February 2008

喉をいためないように

長崎の雨さんもおっしゃっているのだが、喉を痛めないことはとても大切だと、、、改めて思った。 私の場合、息を吸いながら喋る練習で、ちょっと喉がひりひりした。それは、きっと無理をしたからだと思う。ネイティブは、誰でも、当たり前のように息をすいながら喋れるし、なんと声質もそんなに変わらない(私の場合、恐竜の声のようになってしまっているかも)。 逆にいうと、痛むようでは、力をいれすぎている、、、ということだ、、、ということができるだろう。 痛めているうちにできるようになる、、、というような考えが日本的な学習文化にはあるのではないかと思うことがある。高校の運動会での応援団の練習はそんな感じだった。ひじを痛めたピッチャーが、投げ込んで直せ、、、と言われた、、、というような逸話を聞いたことがある。 思うに、我々の文化DNAは、がまんとか、力を入れることが練習だ、、、という風に考えがちではないだろうか。逆にリラックスするとか、そういうことも大切だと思う。ゴルフのスウィングとかそうなのではないかなあ、、と思う。 リラックスしていると、気がたるんでいるとか、やる気がない、、、とか解釈しがちだ。これは文化の意味の体系だろう。 どこかで読んだのだが、日本に来た外国人のビジネスマンの振る舞いを見て、「わがまま外人」と解釈している人がいた。 それは、その外国人が、日本の会社側が予約したホテルを、その場でなんらかの理由でドタキャンしようとしている様子を見て、そう呼んだのだが、その「わがまま」と見える振る舞いは、キャンセルしようとしたこと自体が問題ではなくて、そうしているときの、西洋人の姿勢とか話し方の雰囲気がそう思わせたのではないだろうか。具体的には西洋人がリラックスしている様子だったのではないだろうか。 日本の文化コードでは、横着とか、横柄とか、わがまま、、に見えたのではないか。 ある振る舞いが、異文化において違うメッセージを送っている例である。異文化と書いたが、実は日本 対 西洋、、、というかんじが多いように思う。 まとめると、喉を痛めないようにしてください、、、ということです。喉が痛くなることは、決して、よいこと、練習がうまく進んでいることの結果ではありません。逆に、喉が痛くなるようでは、リラックス度がたりないのだな、、、と解釈してください。

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英語を練習しているようで、実は日本語をひたすら練習している?

Kの発音方法をときどき間違うことがある。初対面の人に自分の名前を言うときに、当然、私の名前はKAZですというのだが、え、TAZ?と言われてしまう。   KとTを間違われてしまうのである。   従来の考えだと信じられないことだろう。間違いやすいペアはLとRでしょう?いくつもある母音の間の混乱でしょ?と。KとTなんてぜんぜん違うじゃないですか、、、と。   なぜかKとTを間違われてしまうのか、、、というと、初対面なので、ちょっと緊張するからだ。日本人は緊張すると口発音ぎみになる、、、と思うのだが、それで思わず、口発音ぎみでKAZといってしまうわけだが、口でKを発音すると、ちょっとTに近い音になるのである(声が小さいというのも半分の理由だが)。   なぜだろうか(なぜを問い詰めていくとメカニズム・カラクリに到着する)。   それは、、、Kをいうときに、思わず、舌の奥が口の屋根にあたるからである(この文、2,3回読んでみてください)。だから、同じく舌(の奥ではないが)が口の屋根に当たる音であるTに似て聞こえるのだ。   はあ???   喉革命を経験しておられないかたには、信じられないかもしれないが、ネイティブはKを発音するときに、舌の奥のほうが口の屋根に当たらないのである(かわりに喉で描写したように、舌の奥のほうで空気が風キャッチをし、K独特の音となる)。   つまり、Sと同じで、Kは舌が口の屋根にあたらないのである。   はあ?そんなばかな、、、と思われるかもしれないが、Gも同じだ。   KやGで舌の奥のところと口の屋根の奥が当たるのは、日本語だ。英語では違う。   日本人にはなぜかGで、このこと(舌を接触させずに発音)に成功するのが簡単のようだ。まずはGで成功しておいて、同じことをKでやってみる。   従来の本で勉強されている人は、本当にびっくりされることだろう。従来のアプローチは、とにかく口の体操というかんじで、体育会系の運動を必要とするが、たとえばKなどでいうと、日本語のKを大げさにいう、、、というのが練習メニューのようだ。   ちょっと、どきっとすることをいきなり言ったので、もう一度ゆっくり言ってみる。 厳しく言うと(著者の皆さん、ごめんなさい)、   従来の練習方法には、結局のところ、日本語の音をおおげさに言っていると、いつのまにか英語の音になる、、、という甘い考え(もちろん無意識)がある。   え?どういうこと?   Kだけではないが、Kはよい例だ。ネイティブは90%を喉で発音するのだが、Kのときに、舌が屋根につかない。つくのは日本語のKである。   日本語のKを大げさに、強く激しく発音していると、いつのまにか英語の音になる(ならないけど)、、、というのが従来のやり方である。   英語を練習しているようで、実は日本語をひたすら練習している、、、というのが従来の方法の実情である。   どの音でもよいのだが、日本語のやりかたでKを激しくいうと、本当に口のなかで音が起こっているという感覚が走る。喉でやることを覚えると、うーん、本当に喉でなっているなあ、、、と思えるだろう(どっちかというとKの喉発音は咳に近いかも、ちょっとだけね、、誤解を恐れずいうと)。  この感覚を早く皆さんに分かってほしい。  もう一度だけ、厳しく言うと(著者の皆さん、本当に本当にごめんなさい、、、でも言っちゃいます、、、笑って許してね)、 自分がそうした、そうしているからといって、そう指導するのはまずいです。英語を母語として喋っているのは英語ネイティブです。英語ネイティブがやっている方法を教える・学ぶ必要があります。  喉の方法(ネイティブメソッド)は日本人著者が、口発音時代はやっていなかった方法であり、またネイティブ著者が本当に母語である英語を喋るうえで、本当にやっていることなんです。   ***   昨日、こんな比喩を思いついた。酒の一升瓶を思い出してほしい。口発音だとすると、本当に出口の部分だけをつかって(キャップのところ)喋っているようなものだ。喉発音だと、一升瓶の全体を豊かに響かせて喋っているかんじだ。   (一升瓶をブオーと鳴らす方法をご存知だろうか。ななめから息を吹き込むと、深く豊かな響きがする。一升瓶の全体が響く。喉発音はちょっとだけ、これに似ている。ちょっとだけである。一升瓶の場合は響きの源はキャップの部分だと思う。そして、それが一升瓶の全体のほうへと向かう。一方喉発音の場合は、喉で出された音がその場で響くのだ。従来のアプローチは、まるで口の中に声帯があるかのような考え方に基づいているようだ。無意識のうちに。正確には、喉からは、一定の同じ音が出ていて、それを口がアクロバティックに調整する、、、というような感覚を、従来のアプローチは持っているのだろう。) 喉を実践するとき、口は一升瓶の蓋、キャップみたいなもん、、、と思ってほしい。単にちょこっと乗せとくだけ。たしかに、その乗せ方によって、音の微調整をするし、それなしだと困るけど、大切なのは喉。   KAZですというと、え、TAZさんですか?と勘違いされることがあると言った。どうやって直すかというと、初対面でも堂々とし、喉を深く鳴らし、息を十分にはきながら喋ると簡単に直る。   ちょっとフォーマルな会話で口発音気味になってしまうのは、私の中の日本文化である。喉にも書いたが、英語での面接や会議などにおいては気をつけたほうがよいだろう。 […]

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ネット状況に異変 (国産ネイティブ)

長崎の雨さん、音声UPありがとう。   http://www.kantalk.com/Recording/Play/ID/3234   とにかく、喉が誕生した2年前だったか、その前だったかは、ネット上に紹介されている英語発音は、質がよいとはいえなかった。私は当時でも英語が100%聞き取れていたが、当時、ネット上に存在した音声は、私でも聞き取れないほどだった。それでも、うまい発音、、、として紹介されていた。   喉出版後、このネット状況に異変が起こっている。H氏、天満氏、RON氏、スカイフック氏、そして最も最近では雨氏、、、などなど。もともと喉を無意識のうちに実践していた人、口から喉への移行を成功させた人など、いろいろだ。   最近、日本の放送局による英語ニュースを見ているが、喉出版以後にネット上に出現しているネット上の音声ファイル、、、弁当ボックスランチ、、、と呼んでしまおう、、、は、そのプロのバイリンガルアナウンサー(ノンネイティブ)を根本的なレベルで超えている。

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