色で自分がどこにおるというのを確認しながら走るけん、2回目からは、あんまり迷わんでも目的地に行きつくんじゃ。それから、知らんところでも、なんとなく、勘でいけるんよ。地理をダイナミックに理解できるんよ、景色とかを見てはしっとったら。 […]

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